2015-11-01から1ヶ月間の記事一覧

楽毅と諸葛亮の優劣

樂毅・諸葛孔明之優劣、夫以毅相弱燕、合五國之兵、以破強齊、雪君王之恥、圍城而不急攻、將令道窮而義服。此則仁者之師、莫不謂毅為優。余以五國之兵、共伐一齊、不足為強。大戰濟西、伏尸流血、不足為仁。夫孔明包文武之徳、劉玄徳以知人之明、屢造其廬、…

涙の獄中子作り

又安丘男子毋丘長與母倶行市、道遇醉客辱其母、長殺之而亡、安丘追蹤於膠東得之。(呉)祐呼長謂曰「子母見辱、人情所恥。然孝子忿必慮難、動不累親。今若背親逞怒、白日殺人、赦若非義、刑若不忍、將如之何?」長以械自繫、曰「國家制法、囚身犯之。明府雖…

曹叡が司馬懿人気を生んだ

初、魏明帝好修宮室、制度靡麗、百姓苦之。帝自遼東還、役者猶萬餘人、雕玩之物動以千計。至是皆奏罷之、節用務農、天下欣頼焉。 (『晋書』巻一、宣帝紀) 魏の烈祖明皇帝こと曹叡様が司馬懿と曹爽に後を託して逝ってしまった後、司馬懿は曹叡様がやらせて…

白羽扇

諸葛武侯與宣王在渭濱、將戰、宣王戎服莅事。使人觀武侯、乗素輿、著葛巾、持白羽扇、指麾三軍、衆軍皆隨其進止。宣王聞而歎曰「可謂名士矣!」 (裴啓『語林』) 東晋の裴啓の『語林』(裴子語林)によると、諸葛亮(武侯)と司馬懿(宣王)が対峙した時、…

諸葛亮VS周瑜・魯粛

客問曰「周瑜・魯肅何人也?」主人曰「小人也」客曰「周瑜奇孫策於總角、定大計於一面、摧魏武百勝之鋒、開孫氏偏王之業、威震天下、名馳四海。魯肅一見孫權建東帝之略、子謂之小人、何也?」主人曰「此乃眞所以爲小人也。夫君子之道、故將竭其直忠、佐扶帝…

司馬懿、呉の降伏を偽る

(司馬)宣王使二千餘人、就軍營東南角、大聲稱萬歳。(諸葛)亮使問之、答曰「呉朝有使至、請降」亮謂曰「計呉朝必無降法。卿是六十老翁、何煩詭誑如此」 (杜佑『通典』兵典三) 諸葛亮と司馬懿(司馬宣王)が関中で対峙していた時のこと。 司馬懿は二千人…

曹操の将たち

ちょっとしたことではあるが・・・。 曹操指揮下の将たちは、曹操時代は基本的に都亭侯や郷侯止まりで、県侯以上になるのはみんな曹丕の禅譲以降なんだな。 これは曹操時代は県侯というと孫策とかそういうレベルの連中に与えられるような爵位で、魏公になる…

呂蒙の寝言

呂蒙入呉、呉主勸其學業、蒙博覧羣籍、以易爲宗。嘗在孫策座上酣醉、忽臥、於夢中誦周易一部、俄而驚起。衆人皆問之。蒙曰、向夢見伏羲・周公・文王、與我論世祚興亡之事、日月貞明之道、莫不窮精極妙、未該玄旨、故空誦其文耳。衆座皆云、呂蒙囈語通周易。 …

買った漫画

『ひとり暮らしのOLを描きました』1巻。 インターネッツで評判→出版社の公式Web漫画に→単行本、という展開を経た漫画。 タイトル通り、いかにも幸薄そうなひとり暮らしのOLをサイレントで描く。

都郷侯

都郷、侯國。有鐵。 (『続漢書』志第二十、郡国志二、冀州、常山国) 「都郷侯」というのは「県侯」よりランクが下がるものと思っていたのだが、「都郷」という県と同格の侯国があったと知って少し混乱してる。 県侯の「都郷侯」と郷侯の「都郷侯」が同時に…

三都尉

子孫為三都尉封侯者五十餘人。尚書令樊建・侍中張紹・光祿大夫譙周・祕書令郤正・殿中督張通並封列侯。 (『三国志』巻三十三、後主伝) 蜀漢が滅んだあと、晋によって蜀漢の遺臣や子孫は「三都尉」や列侯にされたという。 列侯はいいとして「三都尉」とは何…

景帝の秘儀

以前の記事(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20150310/1425913406)において、前漢の周仁という人物がおもらし系男子であったと述べた。 それについて、今宵のいくつかのツイートのやりとりで思ったことがあるので書いておく。 周仁、其先任城人也。以毉見。景帝…

今日は

出張中。

陳留王家

魏世譜曰、封帝為陳留王。年五十八、大安元年崩、諡曰元皇帝。 (『三国志』巻四、陳留王紀) (咸和元年)冬十月、封魏武帝玄孫曹勱為陳留王、以紹魏。 (『晋書』巻七、成帝紀) 魏の皇帝曹奐は退位すると晋皇帝司馬炎によって陳留王に封建された。 時代は…

武郷侯

諸葛亮は丞相となり劉禅の輔政となると「武郷侯」に封じられる。 この「武郷侯」は一見するといわゆる郷侯となり、「県」を構成する単位である「郷」ひとつに封じられたように思える。

楽しみにしている漫画

唐突だが、私は何作品かWebコミックというやつをいつも楽しみにしている。

皇太子の死

景耀六年冬、蜀亡。咸熙元年正月、鍾會作亂於成都、(劉)璿為亂兵所害。 (『三国志』巻三十四、後主太子璿伝) 以前も記事にしたかもしれないし、してないかもしれない。 とにかく一応書いておこう。 劉禅の皇太子である劉璿は鍾会・姜維による内乱で兵士…

韓伯休、あるいは可哀想な亭長

韓康字伯休、一名恬休、京兆霸陵人。家世著姓。常采藥名山、賣於長安市、口不二價、三十餘年。 時有女子從康買藥、康守價不移。女子怒曰「公是韓伯休那?乃不二價乎?」康歎曰「我本欲避名、今小女子皆知有我、何用藥為?」乃遯入霸陵山中。 博士公車連徴不…

諸葛亮死去の影響

(諸葛)亮卒、累遷廣漢・蜀郡太守。蜀郡一都之會、戸口衆多、又亮卒之後、士伍亡命、更相重冒、姦巧非一。(呂)乂到官、為之防禁、開喻勸導、數年之中、漏脱自出者萬餘口。 (『三国志』巻三十九、呂乂伝) 三国時代、蜀漢の呂乂は、蜀郡太守の時に適切な…

諸葛亮と徐庶

山濤將去選官、舉(嵇)康自代。康乃與濤書告絶、曰・・・(中略)・・・近諸葛孔明不迫元直以入蜀、華子魚不強幼安以卿相、此可謂能相終始、真相知者也。・・・(後略) (『晋書』巻四十九、嵇康伝) 西晋の嵇康は山濤が官を代わるときの後任として自分を…

史氏と王氏

衛太子史良娣、宣帝祖母也。太子有妃、有良娣、有孺子、妻妾凡三等。子皆稱皇孫。 史良娣家本魯國、有母貞君、兄恭。以元鼎四年入為良娣、生男進、號史皇孫。 武帝末、巫蠱事起、衛太子及良娣・史皇孫皆遭害。史皇孫有一男、號皇曾孫、時生數月、猶坐太子繫…

王翁須の人生その2

前回の続き。

王翁須の人生その1

初、上即位、數遣使者求外家、久遠、多似類而非是。 既得王媼、令太中大夫任宣與丞相御史屬雜考問郷里識知者、皆曰王嫗。 嫗言名妄人、家本涿郡蠡吾平郷。年十四嫁為同郷王更得妻。更得死、嫁為廣望王廼始婦、產子男無故・武・女翁須。 翁須年八九歳時、寄居…

字霊均

靈均納忠、終於沈身。 (『後漢書』列伝第三十上、班固伝上) 「霊均は忠言を主君に入れたが身を水没させることとなった」 誰この「霊均」って・・・と思ったら。

許負

孔衍漢魏春秋曰、許負、河内温縣之婦人、漢高祖封為明雌亭侯。 (『三国志』巻三十一、劉二牧伝注) 前漢初、高祖劉邦の頃にいた許負という占い師は女性であると言われているが、劉邦に明雌亭侯を与えられたという話が伝わっているらしい。 ただし引用部分に…

うげっ バブゥー

晉安帝義熙七年、無錫人趙朱、年八歳、一旦暴長八尺、髭鬚蔚然、三日而死。 (『宋書』巻三十四、五行志五) 東晋の時(安帝だから簒奪直前のことだ)、八歳の子供がある日突如として身長八尺に成長してヒゲもじゃになったが、三日で死んでしまったという事…

八尺三寸

司馬彪序傳曰、(司馬)朗祖父儁、字元異、博學好古、倜儻有大度。長八尺三寸、腰帯十圍、儀状魁岸、與衆有異、郷黨宗族咸景附焉。位至潁川太守。 (『三国志』巻十五、司馬朗伝注) へえ、司馬朗の祖父司馬儁は身長八尺三寸だったのか・・・。 これ諸葛亮よ…

真定趙氏

趙雲字子龍、常山真定人也。 (『三国志』巻三十六、趙雲伝) 南越王尉佗者、真定人也、姓趙氏。 (『史記』巻一百一十三、南越列伝) 趙姬生淮南窅王長。 (『漢書』巻三十八、高五王伝) 真定、窅王母家縣也。 (『漢書』巻四十四、淮南窅王長伝) かの有…

つぶやき

我が家のインコの写真とかブログに上げまくったり面白行動の動画を撮ったりしたいのだが、何故かカメラもスマートフォンも見た瞬間に逃げ出すんだよなあ・・・。 意識高すぎだろ・・・。

ぽぽぽ

「八尺様」という妖怪というか怪異というか都市伝説というか、八尺の身長を持つ女性の話があるそうな。 (満)寵・偉・長武・奮、皆長八尺。 (『三国志』巻二十六、満寵伝注引『世語』) そこで気づいたのだが、満寵とその子孫たちはそろって身長八尺であっ…