2023-01-01から1年間の記事一覧

ちょっとした疑問

孫休がわが子たちに君だけのオリジナル文字を命名したのは有名だが、その子たちは命名されるまでは何と呼ばれてたんだろうか?

ゆく年(未来への抱負)

今年もあと1日か・・・。 再来年から本気出す。

アルハラ

(孫)晧毎饗宴、無不竟日。 (『三国志』巻六十五、韋曜伝) 呉の孫晧の時の宴会は「午前様」にならなかったことがなかった、のだそうだ。 皇帝陛下の饗宴であって強制参加で抜け出す手段も無いことを考えると、人によってはかなりの苦行だったんじゃないだ…

納め

誤用オサメだか何だかの日になったが、そんな一種の安心感からか少々眠気がある。 おねむなのでお休みする。

誰が殺した周昭恭遠

周昭者字恭遠、與韋曜・薛瑩・華覈並述呉書、後為中書郎、坐事下獄。 (『三国志』巻五十二、步騭伝) 呉にいた周昭という人物は韋昭らとともに『呉書』編纂に携わったが、後に法に触れて獄に入れられ、同僚の助命嘆願にも皇帝は助けることなく、彼は死んで…

裏切りの代償

『三国志』本文においては、孫晧の父孫和の正妻が張氏だということは記されているが、その張氏が生んだ孫俊については存在がぼかされていて、「正妻が生んだ子(嫡子)がいる」ということが隠されていると思われる。 というか『三国志』孫和伝では子の存在に…

休み

もう何だか年末休みになった気分だが、まだ仕事に行かなければいけない・・・。 面倒だが仕方ない。ので、今日の更新は無しで。

孫晧改名

孫和何姫、丹楊句容人也。父遂、本騎士。孫權嘗游幸諸營、而姫觀於道中、權望見異之、命宦者召入、以賜子和。生男、權喜、名之曰彭祖、即晧也。 (『三国志』巻五十、妃嬪伝、孫和何姫) 呉の孫晧は最初に付けられた名は「彭祖」であったらしい。 孫晧字元宗…

カウントダウン

本日は少々お疲れになったので、お休みです。 今年もあと10日切ったか・・・。

血は争えない

「息子たちの名を臣下が避けやすいようにする」と言っている一方で「休」という自分の名は変えていない孫休は、さすが孫権の子で孫晧の叔父だな・・・って感じがする。

ひとこと疑問

あれ?孫晧はどうも旧名「彭祖」だったっぽいけど、いつから「孫晧」だったんだろう?

ひとこと(ネタ)

同じ曹魏皇室の曹氏でも、曹洪の曹氏と、曹操の曹氏と、曹叡の曹氏と、曹真の曹氏は全部父系が違う。 中々面白い一族だ。

孫晧の本当の気持ち

孫晧即位、封高陵亭侯、遷中書僕射、職省、為侍中、常領左國史。 時所在承指數言瑞應。晧以問(韋)曜、曜答曰「此人家筐篋中物耳。」又晧欲為父和作紀、曜執以和不登帝位、宜名為傳。如是者非一、漸見責怒。 (『三国志』巻六十五、韋曜伝) かの韋曜(韋昭…

韋昭の気持ち

孫晧即位、封高陵亭侯、遷中書僕射、職省、為侍中、常領左國史。 時所在承指數言瑞應。晧以問(韋)曜、曜答曰「此人家筐篋中物耳。」又晧欲為父和作紀、曜執以和不登帝位、宜名為傳。如是者非一、漸見責怒。 (『三国志』巻六十五、韋曜伝) かの韋曜(韋昭…

孫晧の気持ち

孫晧即位、封高陵亭侯、遷中書僕射、職省、為侍中、常領左國史。 時所在承指數言瑞應。晧以問(韋)曜、曜答曰「此人家筐篋中物耳。」又晧欲為父和作紀、曜執以和不登帝位、宜名為傳。如是者非一、漸見責怒。 (『三国志』巻六十五、韋曜伝) かの韋曜(韋昭…

今日は少々飲んできた後なので、お休みします。

記念日(昨日)

t-s.hatenablog.com このブログの開始は2008年の12月14日だった。 16年目・・・? 惰性で続いてる感は正直あるけど、まだ一応惰性自体はあるので、今後もとりあえず何とかやっていく所存。

孫和と曹操

ふと思ったのだが、曹魏または晋で作られた(陳寿『三国志』以前の)曹魏の史書では、魏武曹操は皇帝扱いされていたのではなかろうか? 呉の孫晧はそれを理解していて、「えっ、何で?生前皇帝になってない曹操をみんな皇帝扱いしてるのに、俺の父は生前皇太…

ひとこと(孫和伝)

『三国志』孫和伝本文には孫晧以外の子の存在が書かれていないような・・・?(書かれているのは注の『呉歴』である) 同じ巻にある孫登・孫覇・孫奮の子のことは何らかの言及があるところを見ると、おそらくは意図的なものなのだろう。 『三国志』呉書の祖…

曹操と琅邪王

(劉)據立四十七年薨、子順王容嗣。 初平元年、遣弟邈至長安奉章貢獻、帝以邈為九江太守、封陽都侯。 容立八年薨、國絶。 初、邈至長安、盛稱東郡太守曹操忠誠於帝、操以此徳於邈。 建安十一年、復立容子熙為王。在位十一年、坐謀欲過江、被誅、國除。 (『…

曹操の外戚

曹丕が魏王になると曹嵩が「太王」と追尊され、一緒に「夫人丁氏」も「太王后」と追尊された、という。 この丁氏は曹嵩にとって正妻なのか、それとも実は正妻ではない(あるいは最後の正妻ではない)が曹操の生母であることから正妻扱いされたのか、どちらだ…

ひとこと(死士)

例えば袁紹などは「死士を養う」などと批判されている。 この「死士」というのは思うに「主のために死を厭わず働く者」みたいな意味だと思うのだが、曹操の罪をかぶろうとしたらしい夏侯淵や、曹操の身代わりになって死んだとされる曹真の父などは、客観的に…

童子郎

(臧)洪年十五、以父功拝童子郎、知名太學。 (『後漢書』列伝第四十八、臧洪伝) 後漢の郎官には「童子郎」と呼ばれる少年の郎がいたそうな。 臧洪の場合は父(臧旻)の功績で郎になれたようだが、「太学で名を知られた」ということは童子郎になると共に専…

ひとこと(初代皇帝の人生)

思えば曹丕って建安時代は父からは何度も手ひどい言動されるわ廃嫡寸前になるわで気が休まらなかっただろうし、そんなひどい父が死んだらお家騒動寸前になるし、すぐに王朝交代をなんとかしなくちゃいけないし、皇帝になったらなったで呉をどうにかしなきゃ…

五校尉派遣

(黄初六年)六月、利成郡兵蔡方等以郡反、殺太守徐質。遣屯騎校尉任福・歩兵校尉段昭與青州刺史討平之。其見脅略及亡命者、皆赦其罪。 (『三国志』巻二、文帝紀、黄初六年) 黄初6年の徐州反乱に対して文帝曹丕は屯騎校尉と歩兵校尉という、皇帝直属のい…

今日は

なんか微妙に疲れたので休む・・・。以上!

ひとこと(昨日の補足)

魏明帝景初元年九月、淫雨過常、冀・兗・徐・豫四州水出、沒溺殺人、漂失財産。 帝自初即位、便淫奢極欲、多占幼女、或奪士妻、崇飾宮室、妨害農戰、觸情恣欲、至是彌甚、號令逆時、饑不損役。此水不潤下之應也。 (『宋書』巻三十三、五行志四、水) 昨日引…

ハイパー暴君

魏明帝景初元年九月、淫雨過常、冀・兗・徐・豫四州水出、沒溺殺人、漂失財産。 帝自初即位、便淫奢極欲、多占幼女、或奪士妻、崇飾宮室、妨害農戰、觸情恣欲、至是彌甚、號令逆時、饑不損役。此水不潤下之應也。 (『宋書』巻三十三、五行志四、水) 以前に…

違和感

太史公曰、夏之政忠。忠之敝、小人以野、故殷人承之以敬。敬之敝、小人以鬼、故周人承之以文。文之敝、小人以僿、故救僿莫若以忠。三王之道若循環、終而復始。周秦之閒、可謂文敝矣。秦政不改、反酷刑法、豈不繆乎?故漢興、承敝易變、使人不倦,得天統矣。…

一系

五帝は全員が黄帝の血統。 夏も殷も周も創始者は黄帝の血統ということになっている。 ついでに漢の劉邦も黄帝の血統ということになる。 つまり黄帝の子孫が代々天子になっていると言える。 これ、例えばイギリスの王家がずっと血縁者によって継承されてきた…