2021-01-01から1年間の記事一覧

ゆく年

どうやら、今日で今年もおしまいらしい。 今年は個人的にはいい年とは言いにくかったので、来年はいい年になることを祈るばかり。 今年一年ありがとう。また来年よろしく。

ひとこと

(天紀)三年夏、郭馬反。・・・(中略)・・・晧又遣徐陵督陶濬將七千人從西道、命交州牧陶璜部伍所領及合浦・鬱林諸郡兵、當與東西軍共撃馬。 (『三国志』巻四十八、孫晧伝、天紀三年) 徵為執金吾。廣州部曲督郭馬等為亂、(孫)晧以(滕)脩宿有威惠、…

拷問酒造

書奏、(孫)晧深恨之。(賀)邵奉公貞正、親近所憚。乃共譖邵與樓玄謗毀國事、倶被詰責、玄見送南州、邵原復職。 後邵中惡風、口不能言、去職數月、晧疑其託疾、收付酒藏、掠考千所、邵卒無一語、竟見殺害、家屬徙臨海。并下詔誅玄子孫。是歲天冊元年也、邵…

消された子

會稽典録曰、謝淵字休徳。少修徳操、躬秉耒耜、既無慼容、又不易慮、由是知名。舉孝廉、稍遷至建武將軍、雖在戎旅、猶垂意人物。 駱統子名秀、被門庭之謗、衆論狐疑、莫能證明。淵聞之歎息曰「公緒早夭、同盟所哀。聞其子志行明辯、而被闇昧之謗、望諸夫子烈…

もうすぐ

12月が終わるのか・・・。 今年はこのブログもあまり熱心ではなかったので、いよいよ終わりが近づいてるんじゃないか、なんて思わないでもないのだが、とりあえず完全にやめるほど辛くもないので当面は続けようと思う。

人材登用

侯霸字君房、河南密人也。族父淵、以宦者有才辯、任職元帝時、佐石顯等領中書、號曰大常侍。成帝時、任霸為太子舍人。 (『後漢書』列伝第十六、侯覇伝) へえ、後漢初期の侯覇の族父の侯淵は元帝の時の宦官、石顕の部下だったのか。 『急就』を著したという…

血筋

元年四月乙巳、侯富元年。 三年、侯富以兄子戎為楚王反、富與家屬至長安北闕自歸、不能相教、上印綬。詔復王。後以平陸侯為楚王、更封富為紅侯。 (『史記』巻十九、恵景間侯者年表、休侯劉富) 休侯劉富は甥の楚王(劉戊)が反乱したときにみずから印綬を返…

ブダペスト

太后留(劉)歆為右曹太中大夫、遷中壘校尉、羲和、京兆尹、使治明堂辟雍、封紅休侯。典儒林史卜之官、考定律暦、著三統暦譜。 (『漢書』巻三十六、劉歆伝) かの王莽の腹心劉歆は「紅休侯」に封建された。 初、休侯富既奔京師、而王戊反、富等皆坐免侯、削…

今日は

なんというか消耗してて頭が働かないので、回復するまで休ませてもらうッ!

義侯

更始帝から後漢最初期にかけては、燕王彭寵を殺して降伏した者を「不義侯」にしたり(『後漢書』彭寵伝)、寇恂に「承義侯」の号が与えられたり(『後漢書』寇恂伝)、耿弇の父耿況に「興義侯」が与えられたり(『後漢書』耿弇伝)、景丹に「奉義侯」の号が…

造義侯

萬脩字君游、扶風茂陵人也。更始時、為信都令、與太守任光・都尉李忠共城守、迎世祖、拝為偏將軍、封造義侯。及破邯鄲、拝右將軍、從平河北。建武二年、更封槐里侯。 (『後漢書』列伝第十一、万修伝) 後漢最初期の将だった万修なる人物は、最初に「造義侯…

寿良

又詔「太師王匡・國將哀章・司命孔仁・兗州牧壽良・卒正王閎・揚州牧李聖亟進所部州郡兵凡三十萬衆、迫措青・徐盜賊。・・・(後略)・・・ (『漢書』巻九十九下、王莽伝下、地皇四年正月) 王莽の時の兗州牧に「寿良」という者がいたらしい。 東郡。秦置。…

共通点

漢の成帝を産んだ元后こと王氏(元帝王皇后)の出身は「魏郡元城」。 孝元傅昭儀、哀帝祖母也。父河内温人、蚤卒、母更嫁為魏郡鄭翁妻、生男惲。昭儀少為上官太后才人、自元帝為太子、得進幸。 (『漢書』巻九十七下、外戚伝、孝元傅昭儀) そのライバルとも…

愛妾の実家

九州春秋曰、司隸馮方女、國色也、避亂揚州、(袁)術登城見而悦之、遂納焉、甚愛幸。諸婦害其寵、語之曰「將軍貴人有志節、當時時涕泣憂愁、必長見敬重。」馮氏以為然、後見術輒垂涕、術以有心志、益哀之。諸婦人因共絞殺、懸之廁梁、術誠以為不得志而死、…

王なき国の主

成立二年薨、子愍王意嗣。陽嘉元年、封意弟八人為郷・亭侯。中平元年、意遭黄巾、弃國走。賊平復國、數月薨。立五十七年、年九十。 子哀王宜嗣、數月薨、無子、建安十一年國除。 (『後漢書』列伝第四十、下邳惠王衍伝) 後漢末の「下邳王」劉意は、中平年間…

ニュース

www.excite.co.jp 昨日あたり結構話題になってたらしい。 漢の文帝の陵墓、覇陵ね。本格的な調査やその結果の発表はずっと先だろうけど、まずは期待。

昨日は

今日は何だか疲れてるので・・・。特に思いつかない。 最近は疲れてしまう日が多い。やはり年か・・・。年には勝てないのか・・・。 あれ?そういえば今日あたりがこのブログ開始した日じゃなかったっけ? t-s.hatenablog.com とか思って見てみたら誕生日は…

泰山郡変遷

(中平)三年、舉高第、再遷、六年、拝太山太守。初平二年、黄巾三十萬衆入郡界。(應)劭糾率文武連與賊戰、前後斬首數千級、獲生口老弱萬餘人、輜重二千両、賊皆退却、郡内以安。興平元年、前太尉曹嵩及子徳從琅邪入太山、劭遣兵迎之、未到、而徐州牧陶謙…

買うかもしれないゲーム

t-s.hatenablog.comt-s.hatenablog.com 以前話題にした『ウィザードリィ外伝』、延期されていたが発売が決まったらしい。 ちょっと気になってる。買うかもしれない。 それはそれとして「Garb of Lords」を「Armor of Lords」に変更したことは今も納得してい…

いくつもの曲陽

志林曰、初順帝時、琅邪宮崇詣闕上師于吉所得神書於曲陽泉水上、白素朱界、號太平青領道、凡百餘卷。 (『三国志』巻四十六、孫策伝注引『志林』) かの于吉(干吉)は、「曲陽泉水」のほとりで謎の神書を手に入れた、という。 上曲陽。故屬常山。恒山在西北…

諸君!

張宗字諸君、南陽魯陽人也。王莽時、為縣陽泉郷佐。會莽敗、義兵起、宗乃率陽泉民三四百人起兵略地、西至長安、更始以宗為偏將軍。宗見更始政亂、因將家屬客安邑。 (『後漢書』列伝第二十八、張宗伝) この張宗という人物、字が「諸君」なのか。 当時から「…

毛玉

猫がパソコンに群がっているので、今日は何もできない。

幻の列侯

是歲廣饒侯劉京・車騎將軍千人扈雲・大保屬臧鴻奏符命。 京言齊郡新井、雲言巴郡石牛、鴻言扶風雍石、莽皆迎受。 十一月甲子、莽上奏太后曰「陛下至聖、遭家不造、遇漢十二世三七之阸、承天威命、詔臣莽居攝、受孺子之託、任天下之寄。臣莽兢兢業業、懼於不…

王莽時代の列侯

『漢書』外戚恩沢侯表などを見ていると、それまで列侯は一応地名に沿った名(「宜陵侯」「長平侯」のように)なのだが、平帝つまり王莽の時代になると急速に「扶徳侯」「広陽侯」「明統侯」といった、嘉名や何らかの意味を持たせた名の列侯が増えてきている…

今日も

疲れてるので、またいつかお会いしましょう。 ではさらば。

ひとこと

昨日の記事で前漢の王吉が廃止を訴えた「任子」とは任官法だが、一方で『三国志』などでは「任子」を「人質」の意味で使っていることが多い。 これは用法が変わったというより、任官としての「任子」も「太守などの高官の子弟を皇帝の近くに呼び寄せ、太守が…

王氏三代

(王)吉意以為・・・(中略)・・・又言「舜・湯不用三公九卿之世而舉皋陶・伊尹、不仁者遠。今使俗吏得任子弟、率多驕驁、不通古今、至於積功治人、亡益於民、此伐檀所為作也。宜明選求賢、除任子之令。外家及故人可厚以財、不宜居位。去角抵、減樂府、省…

3つの姓

煮棗侯乗昌為奉常。 (『漢書』巻十九下、百官公卿表下、景帝中三年) 煑棗端侯革朱 ・・・(中略)・・・ 孝景中二年侯昌嗣。二年、有罪、免。 (『漢書』巻十六、高恵高后文功臣表、煑棗端侯革朱) 景帝の頃、「煮棗侯」が奉常となったが、『漢書』百官公…

降嫁

(王)吉意以為「夫婦、人倫大綱、夭壽之萌也。世俗嫁娶太早、未知為人父母之道而有子、是以教化不明而民多夭。聘妻送女亡節、則貧人不及、故不舉子。又漢家列侯尚公主、諸侯則國人承翁主、使男事女、夫詘於婦、逆陰陽之位、故多女亂。古者衣服車馬貴賤有章…

なんだか

いつになく眠い。このまま長い眠りについてしまいそうなくらいだ。 明日、起きることができたらまた。