中国史

数日遅れ

既に過ぎてしまったが、「重陽節」というのがある。 陰陽の陽を象徴する数字「9」が重なる事から、9月9日がそれに当たる。 ところで、陽というと数字では「9」だが、性別で言えば「男」である。 つまり「重陽」とは「男と男が重なる」という事でもあるの…

10年以上前の訂正

「霊金内府」は剣の名前じゃなくて、宝物庫の名前です。『三輔黄図』の段落頭は三輔の施設名が置かれてるんで、ネットで通行してる説は、それを斬蛇剣の名前と誤読してるのだと思われます。https://t.co/1uIqtUdexJ— NAGAICHI Naoto (@nagaichi3) 2021年9月1…

謎の大中正

明帝好圍棊、置圍棊州邑、以建安王休仁為圍棊州都大中正、(王)諶與太子右率沈勃・尚書水部郎庾珪之・彭城丞王抗四人為小中正、朝請褚思莊・傅楚之為清定訪問。 (『南斉書』巻三十四、王諶伝) これ、「劉宋明帝は囲碁好きで、「囲碁州・邑」を置いて「囲…

分枝の時

昨日の朱氏の話について、以下のような意見をいただいた。沛国朱氏だと、ひょっとすると朱治とか朱然と同族かも分からんね。https://t.co/ZapbZyfsOI— Jominian (@Jominian) 2021年9月2日 朱氏出自曹姓。顓頊之後有六終、彦六子、其第五子曰安。周武王克商、…

ひとこと

中国の上古のいわゆる「五帝」。 少なくとも『史記』の五帝である黄帝・顓頊(黄帝の孫)・嚳(黄帝の曾孫)・堯(嚳の子=黄帝の玄孫)・舜(黄帝の七世孫)は、いずれも黄帝の子孫とされてるんだな。 堯と舜の間の譲位も、遠い親戚が本家を継ぐという漢の…

狩猟大好き君主の系譜

文帝受禪。(鮑)勛毎陳「今之所急、唯在軍農、寬惠百姓。臺榭苑囿、宜以為後。」 文帝將出游獵、勛停車上疏曰「臣聞五帝三王、靡不明本立教、以孝治天下。陛下仁聖惻隠、有同古烈。臣冀當繼蹤前代、令萬世可則也。如何在諒闇之中、修馳騁之事乎!臣冒死以聞…

聖人と賢人

度遼將軍鮮于輔進曰「平日醉客謂酒清者為聖人、濁者為賢人、(徐)邈性脩慎、偶醉言耳。」 (『三国志』巻二十七、徐邈伝) 『三国志』徐邈伝にある「澄んだ酒を「聖人」、濁った酒を「賢人」と呼ぶ」という話。 これ、少し前に記事にした「古の聖人や賢人は…

尚広

干寶晉紀曰、王濬治船於蜀、吾彦取其流柹以呈孫晧、曰「晉必有攻呉之計、宜增建平兵。建平不下、終不敢渡江。」晧弗從。陸抗之克歩闡、晧意張大、乃使尚廣筮并天下、遇同人之頤、對曰「吉。庚子歳青蓋當入洛陽。」故晧不脩其政、而恆有窺上國之志。是歲也實…

軍略家武王

是時、諸侯不期而會盟津者八百諸侯。諸侯皆曰「紂可伐矣。」武王曰「女未知天命、未可也。」乃還師歸。 居二年、聞紂昏亂暴虐滋甚、殺王子比干、囚箕子、太師疵・少師彊抱其樂器而犇周。 於是武王徧告諸侯曰「殷有重罪、不可以不畢伐。」乃遵文王、遂率戎車…

司馬法

軍禮司馬法百五十五篇。 (『漢書』巻三十、芸文志、六芸略、礼) 凡兵書五十三家、七百九十篇、圖四十三卷。省十家二百七十一篇重、入蹵𠮑一家二十五篇、出司馬法百五十五篇入禮也。 (『漢書』巻三十、芸文志、兵書略) へえ、『漢書』芸文志の分類では、…

アルハラ平原君

平原君與子高飲、強子高酒曰「昔有遺諺。堯・舜千鍾、孔子百觚、子路嗑嗑、尚飲十榼。古之賢聖、無不能飲也。吾子何辭焉。」 子高曰「以穿所聞、賢聖以道徳兼人、未聞以飲食也。」 平原君曰「即如先生所言、則此言何生。」 子高曰「生於嗜酒者。蓋其勸厲奬戲…

大虎だよ!孔丘先生

(孔)融集與(曹)操書云「酒之為徳久矣。古先哲王、類帝禋宗、和神定人、以濟萬國、非酒莫以也。故天垂酒星之燿、地列酒泉之郡、人著旨酒之徳。堯不千鍾、無以建太平。孔非百觚、無以堪上聖。・・・(後略)・・・ (『後漢書』列伝第六十、孔融伝注) あ…

景初暦の創設者

明帝時、尚書郎楊偉制景初暦、施用至于晉・宋。古之為暦者、鄧平能修舊制新、劉洪始減四分、又定月行遲疾、 楊偉斟酌両端、以立多少之衷、因朔積分設差、以推合朔月蝕。 (『宋書』巻十二、律暦志中) 傅子百二十卷晉司隸校尉傅玄撰。默記三卷、呉大鴻臚張儼…

所管がえ

王脩字叔治、北海營陵人也。 (『三国志』巻十一、王修伝) 三国時代の王修の出身營陵県は北海郡であった。 王裒字偉元、城陽營陵人也。祖修、有名魏世。父儀、高亮雅直、為文帝司馬。 (『晋書』巻八十八、孝友伝、王裒) だがその孫の王裒は城陽郡の營陵県…

メモ

子(裴)駰、南中郎參軍。 (『宋書』巻六十四、裴松之伝) 史記集解序、裴駰 【注】 索隠、駰字龍駒、河東人、宋中郎外兵參軍。父松之、太中大夫。 正義、裴駰採九經諸史并漢書音義及衆書之目而解史記、故題史記集解序。序、緒也。孫炎云謂端緒也。孔子作易…

儒から道へ

(鄭)玄質於辭訓、通人頗譏其繁。至於經傳洽孰、稱為純儒、齊魯閒宗之。其門人山陽郗慮至御史大夫、東萊王基・清河崔琰著名於世。又樂安國淵・任嘏、時並童幼、玄稱淵為國器、嘏有道徳、其餘亦多所鑒拔、皆如其言。 【注】 慮字鴻豫。基字伯輿、魏鎮南將軍…

曹丕と孔融

初、曹操攻屠鄴城、袁氏婦子多見侵略、而操子丕私納袁熙妻甄氏。融乃與操書、稱「武王伐紂、以妲己賜周公」。操不悟、後問出何經典。對曰「以今度之、想當然耳。」 (『後漢書』列伝第六十、孔融伝) 後漢末の孔融は曹操らによる袁氏婦女乱取り、ことに息子…

宗聖か崇聖か

正義、括地志云「漢封夫子十二代孫忠為褒成侯、生光、為丞相、封侯。平帝封孔霸孫莽二千戸為褒成侯。後漢封十七代孫志為褒成侯。魏封二十二代孫羨為崇聖侯。晉封二十三代孫震為奉聖亭侯。後魏封二十七代孫為崇聖大夫。孝文帝又封三十一代孫珍為崇聖侯、高齊…

幼き日の薄太后

薄太后、父呉人、姓薄氏、秦時與故魏王宗家女魏媼通、生薄姫。而薄父死山陰、因葬焉。 及諸侯畔秦、魏豹立為魏王、而魏媼内其女於魏宮。 (『史記』巻四十九、外戚世家、薄太后) 漢の文帝の母の薄太后の前半生、よく考えると微妙に謎だな。 父は呉の人だが…

項羽の親族

以客從漢王二年從起定陶、以大謁者撃布、侯、千戸。為淮陰守。項氏親也、賜姓。 (『史記』巻十八、高祖功臣侯者年表、桃侯劉襄) 漢の高祖の功臣の一人である桃侯劉襄は項羽の親族であるが、よくよく見ると高祖2年の段階で劉邦に従った事になっている。 つ…

都会人李信

李將軍廣者、隴西成紀人也。其先曰李信、秦時為將、逐得燕太子丹者也。故槐里、徙成紀。 (『史記』巻一百九、李将軍列伝) へえ、今まで気付かないでいたけど、李広の出身「隴西成紀」はどうやら李信以降の移住という感じのようだな。 いつまでかはわからな…

岑昬の先祖

岑氏出自姫姓。周文王異母弟耀子渠、武王封為岑子、其地梁國北岑亭是也。子孫因以為氏、世居南陽棘陽。後漢有征南大將軍・舞陽壯侯岑彭、字君然。生屯騎校尉・細陽侯遵。遵曾孫像、南郡太守。生晊、字公孝、黨錮難起、逃于江夏山中、徙居呉郡。生亮伯、亮伯…

呉に逃げた理由

項梁殺人、與籍避仇於呉中。 (『史記』巻七、項羽本紀) よく見ると、項羽の叔父項梁が呉に逃げていた理由ってのは「人を殺してその仇討から逃れるため」となってるな。 秦(官憲)に追われていたわけではなかったんだな。 おそらくは何らかの私的な理由の…

中央

昔者容成氏・大庭氏・伯皇氏・中央氏・栗陸氏・驪畜氏・軒轅氏・赫胥氏・尊盧氏・祝融氏・伏羲氏・神農氏、當是時也、民結繩而用之、甘其食、美其服、樂其俗、安其居、鄰國相望、雞狗之音相聞、民至老死而不相往來。 (『荘子』外篇、胠篋) 古の帝王たちの…

心臓を捧げよ

王子比干者、亦紂之親戚也。見箕子諫不聽而為奴、則曰「君有過而不以死爭、則百姓何辜!」乃直言諫紂。紂怒曰「吾聞聖人之心有七竅、信有諸乎?」乃遂殺王子比干、刳視其心。 (『史記』巻三十八、宋微子世家) 殷の紂王の時、その親戚つまり殷王の一族であ…

キリンが狂う

『麒麟が来る』という大河ドラマが終わった。 t-s.hatenablog.com 何休曰「麟者、太平之獸、聖人之類也。時得而死、此天亦告夫子將歿之證、故云爾。」 (『史記』巻四十七、孔子世家注、集解) 麒麟というのはどうやらちゃんとした時に出てこなければ逆に不…

お約束

最近あった元首相の発言の件、こんな事を思った。 元々、皇帝の地位に未練はなく、いったんは禅譲を辞退する腹を決めたが、皇帝陛下や大臣らの強い説得で思いとどまった。 方向性は逆だが、今も昔もこういうのが政治の世界の建前ってヤツなのかもしれないな…

ひとこと

あくまでも『三国演義』等の話であるが、劉備は大きな度量の人物として描かれ、関羽は美髯で有名で、張飛といえば酒好きで粗暴というイメージであろう。 よくよく考えてみると、この3人それぞれの属性は、漢の高祖劉邦が一人で全部兼ね備えているではないか…

劉太公の母

高祖、沛豐邑中陽里人、姓劉氏、字季。父曰太公、母曰劉媼。其先劉媼嘗息大澤之陂、夢與神遇。是時雷電晦冥、太公往視、則見蛟龍於其上。已而有身、遂産高祖。 (『史記』巻八、高祖本紀) 索隠、皇甫謐云「名執嘉。」王符云「太上皇名煓。」與湍同音。 正義…

玉印

衛宏曰、「秦以前以金・玉・銀為方寸璽。秦以來天子獨稱璽、又以玉、羣下莫得用。其玉出藍田山、題是李斯書、其文曰『受命于天、既壽永昌』、號曰傳國璽。漢高祖定三秦、子嬰獻之、高祖即位乃佩之。王莽篡位、就元后求璽、后乃出以投地、上螭一角缺。及莽敗…