中国史

いくつもの曲陽

志林曰、初順帝時、琅邪宮崇詣闕上師于吉所得神書於曲陽泉水上、白素朱界、號太平青領道、凡百餘卷。 (『三国志』巻四十六、孫策伝注引『志林』) かの于吉(干吉)は、「曲陽泉水」のほとりで謎の神書を手に入れた、という。 上曲陽。故屬常山。恒山在西北…

二人の距離感

『漢書』高帝紀つまり高祖劉邦の本紀には、劉氏は元は魏の人間で、梁の方にいたのだという話がある。 一方、項羽は自分の領土として梁の地を併合したらしい。だから梁を根城とした彭越が項羽と戦っているのだ。 劉邦の故地と、項羽の本拠地(にしようとした…

近所の獄掾

平陽侯曹參者、沛人也。秦時為沛獄掾、而蕭何為主吏、居縣為豪吏矣。 (『史記』巻五十四、曹相国世家) かの曹参は沛の獄掾で、蕭何ともども「豪吏」であったそうだ。 項梁嘗有櫟陽逮、乃請蘄獄掾曹咎書抵櫟陽獄掾司馬欣、以故事得已。 (『史記』巻七、項…

地元に戻る

項羽は「下相の人」とされているが、この下相というのはどうやら秦においては泗水郡にあった県らしい。 で、劉邦のいた沛というのも秦の泗水郡にあった。 ちなみにあの垓下も泗水郡にあったらしい。ついでに言うと劉邦が大敗した彭城もそうだったようだ。 つ…

夏侯陽

夏侯陽算經二卷。 (『隋書』巻三十四、経籍志三、子、暦数) 夏侯陽なる人物が著した算術の書があったそうだ。 時又有算學。大觀三年、禮部・太常寺請以文宣王為先師、兗・鄒・荊三國公*1配享、十哲從祀、自昔著名算數者畫像両廡、請加賜五等爵、隨所封以定…

有有白書

有若、少孔子四十三歲。 【注】 索隠、家語云「魯人、字子有、少孔子三十三歳。」今此傳云「四十二歳」、不知傳誤、又所見不同也? 正義、家語云「魯人、字有、少孔子三十三歳」、不同。 (『史記』巻六十七、孔子弟子列伝) 孔子こと孔丘先生の弟子のひとり…

弟子の名前

端沐賜だの言偃だの顓孫師だの澹臺滅明だの巫馬施だの公夏首だの奚容箴だの公肩定だの縣成だのと、『史記』孔子弟子列伝に記される孔丘先生の弟子たちの名前はどこで切るのか分からなかったりほかに聞いたことのない感じの氏だったり、なんか異質な感じがし…

南越の下地

(始皇)三十三年、發諸嘗逋亡人・贅壻・賈人略取陸梁地、為桂林・象郡・南海、以適遣戍。西北斥逐匈奴。自榆中並河以東、屬之陰山、以為四十四縣、城河上為塞。又使蒙恬渡河取高闕・陽山・北假中、築亭障以逐戎人。徙謫、實之初縣。禁不得祠。明星出西方。 …

大英帝国リスペクト

詔曰「故衡山王呉芮與子二人・兄子一人、從百粵之兵、以佐諸侯、誅暴秦、有大功、諸侯立以為王。項羽侵奪之地、謂之番君。其以長沙・豫章・象郡・桂林・南海立番君芮為長沙王。」 (『漢書』巻一下、高帝紀下、高祖五年) 秦已破滅、(趙)佗即撃并桂林・象…

ちょっと思ったこと

「字(あざな)」は「名」と連続して呼ばない、と言われている。 まあ例えばWikipedia先生とか。 自分もまあそうだろうとは思ってる。 しかし、例えば後漢末当時において「字と名は続けて呼んだりしない」といったことを明確に記している典拠というのはある…

甘徳

甘氏四七法一卷、甘徳。 (『新唐書』巻五十九、芸文志三、天文類) 甘徳長柳占夢二十卷。 (『漢書』巻三十、芸文志、術数略、雑占) 其諸侯之史、則魯有梓慎、晉有卜偃、鄭有裨竈、宋有子韋、齊有甘徳、楚有唐昧、趙有尹皋、魏有石申夫、皆掌著天文、各論…

数日遅れ

既に過ぎてしまったが、「重陽節」というのがある。 陰陽の陽を象徴する数字「9」が重なる事から、9月9日がそれに当たる。 ところで、陽というと数字では「9」だが、性別で言えば「男」である。 つまり「重陽」とは「男と男が重なる」という事でもあるの…

10年以上前の訂正

「霊金内府」は剣の名前じゃなくて、宝物庫の名前です。『三輔黄図』の段落頭は三輔の施設名が置かれてるんで、ネットで通行してる説は、それを斬蛇剣の名前と誤読してるのだと思われます。https://t.co/1uIqtUdexJ— NAGAICHI Naoto (@nagaichi3) 2021年9月1…

謎の大中正

明帝好圍棊、置圍棊州邑、以建安王休仁為圍棊州都大中正、(王)諶與太子右率沈勃・尚書水部郎庾珪之・彭城丞王抗四人為小中正、朝請褚思莊・傅楚之為清定訪問。 (『南斉書』巻三十四、王諶伝) これ、「劉宋明帝は囲碁好きで、「囲碁州・邑」を置いて「囲…

分枝の時

昨日の朱氏の話について、以下のような意見をいただいた。沛国朱氏だと、ひょっとすると朱治とか朱然と同族かも分からんね。https://t.co/ZapbZyfsOI— Jominian (@Jominian) 2021年9月2日 朱氏出自曹姓。顓頊之後有六終、彦六子、其第五子曰安。周武王克商、…

ひとこと

中国の上古のいわゆる「五帝」。 少なくとも『史記』の五帝である黄帝・顓頊(黄帝の孫)・嚳(黄帝の曾孫)・堯(嚳の子=黄帝の玄孫)・舜(黄帝の七世孫)は、いずれも黄帝の子孫とされてるんだな。 堯と舜の間の譲位も、遠い親戚が本家を継ぐという漢の…

狩猟大好き君主の系譜

文帝受禪。(鮑)勛毎陳「今之所急、唯在軍農、寬惠百姓。臺榭苑囿、宜以為後。」 文帝將出游獵、勛停車上疏曰「臣聞五帝三王、靡不明本立教、以孝治天下。陛下仁聖惻隠、有同古烈。臣冀當繼蹤前代、令萬世可則也。如何在諒闇之中、修馳騁之事乎!臣冒死以聞…

聖人と賢人

度遼將軍鮮于輔進曰「平日醉客謂酒清者為聖人、濁者為賢人、(徐)邈性脩慎、偶醉言耳。」 (『三国志』巻二十七、徐邈伝) 『三国志』徐邈伝にある「澄んだ酒を「聖人」、濁った酒を「賢人」と呼ぶ」という話。 これ、少し前に記事にした「古の聖人や賢人は…

尚広

干寶晉紀曰、王濬治船於蜀、吾彦取其流柹以呈孫晧、曰「晉必有攻呉之計、宜增建平兵。建平不下、終不敢渡江。」晧弗從。陸抗之克歩闡、晧意張大、乃使尚廣筮并天下、遇同人之頤、對曰「吉。庚子歳青蓋當入洛陽。」故晧不脩其政、而恆有窺上國之志。是歲也實…

軍略家武王

是時、諸侯不期而會盟津者八百諸侯。諸侯皆曰「紂可伐矣。」武王曰「女未知天命、未可也。」乃還師歸。 居二年、聞紂昏亂暴虐滋甚、殺王子比干、囚箕子、太師疵・少師彊抱其樂器而犇周。 於是武王徧告諸侯曰「殷有重罪、不可以不畢伐。」乃遵文王、遂率戎車…

司馬法

軍禮司馬法百五十五篇。 (『漢書』巻三十、芸文志、六芸略、礼) 凡兵書五十三家、七百九十篇、圖四十三卷。省十家二百七十一篇重、入蹵𠮑一家二十五篇、出司馬法百五十五篇入禮也。 (『漢書』巻三十、芸文志、兵書略) へえ、『漢書』芸文志の分類では、…

アルハラ平原君

平原君與子高飲、強子高酒曰「昔有遺諺。堯・舜千鍾、孔子百觚、子路嗑嗑、尚飲十榼。古之賢聖、無不能飲也。吾子何辭焉。」 子高曰「以穿所聞、賢聖以道徳兼人、未聞以飲食也。」 平原君曰「即如先生所言、則此言何生。」 子高曰「生於嗜酒者。蓋其勸厲奬戲…

大虎だよ!孔丘先生

(孔)融集與(曹)操書云「酒之為徳久矣。古先哲王、類帝禋宗、和神定人、以濟萬國、非酒莫以也。故天垂酒星之燿、地列酒泉之郡、人著旨酒之徳。堯不千鍾、無以建太平。孔非百觚、無以堪上聖。・・・(後略)・・・ (『後漢書』列伝第六十、孔融伝注) あ…

景初暦の創設者

明帝時、尚書郎楊偉制景初暦、施用至于晉・宋。古之為暦者、鄧平能修舊制新、劉洪始減四分、又定月行遲疾、 楊偉斟酌両端、以立多少之衷、因朔積分設差、以推合朔月蝕。 (『宋書』巻十二、律暦志中) 傅子百二十卷晉司隸校尉傅玄撰。默記三卷、呉大鴻臚張儼…

所管がえ

王脩字叔治、北海營陵人也。 (『三国志』巻十一、王修伝) 三国時代の王修の出身營陵県は北海郡であった。 王裒字偉元、城陽營陵人也。祖修、有名魏世。父儀、高亮雅直、為文帝司馬。 (『晋書』巻八十八、孝友伝、王裒) だがその孫の王裒は城陽郡の營陵県…

メモ

子(裴)駰、南中郎參軍。 (『宋書』巻六十四、裴松之伝) 史記集解序、裴駰 【注】 索隠、駰字龍駒、河東人、宋中郎外兵參軍。父松之、太中大夫。 正義、裴駰採九經諸史并漢書音義及衆書之目而解史記、故題史記集解序。序、緒也。孫炎云謂端緒也。孔子作易…

儒から道へ

(鄭)玄質於辭訓、通人頗譏其繁。至於經傳洽孰、稱為純儒、齊魯閒宗之。其門人山陽郗慮至御史大夫、東萊王基・清河崔琰著名於世。又樂安國淵・任嘏、時並童幼、玄稱淵為國器、嘏有道徳、其餘亦多所鑒拔、皆如其言。 【注】 慮字鴻豫。基字伯輿、魏鎮南將軍…

曹丕と孔融

初、曹操攻屠鄴城、袁氏婦子多見侵略、而操子丕私納袁熙妻甄氏。融乃與操書、稱「武王伐紂、以妲己賜周公」。操不悟、後問出何經典。對曰「以今度之、想當然耳。」 (『後漢書』列伝第六十、孔融伝) 後漢末の孔融は曹操らによる袁氏婦女乱取り、ことに息子…

宗聖か崇聖か

正義、括地志云「漢封夫子十二代孫忠為褒成侯、生光、為丞相、封侯。平帝封孔霸孫莽二千戸為褒成侯。後漢封十七代孫志為褒成侯。魏封二十二代孫羨為崇聖侯。晉封二十三代孫震為奉聖亭侯。後魏封二十七代孫為崇聖大夫。孝文帝又封三十一代孫珍為崇聖侯、高齊…

幼き日の薄太后

薄太后、父呉人、姓薄氏、秦時與故魏王宗家女魏媼通、生薄姫。而薄父死山陰、因葬焉。 及諸侯畔秦、魏豹立為魏王、而魏媼内其女於魏宮。 (『史記』巻四十九、外戚世家、薄太后) 漢の文帝の母の薄太后の前半生、よく考えると微妙に謎だな。 父は呉の人だが…