中国史

500年前の君から

昨日の話だが、呉の孫権は「だいたい500年だろ」と始皇帝の時の500年後を自分の時代と言い張り、東晋の人である孫盛は「どうかんがえてもこっちが500年だろ」と自分の時代と言い張る。 まあどっちもどっち感が無くもない。 あと、なんなら同じ呉で…

500年後の君へ

始秦時望氣者云「五百年後金陵有天子氣」、故始皇東遊以厭之、改其地曰秣陵、塹北山以絶其勢。 及孫權之稱號、自謂當之。 孫盛以為始皇逮于孫氏四百三十七載、考其暦數、猶為未及。元帝之渡江也、乃五百二十六年、真人之應在于此矣。 (『晋書』巻六、元帝紀…

ひとこと

『続漢書』五行志では「淫雨」や「大水」は乱や変事の前兆のように言われるのか。 大雨で遅くまで仕事から帰れなかった翌日にふと思うの巻。

ひとこと

昨今の世界情勢だったりこの国だったりの色々な話などを見聞きしていると、「近現代でもこんなんだから、古代や三国時代やらの中国なんかも、勢力ごとに主張がまるで違ったり、ある事件などが後から無かったことになったり、びっくりするほど美化されていた…

共和政体

於是國莫敢出言、三年、乃相與畔、襲厲王。厲王出奔於彘。 ・・・(中略)・・・ 召公・周公二相行政、號曰「共和 」。共和十四年、厲王死于彘。太子靜長於召公家、二相乃共立之為王、是為宣王。 【注】 索隠、共音如字。若汲冢紀年則云「共伯和干王位」。共…

李さん一家華麗な経歴(メモ)

いわゆる隴西成紀の李氏の系譜、いわゆる正史に収録される順番だと『北史』序伝、『晋書』涼武昭王李玄盛伝(李暠)、『新唐書』宗室世系表上という順番になるのかな? 細かく見ていったりはしてないが、だんだん変わっていってたりする部分とかあるんかな・…

ひとこと

ふと思ったんだが、項羽が追い詰められた時に「四面楚歌」って言ってるけど、項羽ってもともと楚の大将の宋義を殺してるし、争った劉邦も所属は楚だったわけだし、主な敵が「楚」だった時期が長いよな。 最初からそこそこ「四面楚歌」だったんじゃないか?

悪役皇后に殺されて猫に転生しました。悪役皇后は鼠に転生しましたが謝られてももう遅い。

至(蕭)良娣、罵曰「武氏狐媚、飜覆至此!我後為猫、使武氏為鼠、吾當扼其喉以報。」后聞、詔六宮毋畜猫。 (『新唐書』巻七十六、后妃伝上、高宗王皇后) 唐の皇帝高宗の寵姫のひとり蕭良娣は、武后の命によって捕らえられるというときに「私はネッコに転…

わけがわからないこと

『史記』で劉邦のことは「姓劉氏」と明記され、孔丘先生のことは「姓孔氏」と明記されている。 みんな大好き始皇帝さんは『史記』秦始皇本紀で「姓趙氏」と明記されてるし、秦本紀でも先祖について「姓趙氏」と書かれているはずなのに、なぜかあまり「趙政」…

ひとこと

色々考えていくと、王朝交代についてスタンダードと言える手順などが確立していたわけでもない後漢末において、殷周革命をトレースして放伐(後漢皇帝をぶっ●ろす)も視野に入れながら、太古の理想と王莽のプロトタイプしかなかった禅譲を改良して王朝交代の…

放伐も可

魏氏春秋曰、夏侯惇謂王曰「天下咸知漢祚已盡、異代方起。自古已來、能除民害為百姓所歸者、即民主也。今殿下即戎三十餘年、功徳著於黎庶、為天下所依歸、應天順民、復何疑哉!」王曰「『施于有政、是亦為政』。若天命在吾、吾為周文王矣。」 (『三国志』巻…

藁の家

『史記』や『漢書』は本紀、表、志(書)、列伝を備え、巻末に編者とその華麗なる一族について記す「自序」を付した史書であった。 陳寿『三国志』や范曄『後漢書』は表や志が少なくとも残っておらず、「自序」も無かった。 それらに対し、いわゆる「正史」…

『史記』の後継者

『史記』と『漢書』にはあって『後漢書』や『三国志』や『晋書』にはない。 しかし『宋書』にはあるもの。

秦将になっていたかもしれない

項梁殺人、與(項)籍避仇於呉中。 (『史記』巻七、項羽本紀) 項羽の叔父項梁は人を殺し、仇を避けて呉へ逃げたのだ、という。 どんな理由や経緯かはわからないが、項梁は人を殺した割に秦からは追われていたわけではなく、私的な「仇」が追跡していたよう…

提案

白起、項羽、曹操といった豪華メンバーが行ったことで知られる「降伏者の大量坑殺」のことを「坑殺(シズ)める」と呼ぶと、なんとなくそこまでエグイことじゃないんじゃないか・・・って気分になれそうな気がするのでオススメ。

ひとこと

魏や後晋に「出帝」と呼ばれる皇帝がいるが、これ諡号じゃなくて通称でいいのかな?

シュレジンガーの皇帝

三月戊午朔、日有食之。 庚申、幸宛、帝不豫。 辛酉、令大將軍耿寶行太尉事、祠章陵園廟、告長沙・零陵太守、祠定王・節侯・鬱林府君。 乙丑、自宛還。 丁卯、幸葉、帝崩于乗輿、年三十二。 祕不敢宣、所在上食問起居如故。 庚午、還宮。 辛未夕、乃發喪。 …

射と謝

孫休字子烈、(孫)權第六子。年十三、從中書郎射慈・郎中盛沖受學。 (『三国志』巻四十八、孫休伝) 傅相謝慈等諫(孫)奮、奮殺之。 【注】 慈字孝宗、彭城人、見禮論、撰喪服圖及變除行於世。 (『三国志』巻五十九、孫奮伝) 喪服要記一卷、蜀丞相蔣琬…

トラになった私

至紂之時、理徴字徳靈、為翼隸中呉伯、以直道不容於紂、得罪而死。其妻陳國契和氏與子利貞逃難於伊侯之墟、食木子得全、遂改理為李氏。 (『新唐書』巻七十上、宗室世系表上) 昨日の記事だけど、「理氏」が「李氏」に改姓するきっかけとなった人物、「理徴…

理氏

李氏出自嬴姓。帝顓頊高陽氏生大業、大業生女華、女華生皋陶、字庭堅、為堯大理。生益、益生恩成、歴虞・夏・商、世為大理、以官命族為理氏。至紂之時、理徴字徳靈、為翼隸中呉伯、以直道不容於紂、得罪而死。其妻陳國契和氏與子利貞逃難於伊侯之墟、食木子…

成紀出身の有名人

帝王世記曰「庖犧氏生於成紀。」 (『続漢書』志第二十三、郡国志五、涼州、漢陽郡、成紀、注引『帝王世記』) あの李広・李陵や李徴(トラ)なんかの隴西(漢陽)成紀の李氏の本貫である、漢陽郡成紀県は、あの「庖犧」(伏犠)が生まれた地だとされている…

始興県

t-s.hatenablog.com 惠帝分隴西之狄道・臨洮・河關、又立洮陽・遂平・武街・始興・第五・真仇六縣、合九縣置狄道郡、屬秦州。張駿分屬涼州、又以狄道縣立武始郡。江左分梁為秦、寄居梁州、又立氐池為北秦州。 (『晋書』巻十四、地理志上、秦州) 先日の記事…

ひとこと

へえ、劉宋頃の「僑郡」に「北扶風」とか「西扶風」なんてものもあったのか。 本場「扶風」も別にあったらしい(南陽郡あたりに置かれた)ので、「北」や「西」は南陽にあった僑郡の扶風から見ての方角だったのかな・・・?

じょうじ

散騎常侍、四人。掌侍左右。秦置散騎、又置中常侍。散騎並乗輿車後。中常侍得入禁中。皆無員、並為加官。 漢東京初省散騎、而中常侍因用宦者。 魏文帝黄初初置散騎、合於中常侍、謂之散騎常侍、始以孟達補之。久次者為祭酒散騎常侍、秩比二千石。 (『宋書』…

高陸と高陵

京兆郡。漢置。統縣九、戸四萬。 長安。杜陵。霸城。藍田。高陸。萬年、故櫟陽縣。新豐。陰般。鄭、周宣王弟鄭桓公邑。 (『晋書』巻十四、地理志上、雍州、京兆郡) 晋の頃、京兆郡に「高陸」という県があった。昨日の「高陸公主」の領土はここではなかろう…

4メートル級巨人

袁宏漢紀「浮屠、佛也、西域天竺國有佛道焉。佛者、漢言覺也、將以覺悟羣生也。其教以脩善慈心為主、不殺生、專務清靜。其精者為沙門。沙門、漢言息也、蓋息意去欲而歸于無為。又以為人死精神不滅、隨復受形、生時善惡皆有報應、故貴行善修道、以鍊精神、以…

ひとこと

昨日の話だけど、董卓の遺産を見つけたけどすぐ死んだ邢巒って、その遺産の中にあった「丹砂」=硫化水銀で何かして体を害したんだったりして・・・。

董卓の遺産

寺北有永和里、漢太師董卓之宅也。里南北皆有池、卓之所造。今猶有水、冬夏不竭。 里中有太傅録尚書事長孫稚・尚書右僕射郭祚・吏部尚書邢巒・廷尉卿元洪超・衛尉卿許伯桃・涼州刺史尉成興等六宅。 皆高門華屋、齋館敞麗、楸槐蔭途、桐楊夾植、當世名為貴里…

かわいそうな獅子

獅子者波斯國胡王所獻也。為逆賊万俟醜奴所獲、留於寇中。永安末醜奴破滅、始達京師。 莊帝謂侍中李彧曰、朕聞虎見獅子必伏、可覔試之。於是詔近山郡縣捕虎以送。鞏縣・山陽並送二虎・一豹。帝在華林園觀之、於是虎・豹見獅子悉皆瞑目不敢仰視。園中素有盲熊…

ひとこと

秦は周を滅ぼしているが、その後は天子がいない時代になったとされるらしい。 古代中国において、天子は常に必ず存在するというものでもないということだ。 天子を名乗っていても本物たる資格がない紛い物しか無い時代は、古代の観念で言えば天子のいない時…