中国史

先進事例

王莽は漢の元帝に「高宗」、成帝に「統宗」、平帝に「元宗」という廟号を贈っている。 これにより、前漢の皇帝は特別な廟号を持たない者の方が少ない状態になっている。 後の時代に皇帝廟に残らず廟号が贈られるようになるのは、王莽が嚆矢だと言えるのでは…

ひとこと

梁の儒者に「皇侃」という者がいる。 この姓「皇」をもし「おう」と読むなら呉の「皇象」(皇侃の子孫とされる)は「おうしょう」と読むべきだろうし、皇象を「こうしょう」と読むなら皇侃の姓も「こう」と読むべきじゃないだろうか。

ハイパー暴君

魏明帝景初元年九月、淫雨過常、冀・兗・徐・豫四州水出、沒溺殺人、漂失財産。 帝自初即位、便淫奢極欲、多占幼女、或奪士妻、崇飾宮室、妨害農戰、觸情恣欲、至是彌甚、號令逆時、饑不損役。此水不潤下之應也。 (『宋書』巻三十三、五行志四、水) 以前に…

違和感

太史公曰、夏之政忠。忠之敝、小人以野、故殷人承之以敬。敬之敝、小人以鬼、故周人承之以文。文之敝、小人以僿、故救僿莫若以忠。三王之道若循環、終而復始。周秦之閒、可謂文敝矣。秦政不改、反酷刑法、豈不繆乎?故漢興、承敝易變、使人不倦,得天統矣。…

一系

五帝は全員が黄帝の血統。 夏も殷も周も創始者は黄帝の血統ということになっている。 ついでに漢の劉邦も黄帝の血統ということになる。 つまり黄帝の子孫が代々天子になっていると言える。 これ、例えばイギリスの王家がずっと血縁者によって継承されてきた…

劇県

(九月)丁丑、詔曰「自今長吏被考竟未報、自非父母喪無故輒去職者、劇縣十歳、平縣五歳以上、乃得次用。」 (『後漢書』紀第五、孝安帝紀、永初元年) どうでもいいことかもしれんが、「劇県」というと上記のように「統治困難な県」といった意味の行政用語…

魏武の兵書

『隋書』経籍志によると魏武こと曹操が記した兵書として「續孫子兵法二卷」「兵書接要十卷」「兵書略要九卷」「魏武帝兵法一卷」といったものが伝わっているのか。 注釈だけではなくて『孫子兵法』の二次創作続編も作ったらしい。 以前記事にした曹操自作兵…

新たな諡法

漢王朝の初代皇帝劉邦は「高皇帝」という諡号を贈られたとされ、この「高」は従来の諡法になかった字なのだとか。 また、孫呉の初代皇帝孫権は「大皇帝」という諡号を贈られたとされ、この「大」もそれまでの諡法では見かけなかった字であるように思われる。…

『三国志』と『魏略』

昨日の話の後で思ったが、「儒林伝」や「酷吏伝」といった伝は立てない陳寿『三国志』も、「儒林伝」ではなく「儒宗伝」、「酷吏伝」ではなく「苛吏伝」と敢えてズラしてくる『魏略』も、前後のいわゆる正史などの形式からすると、どっちもなかなかに癖が強…

『三国志』に出てこない人物

大漢輿服志一卷。魏博士董巴撰。 (『隋書』巻三十三、経籍志二、史、儀注篇) 魏の博士董巴は『輿服志』を著していて、『後漢書』注などでしばしば引用されている。 おそらくこの書を司馬彪『続漢書』輿服志が大いに参考にしたのだと思う。 この董巴は『三…

NGリスト

中国の百官による集議とか御前での朝議とか、諫官なんかが命がけっぽいカッコいい正論を述べて大臣や皇帝が言い負かされる、みたいな話があったりするが、あれも何割かは「あの諫臣を指名する」とか「あの列は指名しない」とか事前に決まっていたりしたんだ…

ひとこと(奉常)

漢の九卿の一つに「太常」というのがあるが、もとは「奉常」であったとされる。 「奉常」が「太常」になった真相って、「奉」がよく「泰」に間違われて半ば定着したところに、更に「泰」が「太」に通じる、ということで「奉常」→「泰常」→「太常」に変わった…

朱育の字

朱嗣卿幼學篇一卷。 (『新唐書』巻五十七、芸文志一、甲部経録、小学類) 又幼學二卷、朱育撰。 (『隋書』巻三十二、経籍志一、経、小学) 上記の記述から考えると、かの呉の朱育は字「嗣卿」ということなのだろう。 「幼学」ということは字を学ぶための書…

太叔

東平太叔廣樞機清辯、廣談、(摯)虞不能對。虞筆、廣不能答。更相嗤笑、紛然於世云。 (『晋書』巻五十一、摯虞伝) 「太叔」という姓があったらしい。 『隋書』経籍志一に「毛詩譜二卷、太叔求及劉炫注」というのもあるので、これも同じ姓なのだろう。たぶ…

ひとこと

中国の「金氏」というと漢武の時の「金日磾」(匈奴だった)が有名だが、ほかにも武帝の母の最初の夫である「金王孫」というのもいる。 つまり「金日磾」の一族ではない「金氏」もいたことになる。 有名になった「金日磾」系の「金氏」だと自称していただけ…

綦毋氏

其國人有綦毋氏・勒氏、皆勇健、好反叛。 (『晋書』巻九十七、北狄伝) 交阯刺史上虞綦毋俊 (『三国志』巻五十七、虞翻伝注引『会稽典録』) 上記『晋書』では匈奴の氏として「綦毋氏」というのがいたことになっているが、下記『会稽典録』によれば呉にお…

小さな疑問

そういえば、どういうのを「妖賊」って呼んだんだろう? 具体的な定義はあるんだろうか?

誰の子孫か

王沈魏書曰、其先出於黄帝。當高陽世、陸終之子曰安、是為曹姓。周武王克殷、存先世之後、封曹俠於邾。春秋之世、與於盟會、逮至戰國、為楚所滅。子孫分流、或家於沛。 (『三国志』巻一、武帝紀注引『魏書』) 曹姓出自顓頊。五世孫陸終第五子安、為曹姓、…

曹氏の由来

そういえば、この話の後にふと思ったが、劉邦の先祖は戦国魏の出だとされているんだった。 その劉氏と同郷の曹氏も同様に、「邾に封建された黄帝の末裔」ではなく戦国魏と関係が深い家なのだ、というのが高堂隆の主張だったりして。 というか、そもそも曹参…

王莽と曹操の共通点

初、侍中高堂隆論郊祀事、以魏為舜後、推舜配天。(蔣)濟以為舜本姓媯、其苗曰田、非曹之先、著文以追詰隆。 (『三国志』巻十四、蔣濟伝) へえ、高堂隆は魏の曹氏を舜の子孫と認定しようとしたのか。 公式には魏の曹氏は邾に封建された黄帝の末裔というこ…

曹操称帝積極説

西伯陰行善、諸侯皆來決平。於是虞・芮之人有獄不能決乃如周。入界、耕者皆讓畔、民俗皆讓長。虞・芮之人未見西伯、皆慙、相謂曰「吾所爭、周人所恥。何往為、祇取辱耳。」遂還、倶讓而去。諸侯聞之曰「西伯蓋受命之君」。 ・・・(中略)・・・ 詩人道、西…

似てる

昨日の話、なんか覚えがあると思ったら、これ「ドラゴンクエスト」でラダトーム城を出るとすぐに竜王の城が見える、みたいな話なのかもしれない。 なんか違うかもしれないが。

ひとこと(昨日の続き)

そういえば、劉邦の最後の戦いで、死去の原因とも言う英布(黥布)との戦いの場も実は沛のあたりなんだった。 劉邦は挙兵も最大のライバル項羽との決戦も最後の戦いも、全部生まれ故郷の沛近辺だったことになるのか?

ひとこと

少し思ったが、劉邦の出身の沛、項羽の本拠となった彭城、項羽と劉邦の決戦の地となった垓下、これらは驚くほど近くにあるんだな。 また項羽時代にはこのあたりは全て項羽の支配下になっていたはずなので、項羽は5年もたたないうちに2度も本拠に攻め込まれ…

楚王襄彊

葛嬰至東城、立襄彊為楚王。嬰後聞陳王已立、因殺襄彊、還報。至陳、陳王誅殺葛嬰。 (『史記』巻四十八、陳渉世家) 陳勝(陳渉)が蜂起した時、その別動隊となった葛嬰*1は「襄彊」なる人物を楚王に立てたが、陳勝が楚王になったと知るとその襄彊を殺して…

項羽の計算

昨日の魏三分の話だけど、項羽が取る範囲と元の魏王である西魏王魏豹の間に、元は趙将という殷王司馬卬を挟んでいるの、なかなか計算された配置かもしれない。 魏豹が失地回復を図ろうと項羽を攻撃しようとしても、間に殷王司馬卬がいるから直接攻撃はしにく…

魏三分の計

項羽の時代(数年しかないが)、本の魏地は西魏王魏豹、殷王司馬卬に分割されたと『史記』秦楚之際月表は言っていたと思うが、これ実は項羽も魏地の一部を併合していて、魏は二分じゃなくて三分されていたんじゃないのか? 西魏王は後の河東郡あたり、殷王は…

ひとこと(項羽と魏)

昨日の記事の後に思ったが、項羽は魏王豹から梁の地を奪ったことで西楚の隣国である西魏王(魏王豹)の離反を招き、梁の地を支配しようとしたことで彭越に悩まされることになったんじゃないだろうか? 梁の地を巡って項羽は自ら足元の混乱を招いたんじゃない…

項生

丁寬字子襄、梁人也。初、梁項生從田何受易、時寬為項生從者、讀易精敏、材過項生、遂事何。 (『漢書』巻八十八、儒林伝) 前漢の梁に「項生」という儒者がいたそうな。 梁というと、かの項羽の本拠だった場所(自分の国「西楚」は梁を含んでいたらしい)。…

ひとこと

シルクロードの「楼蘭」、これが前漢時代の名である「鄯善」で呼ばれ続けてたら、知名度や注目度は全然違ってそうだな・・・。 なんとなく。