中国史

『晋諸公賛』

傅暢晉諸公贊曰 (『三国志』巻四、高貴郷公髦紀注) 昨日の記事で出した『晋諸公賛』を記したのは「傅暢」というヤツらしい。 (傅)祗字子莊。父嘏、魏太常。・・・(中略)・・・祗自以義誠不終、力疾手筆敕厲其二子宣・暢、辭旨深切、覽者莫不感激慷慨。…

台崇の子孫

臺産字國儁、上洛人、漢侍中崇之後也。少專京氏易、善圖讖・祕緯・天文・洛書・風角・星算・六日七分之學、尤善望氣・占候・推歩之術。隠居商洛南山、兼善經學、汎情教授、不交當世。 (『晋書』巻九十五、芸術伝、台産) (八月)辛亥、鎮東將軍曹操自領司…

呉録曰、皇象字休明、廣陵江都人。幼工書。 (『三国志』巻六十三、趙達伝注引『呉録』) 皇侃、呉郡人。青州刺史皇象九世孫也。侃少好學、師事賀瑒、精力專門、盡通其業、尤明三禮・孝經・論語。 (『梁書』巻四十八、儒林伝、皇侃) 三国呉に「皇象」とい…

『魏略』知足伝

魚豢魏略知足傳、方田・徐於管・胡、則其道本異。 (『梁書』巻五十二、止足伝) ほう、魚豢『魏略』には「知足伝」という伝があったのか。 「田・徐」「管・胡」は誰の事だろうか? 田疇・徐邈(曹操による封爵を辞退した田疇、三公への叙任を辞退した徐邈…

呂政と班固

孝明皇帝十七年十月十五日乙丑、曰 周曆已移、仁不代母。秦直其位、呂政殘虐。然以諸侯十三、并兼天下、極情縱欲、養育宗親。・・・(後略)・・・ 【正義】班固典引云、後漢明帝永平十七年詔問班固「太史遷贊語中寧有非邪?」班固上表陳秦過失及賈誼言答之…

謎の都尉

(陳)平遂至修武降漢、因魏無知求見漢王、漢王召入。是時萬石君奮為漢王中涓、受平謁、入見平。平等七人倶進、賜食。王曰「罷、就舍矣。」平曰「臣為事來、所言不可以過今日。」於是漢王與語而説之、問曰:「子之居楚何官?」曰「為都尉。」是日乃拜平為都…

根掘り葉掘り

黥布者、六人也。 (『史記』巻九十一、黥布列伝) 『史記』黥布列伝の・・・「黥布者、六人也」ってよォ~ 「黥布者」ってのはわかる・・・スゲーよくわかる。 姓は英でもイレズミがあるからな・・・。 だが『六人也』って部分はどういうことだああ~~~~…

内史騰について

十六年九月、發卒受地韓南陽假守騰。 初令男子書年。 魏獻地於秦。 秦置麗邑。 十七年、内史騰攻韓、得韓王安、盡納其地、以其地為郡、命曰潁川。 (『史記』巻六、秦始皇本紀) 十六 置麗邑。發卒受韓南陽。 十七 内史騰擊得韓王安、盡取其地、置潁川郡。華…

仲長統『昌言』法誡篇を読んでみよう:その1

損益篇の次は法誡篇。

名を如何せん

「虞美人」と呼ばれる人物がいる。 かの有名な項羽の寵姫と思われる人物である。 この人物は、『史記』においては以下の有名な場面に出てくる。 項王軍壁垓下、兵少食盡、漢軍及諸侯兵圍之數重。 夜聞漢軍四面皆楚歌、項王乃大驚曰「漢皆已得楚乎?是何楚人…

禅譲か放伐か

前回の魏公と魏王について。 帝位の禅譲を受けるのは王でなければならない、という決まりは本来は無いはずだ。例えば尭や舜は少なくとも王とは言われていないように思われる。 だが、ここで一つ思った。 殷を放伐により滅ぼした周は、王を名乗っていたではな…

次国

晉文帝為晉王、命裴秀等建立五等之制。 惟安平郡公孚邑萬戸、制度如魏諸王。其餘縣公邑千八百戶、地方七十五里。大國侯邑千六百戸、地方七十里。次國侯邑千四百戸、地方六十五里。大國伯邑千二百戶、地方六十里。次國伯邑千戸、地方五十五里。大國子邑八百戸…

老いてますます盛ん

以門尉前元年初起碭、至霸上、為武定君、入漢、還定三秦、以都尉撃項羽、侯。 六年、侯昭元年。九年、侯昭有罪、國除。 孝景三年、昭以故芒侯將兵從太尉亞夫撃呉楚有功、復侯。 後元年三月、侯申元年。 (『史記』巻十八、高祖功臣侯者年表、芒) 以門尉前元…

縦横家龐煖

蘇子三十一篇。名秦、有列傳。 張子十篇。名儀、有列傳。 龐煖二篇。為燕將。 (『漢書』巻三十、芸文志、縦横家) 『漢書』芸文志の縦横家の書の中に出てくる「龐煖」というのは、戦国趙の末期に出てくる龐煖なのだろうか? 『漢書』の自注では「燕将」とな…

皇氏

皇侃、呉郡人、青州刺史皇象九世孫也。侃少好學、師事賀瑒、精力專門、盡通其業、尤明三禮・孝經・論語。 ・・・(中略)・・・ 所撰論語義十卷、與禮記義並見重於世、學者傳焉。 (『梁書』巻四十八、儒林伝、皇侃) 呉録曰、皇象字休明、廣陵江都人。幼工…

幸霊の霊能力

(幸)靈所救愈多此類、然不取報謝。行不騎乗、長不娶妻、性至恭、見人即先拝、言輒自名。凡草木之夭傷於山林者、必起理之、器物之傾覆於途路者、必舉正之。周旋江州間、謂其士人曰「天地之於人物、一也、咸欲不失其情性、奈何制服人以為奴婢乎!諸君若欲享…

ひとこと

『史記』や『漢書』を「紀伝体」と称することがあるが、「本紀・表・書・列伝」の『史記』や「本紀・表・志・伝」の『漢書』は「紀表書伝体」とか「紀表志伝体」と呼ぶべきなのでは?

孔将軍の正体

家之族胤、一世相承、以至九世、相魏、居大梁。 始有三子焉、長子之後、承殷統、為宋公。 中子之後、奉夫子祀、為褒成侯。 小子之後彦、以將士高祖、有功、封蓼侯。 其子臧嗣焉、歴位九卿、遷御史大夫、辭曰「臣世以經學為業、家傳相承、作為訓法。然今俗儒…

樊城の過去

樊宏字靡卿、南陽湖陽人也、世祖之舅。 其先周仲山甫、封于樊、因而氏焉、為郷里著姓。 (『後漢書』列伝第二十二、樊宏伝) 城北枕沔水、即襄陽縣之故城也。・・・(中略)・・・東對樊城。樊、仲山甫所封也。 (『水経注』沔水) 襄陽と川を挟んで向かいに…

九尺様

生而首上圩頂、故因名曰丘云。 【注】 索隱、圩音烏。頂音鼎。圩頂言頂上窳也、故孔子頂如反宇。反宇者、若屋宇之反、中低而四傍高也。 (『史記』巻四十七、孔子世家) 孔子長九尺有六寸、人皆謂之「長人」而異之。 (『史記』巻四十七、孔子世家) 孔子こ…

五業従事

周易五卷。漢荊州牧劉表章句。梁有漢荊州五業從事宋忠注周易十卷、亡。 (『隋書』巻三十二、経籍志一、経、易) ここに出てくる「荊州五業從事宋忠」というのは後漢末に劉表の元にいた南陽の宋忠の事だろうか? だとすると「荊州五業従事」というのが宋忠の…

李さん一家の系図

昨日の続き。 李氏出自嬴姓。帝顓頊高陽氏生大業、大業生女華、女華生皋陶、字庭堅、為堯大理。生益、益生恩成、歴虞・夏・商、世為大理、以官命族為理氏。至紂之時、理徴字徳靈、為翼隸中呉伯、以直道不容於紂、得罪而死。其妻陳國契和氏與子利貞逃難於伊侯…

『南史』と『漢書』注

論曰・・・(中略)・・・據齊・梁紀録、並云出自蕭何、又編御史大夫望之以為先祖之次。案何及望之於漢倶為勳徳、而望之本傳不有此陳、齊典所書、便乖實録。近秘書監顔師古博考經籍、注解漢書、已正其非、今隨而改削云。 (『南史』巻四、斉武帝紀) 『南史…

ひとこと

昨日の話の後で思ったんだが、東海郡(国)郯の王氏(王朗とかの王氏)と琅邪郡(国)臨沂の王氏、出身地はそんなに離れてないな。元は同じ郡だし。 元々は同じ一族だったとか、そういうのかもしれんよね。知らんけど。

ひとこと

へえ、開陽、臨沂、陽都っていずれも前漢では琅邪郡(国)所属じゃなかったんだな。琅邪は結構変遷が激しいな。 開陽は魏武の后卞氏の出身、臨沂はあの琅邪王氏の出身、陽都は諸葛氏の出身。

北地郡の変遷

傅弘之字仲度、北地泥陽人。 傅氏舊屬靈州、漢末郡境為虜所侵、失土寄寓馮翊、置泥陽・富平二縣、靈州廢不立、故傅氏悉屬泥陽。 (『宋書』巻四十八、傅弘之伝) 三月、詔隴西徙襄武、安定徙美陽、北地徙池陽、上郡徙衙。 (『後漢書』紀第五、孝安帝紀、永…

北地傅氏の変遷

傅介子、北地人也、以從軍為官。 (『漢書』巻七十、傅介子伝) 義渠公孫賀・傅介子。 (『漢書』巻六十九、趙充国辛慶忌伝賛) 前漢の暗殺者傅介子は北地郡義渠道の人であるらしい。 傅燮字南容、北地靈州人也。 (『後漢書』列伝第四十八、傅燮伝) 傅嘏字…

昨日の続き

昨日の記事について、このようなご意見をいただいた。 斲棺の斲は削ではなく剖。棺をまっぷたつに叩き割る。屍体はそのまま埋める。三國志王淩伝「春秋之義齊崔杼鄭歸生皆加追戮陳屍斲棺載在方策。淩愚罪宜如舊典。乃發淩愚冢剖棺暴屍於所近市三日燒其印綬朝…

武安君

蘇秦既約六國從親、歸趙、趙肅侯封為武安君、乃投從約書於秦。秦兵不敢闚函谷關十五年。 (『史記』巻六十九、蘇秦列伝) 其明年、攻楚、拔郢、燒夷陵、遂東至竟陵。楚王亡去郢、東走徙陳。秦以郢為南郡。白起遷為武安君 。 (『史記』巻七十三、白起王翦列…

『晋書』景帝紀を読んでみよう:その1

宣帝紀(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/07/21/000100)の次は景帝紀にする。