2023-04-01から1ヶ月間の記事一覧
どうも疲れてたらしく、うとうとしてて気が付いたら夜中だった。 なので今回はパスで。 あと、気が付いたら4月が終わろうとしていた。
『三国志』武帝紀では建安5年に劉備・董承らが「謀反」したとのみ書かれるが、『三国志』劉備伝や『後漢書』孝献帝紀では皇帝の密詔によって行われた陰謀とされている。つまり献帝が曹操誅殺を求めたわけである。 つまりこれらを相互に参照すると、曹操は実…
ネッコたちが飼い主ロスを感じることになると思っていたが、飼い主の方がペットロスを感じることになった。 いつか近いうちに再会することになるのだとは思うが。
ネッコよ、さようなら。また会う日まで。 手のかかるヤツだったが、だからこそ愛おしい。
後漢の桓帝は皇帝の曽孫で、蠡吾侯の子。 霊帝は皇帝の玄孫で解瀆亭侯。 霊帝を廃位して立てられるところだった合肥侯は、正体不明のはずではあるが桓帝の父のような「王の分家で侯になった」家なのだろうから、桓帝・霊帝の出自と大して変わらない立場なの…
tyoutyuumangen.blog.jp 確かに「典軍校尉夏侯淵三日五百六日一千」について、昔から単位が分からないとは思っていたんだが、距離じゃないという可能性も確かにあるな。 急進して敵を不意打ちしたと書いているから、不意打ちによる戦果を言っているというの…
またネッコの病院行ったりしてたので、今日はお休み。
よく考えてみると、曹操は「宦官の孫」、しかも相当な大物宦官の孫なのに、宦官を滅殺したいっていう連中と親しかったり、宦官滅殺計画に声かけられたりしてるわけだな・・・。 いくらその連中の中では比較的冷静で穏健だったとしても、かつての自分の祖父の…
t-s.hatenablog.com ここで引用している話の中で、蓋勲は袁紹・劉虞に対し「宦官は誅滅し、賢明なる霊帝を盛り立てるのだ」といったことを語っている。 t-s.hatenablog.com またここの話では、霊帝を廃位しようとした王芬らの主目的は「宦官を誅滅する」であ…
t-s.hatenablog.com そういえば、この話の中で襄楷らは今こそ宦官族滅の時だ、といったようなことを言っているな。 つまり皇帝廃立は宦官族滅とセットという計画だったということだな。 宦官とズップズプの皇帝を、そうではない皇帝にチェンジする、というこ…
ネッコの調子が悪そうな気が・・・。 考えすぎならいいんだが。 一回休み。
映画『ダンジョンズ&ドラゴンズ』、結構評判いいみたいだな・・・。 見てみようかな・・・。
頃之、冀州刺史王芬・南陽許攸・沛國周旌等連結豪傑、謀廢靈帝、立合肥侯、以告太祖、太祖拒之。芬等遂敗。 (『三国志』巻一、武帝紀) 先日来ネタにしているこの話だが、よく見ると曹操と同郷の人間が陰謀に加わっているんだな。 曹操(曹氏)に声がかかっ…
昨日の話だが、そもそも冀州刺史王芬らはどうして曹操を引き入れようとしたのか? 既に能力を示していたとはいえ、無官である曹操が、この時の廃立においてどれほど力になっただろうか? 時期を考えると、いわゆる黄巾の乱が起こった後のこととされている。 …
司馬彪九州春秋曰、於是陳蕃子逸與術士平原襄楷會于(王)芬坐、楷曰「天文不利宦者、黄門・常侍真族滅矣。」逸喜。芬曰「若然者、芬願驅除。」於是與(許)攸等結謀。靈帝欲北巡河間舊宅、芬等謀因此作難、上書言黑山賊攻劫郡縣、求得起兵。會北方有赤氣、…
頃之、冀州刺史王芬・南陽許攸・沛國周旌等連結豪傑、謀廢靈帝、立合肥侯、以告太祖、太祖拒之。芬等遂敗。 (『三国志』巻一、武帝紀) この曹操が冀州刺史王芬・許攸らの皇帝廃立計画に誘われて断った件だが、これって曹操の皇帝への忠勤ではなく、逆にこ…
ネッコは何だか少し元気になってきた。 本当に毎日一進一退という感じ。 人間の方が疲れて元気なくなってる・・・。
ネッコの体調は一進一退という感じ。病院から帰ってからは飯を食ってた。好き嫌いが激しいが今回出したのは気に入ってるらしい。 また元気になるといいが・・・。
昨日はネッコがすこぶる具合悪かった。病院に連れて行ったりしたので疲れた・・・。
昨日の話、なんか覚えがあると思ったら、これ「ドラゴンクエスト」でラダトーム城を出るとすぐに竜王の城が見える、みたいな話なのかもしれない。 なんか違うかもしれないが。
そういえば、劉邦の最後の戦いで、死去の原因とも言う英布(黥布)との戦いの場も実は沛のあたりなんだった。 劉邦は挙兵も最大のライバル項羽との決戦も最後の戦いも、全部生まれ故郷の沛近辺だったことになるのか?
少し思ったが、劉邦の出身の沛、項羽の本拠となった彭城、項羽と劉邦の決戦の地となった垓下、これらは驚くほど近くにあるんだな。 また項羽時代にはこのあたりは全て項羽の支配下になっていたはずなので、項羽は5年もたたないうちに2度も本拠に攻め込まれ…
葛嬰至東城、立襄彊為楚王。嬰後聞陳王已立、因殺襄彊、還報。至陳、陳王誅殺葛嬰。 (『史記』巻四十八、陳渉世家) 陳勝(陳渉)が蜂起した時、その別動隊となった葛嬰*1は「襄彊」なる人物を楚王に立てたが、陳勝が楚王になったと知るとその襄彊を殺して…
胸やけは大丈夫だが、なんか今日も疲れてるので・・・。 もう疲労が簡単に抜けない体ということらしい。
なんだか胸やけがする・・・。 なのでちょっと早く休みますわ。おやすみ。
昨日の魏三分の話だけど、項羽が取る範囲と元の魏王である西魏王魏豹の間に、元は趙将という殷王司馬卬を挟んでいるの、なかなか計算された配置かもしれない。 魏豹が失地回復を図ろうと項羽を攻撃しようとしても、間に殷王司馬卬がいるから直接攻撃はしにく…
項羽の時代(数年しかないが)、本の魏地は西魏王魏豹、殷王司馬卬に分割されたと『史記』秦楚之際月表は言っていたと思うが、これ実は項羽も魏地の一部を併合していて、魏は二分じゃなくて三分されていたんじゃないのか? 西魏王は後の河東郡あたり、殷王は…
昨日の記事の後に思ったが、項羽は魏王豹から梁の地を奪ったことで西楚の隣国である西魏王(魏王豹)の離反を招き、梁の地を支配しようとしたことで彭越に悩まされることになったんじゃないだろうか? 梁の地を巡って項羽は自ら足元の混乱を招いたんじゃない…
丁寬字子襄、梁人也。初、梁項生從田何受易、時寬為項生從者、讀易精敏、材過項生、遂事何。 (『漢書』巻八十八、儒林伝) 前漢の梁に「項生」という儒者がいたそうな。 梁というと、かの項羽の本拠だった場所(自分の国「西楚」は梁を含んでいたらしい)。…
4月。つまり1年の4分の1が終わった。 しかし、ことあるごとに言うのだが、なんで異動を4月に集中させようとするのだろうか?愚痴りたくなる。