諸葛亮死去の影響

(諸葛)亮卒、累遷廣漢・蜀郡太守。蜀郡一都之會、戸口衆多、又亮卒之後、士伍亡命、更相重冒、姦巧非一。(呂)乂到官、為之防禁、開喻勸導、數年之中、漏脱自出者萬餘口。
(『三国志』巻三十九、呂乂伝)

三国時代蜀漢呂乂は、蜀郡太守の時に適切な禁令や善導によってそれまで戸籍を離脱していた者一万人以上を呼び戻すことができたのだという。




この記事の内容によれば蜀郡の戸籍離脱者は諸葛亮死後に増加して問題となっていたそうだ。




諸葛亮死去によって蜀漢全体に不安感が強まったとか、諸葛亮の出兵による負担の影響が死去によって噴出したとか、諸葛亮の威名や手腕によって抑えられていたものが死去によって底が抜けたとか、いろいろな理由が複合しているといったところであろうか。





なんにせよ、諸葛亮時代が終わって以降、蜀漢は戸籍離脱者の増加という形で実際の動員力が目減りしていたらしい、というのは注意すべきポイントなのかもしれない。