前漢

呉王主従の怒り

楚王彪字朱虎。建安二十一年、封壽春侯。黄初二年、進爵、徙封汝陽公。三年、封弋陽王。其年徙封呉王。五年、改封壽春縣。 (『三国志』巻二十、楚王彪伝) 魏の曹彪(曹操の子)は、黄初3年に呉王になっている。 是月、孫權復叛。復郢州為荊州。帝自許昌南…

似た者親子

t-s.hatenablog.com 劉禅は晋に降伏して安楽公になった。 その安楽公劉禅は後継ぎとして当時の長子ではなく中子の劉恂を敢えて選んだらしい。 だがその二代目安楽公は「驕暴」「淫乱無道」であったとされ、蜀ゆかりの者たちが廃位を願い出ようとまで思ったそ…

神秘の種つけおじさん

t-s.hatenablog.com この辺の話のまとめ。 t-s.hatenablog.com 漢代頃、「人が馬に自分の子を産ませた」という話があった。 つまり、家畜が人間の子を産む可能性が無くもないのだ、と当時なら思われていた、かもしれない。 哀帝建平中、豫章有男子化為女子、…

蘇武の子

t-s.hatenablog.com 昨日の記事について、ちょっと面白い指摘をいただいたので紹介しておく。 人及鳥生子曰乳、獣曰産。 (『説文解字』) なんでも、人や鳥が子供を成す時は「乳」、獣が子供を成す時は「産」という語で表す、と『説文解字』では言っている…

蘇武×雄羊

t-s.hatenablog.com 以前、前漢の蘇武が匈奴単于に「雄の羊が子供を産んだら漢に帰してやる」と言った、という話について、「蘇武自身が雄の羊に『子供が産まれる行為』をしていたのではないか」と考察した事があった。 このたび、このブログの昔の記事を読…

晋の丞相司直

劉隗字大連、彭城人、楚元王交之後也。父砥、東光令。隗少有文翰、起家祕書郎、稍遷冠軍將軍・彭城内史。避亂渡江、元帝以為從事中郎。 隗雅習文史、善求人主意、帝深器遇之。遷丞相司直、委以刑憲。 (『晋書』巻六十九、劉隗伝) 及有變、司直彈劾衆官、元…

学問はカネになる

(韋)賢四子。長子方山為高寢令、早終。次子弘、至東海太守。次子舜、留魯守墳墓。少子玄成、復以明經歴位至丞相。 故鄒魯諺曰「遺子黃金満籯、不如一經。」 (『漢書』巻七十三、韋賢伝) 前漢の韋賢は儒学を修めて丞相となり、同じく子の韋玄成も儒学で名…

斉の天文家

王景字仲通、樂浪䛁邯人也。 八世祖仲、本琅邪不其人。好道術、明天文。諸呂作亂、齊哀王襄謀發兵、而數問於仲。及濟北王興居反、欲委兵師仲、仲懼禍及、乃浮海東奔樂浪山中、因而家焉。 (『後漢書』列伝第六十六、循吏列伝、王景) へえ、前漢の斉王劉襄に…

錫県は錫県じゃない:その2

鄖郷令。本錫縣、二漢舊縣、屬漢中、後屬魏興、魏・晉世為郡、後省。武帝太康五年、改為鄖郷。何志晉惠帝立、非也。 錫縣令。前漢長利縣、屬漢中、後漢省。晉武帝太康四年復立、屬魏興。五年、改長利為錫。 (『宋書』巻三十七、州郡志三、梁州刺史、魏興太…

錫県は錫県じゃない:その1

錫。有錫、春秋時曰錫穴。 (『続漢書』郡国志五、漢中郡) 後漢の漢中郡に「錫」という県があった。三国時代には郡になったりもしている。 「有錫」とあるので、金属としての「錫」を産出したから「錫」という県名になったという事だろうか? 鍚、莽曰鍚治…

李上

漢代、「上郡」という郡があった。 あの李広などが太守になった事がある。 ところで、ある太守や国相の事を「姓+郡国名」で表記する事がある。 沛相袁忠を「袁沛」と表記するように。 それで行くと、「上郡太守李広」は「李上」になるのか?

朱提の変遷

(鄧)孔山名方、南郡人也。以荊州從事隨先主入蜀。蜀既定、為犍為屬國都尉、因易郡名、為朱提太守、選為安遠將軍・庲降都督、住南昌縣。章武二年卒。失其行事、故不為傳。 (『三国志』巻四十五、楊戯伝) 昨日記事にした銀山のある「朱提」は、『漢書』に…

銀山

朱提銀重八両為一流、直一千五百八十。它銀一流直千。是為銀貨二品。 (『漢書』巻二十四下、食貨志下) 王莽の時に色々作った貨幣の中に銀もあった。 犍為郡朱提の銀は8両で銭1580枚相当、他の産地の銀は8両で1000枚相当とされたとのこと。 つま…

姓姓

刀閒既衰、至成・哀間、臨淄姓偉訾五千萬。 【注】 師古曰「姓姓、名偉。」 (『漢書』巻九十一、貨殖伝、刀間) 漢代の資産家に「姓偉」という者がいた。 「姓姓」というのはつまり「姓」という姓だった、という事。 現代日本に置き換えると「苗字」という…

昌邑王の郎

孝宣許皇后、元帝母也。父廣漢、昌邑人、少時為昌邑王郎。從武帝上甘泉、誤取它郎鞍以被其馬、發覺、吏劾從行而盜、當死、有詔募下蠶室。後為宦者丞。 (『漢書』巻九十七上、外戚伝、孝宣許皇后) 前漢の宣帝の皇后許氏の父、許広漢。 彼は昌邑の人で、昌邑…

魯国の丙氏

魯人俗儉嗇、而丙氏尤甚、以鐵冶起、富至鉅萬。然家自父兄子弟約、頫有拾、卬有取、貰貸行賈徧郡國。鄒・魯以其故、多去文學而趨利。 (『漢書』巻九十一、貨殖伝、丙氏) 前漢の頃、魯は吝嗇な者が多かったという。 中でも丙氏は製鉄で巨万の富を得たが特に…

董翳と董仲舒、あと董卓

昨日の記事によると、項羽が封建した翟王董翳の子孫は隴西に定住した、という。 また、董仲舒の子孫も隴西に定住したように書かれている。 とにかく、隴西の董氏は董翳や董仲舒をルーツに持ってきている事になる。 董卓字仲穎、隴西臨洮人也。性麤猛有謀。 …

董翳と董仲舒

董氏出自姫姓。黄帝裔孫有飂叔安、生董父、舜賜姓董氏。裔孫辛有、辛有子孫分適晉、有董孤。 裔孫翳、項羽封為翟王、都高奴、子孫遂居隴西。漢江都相仲舒少子之孫、自廣川徙隴西、裔孫徙河東。 (『新唐書』巻七十五下、宰相世系表五下) これ、なんか分かり…

その華麗なる系図、あるいは時空の歪み

及六卿分晉、竇氏遂居平陽。鳴犢生仲、仲生臨、臨生亶、亶生陽、陽生庚、庚生誦、二子、世・扈。世生嬰、漢丞相魏其侯也。扈二子、經・充。經、秦大將軍、生甫、漢孝文皇后之兄也。 (『新唐書』巻七十一下、宰相世系表下、竇氏) 魏其侯竇嬰者、孝文后從兄…

買う漫画

『キンとケン』、漢の哀帝と董賢が主人公という漫画。 ついに単行本になるらしい。 出た時に買い忘れないようにここに記しておく。

アイツが俺で俺は誰

中山國、高帝郡、景帝三年為國。莽曰常山。屬冀州。 (『漢書』巻二十八下、地理志下、中山国) 常山郡、高帝置。莽曰井關。屬冀州。 (『漢書』巻二十八上、地理志上、常山郡) 王莽は中山国を「常山」と改称し、常山郡を「井関」と改称した、らしい。 これ…

風評被害

中山靖王中山の李氏(李延年・李氏・李広利)中山李氏の孫の昌邑王賀 前漢の中山絡みの人たちはなんかこう性に奔放なイメージがあるというか、そういう印象で語られてしまいそうな人たちばかりだな。 李延年たちの家も一族から後宮でのご乱行が原因で滅ぼさ…

中山の李氏

昨日の中山の話の後、ふと思った。 李延年、中山人。身及父母兄弟皆故倡也。 (『漢書』巻九十三、佞幸伝、李延年) 漢の武帝が寵愛した李延年、愛妾李夫人、かの李広利の兄弟も『漢書』地理志が言うところの中山出身の「倡優」の家の出であった。 元から中…

中山の風俗

趙・中山地薄人衆、猶有沙丘紂淫亂餘民。丈夫相聚游戲、悲歌忼慨、起則椎剽掘冢、作姦巧、多弄物、為倡優。女子彈弦跕躧、游媚富貴、徧諸侯之後宮。 (『漢書』巻二十八、地理志下、趙地) 『漢書』地理志によると、趙・中山の方面は殷の紂王の遺民が住んだ…

漢の昭帝の身長

及曾孫壯大、(張)賀欲以女孫妻之。是時、昭帝始冠、長八尺二寸。 (『漢書』巻九十七上、外戚伝上、孝宣許皇后) 漢の昭帝は身長が8尺2寸(約189センチくらいか)だったらしい。 (項)籍長八尺二寸、力扛鼎、才氣過人。 (『漢書』巻三十一、項籍伝) …

宣帝の皇后の一族

(許)后姊平安剛侯夫人謁等為媚道祝謯後宮有身者王美人及(王)鳳等、事發覺、太后大怒、下吏考問、謁等誅死、許后坐廢處昭臺宮、親屬皆歸故郡山陽、后弟子平恩侯旦就國。 (『漢書』巻九十七下、外戚伝下、孝成許皇后) 漢の成帝の皇后許氏の姉の「平安剛…

皇后史氏

三月辛巳朔、平林・新巿・下江兵將王常・朱鮪等共立聖公為帝、改年為更始元年、拝置百官。(王)莽聞之愈恐。欲外視自安、乃染其須髮、進所徴天下淑女杜陵史氏女為皇后、聘黄金三萬斤、車馬奴婢雜帛珍寶以巨萬計。 (『漢書』巻九十九下、王莽伝下) 先日の…

魯王の外戚史氏

平臺 史子叔。以宣帝大母家封為侯、二千五百戸。衛太子時、史氏内一女於太子、嫁一女魯王、今見魯王亦史氏外孫也。外家有親、以故貴、數得賞賜。 (『史記』巻二十、建元以来侯者年表) かの宣帝の祖母史氏の一族史玄らは宣帝即位後に列侯となった。 『史記…

韓信の子孫、二つの系統

(韓)嫣弟説、以校尉撃匈奴、封龍頟侯。後坐酎金失侯、復以待詔為横海將軍、撃破東越、封按道侯。太初中、為游撃將軍屯五原外列城、還為光祿勳、掘蠱太子宮、為太子所殺。子興嗣、坐巫蠱誅。上曰、「游撃將軍死事、無論坐者。」乃復封興弟增為龍頟侯。 (『…

匈奴趙王について

燕王(盧)綰悉將其宮人家屬騎數千居長城下侯伺、幸上病愈、自入謝。四月、高祖崩、盧綰遂將其衆亡入匈奴、匈奴以為東胡盧王。綰為蠻夷所侵奪、常思復歸。居歳餘、死胡中。 (『史記』巻九十三、韓信盧綰列伝) 漢の高祖の功臣だった燕王盧綰は高祖に疑われ…