前漢

ひとこと(劉邦と項梁)

劉邦って地元の沛の人間からしてみたら、大都市である大梁にいたことがあり、魏における著名人(張耳)とも知り合いだという人物なんだよな。 呂公との話などに見えるような、劉邦の傍若無人にも見える言動の根底には、彼がこの邑においては割と知られた名士…

学校へ行こう

徴天下通知逸經・古記・天文・暦算・鍾律・小學・史篇・方術・本草及以五經・論語・孝經・爾雅教授者、在所為駕一封軺傳、遣詣京師、至者數千人。 (『漢書』巻十二、平帝紀、元始五年) 王莽は五経、論語、孝経や天文、本草学、散逸した経書などの色々な学…

学校2(補足)

学校 - てぃーえすのメモ帳はてなブックマーク - 学校 - てぃーえすのメモ帳 なるほど。「学校」は昨日の記事の王莽の制度が初出ではなく、王莽が経書を出典としていた側だったってことか。 ご教示いただき感謝。

学校

夏、安漢公奏車服制度、吏民養生・送終・嫁娶・奴婢・田宅・器械之品。立官稷及學官。郡・國曰學。縣・道・邑・侯國曰校。校・學置經師一人。郷曰庠、聚曰序。序・庠置孝經師一人。 (『漢書』巻十二、平帝紀、元始三年) 漢末、王莽は学官を立てた。 郡・王…

ひとこと(フリー素材)

『史記』って明らかに前漢末や後漢の話が混入してたり、「三皇本紀」なんてものがくっつけられたり、フリー素材的に自由に改変していいみたいな扱いになってないか・・・? 『漢書』あたりは文字の異同などは多かったらしいが巻そのものの追加や明らかな加筆…

ひとこと(初代皇帝と諸侯王)

孫呉と比較すると、曹魏は何人も諸侯王を立てているが、曹操の子かその子孫以外は一切諸侯王にはなってなくて、これはこれで潔い。 ただ、曹操の子の中には曹操の兄弟の跡継ぎとして諸侯王になった者もいたので、曹魏的には曹操の兄弟の子孫も諸侯王になって…

ひとこと(初代皇帝の近親)

前漢・後漢の初代皇帝は、いずれも初代皇帝の兄弟やその跡継ぎを諸侯王にしている。 曹魏の初代皇帝も同様に初代皇帝の兄弟やその跡継ぎを諸侯王にしている。 晋の初代皇帝は初代皇帝の兄弟どころか叔父や大叔父も諸侯王にしている。 それらと比べると、初代…

ひとこと(最後の楚王)

劉邦は楚王陳勝の墓守を置いたが、義帝やそれ以外の戦国時代の楚王のために墓守を置いた形跡は無いと思う。 つまり、劉邦は「最後の楚王」として陳勝を認定した、ということになる。 陳勝は言うまでもなく血統では戦国楚王からかけ離れていたわけで、秦に最…

ひとこと(四君)

『史記』には「孟嘗君列伝」「平原君虞卿列伝」「魏公子列伝」「春申君列伝」がある。 このうち「魏公子」とは魏の信陵君のことだが、この四君のうち信陵君だけが『史記』の巻タイトルで「魏公子」と呼ばれていることになる。 これ、魏公子こと信陵君が司馬…

ひとこと(魏の縁組)

そうか、劉邦、呂公(呂后)、張耳はいずれも旧魏にルーツを持つ者ってことになるのか? 劉邦と呂后の子(娘)と張耳の子(嫡子)の縁組というのは、魏系の家同士の縁組、ということも言えるのかもしれん。 実際、魏系の富豪呂公と魏系の名士張耳というのは…

ひとこと(張耳と項梁)

張耳・陳余は旧魏の名士として統一秦から指名手配され、名を変えて逃亡生活をしたらしい。 一方、項梁は逮捕されそうになっても獄掾次第で何とかすることができ、遠く呉への移住も「仇を避ける」ためであって指名手配から逃げたわけではないらしい。 つまり…

ひとこと(項羽の本拠)

項羽は魏王魏豹より大梁を奪ったとされる。 大梁すなわち旧魏の領域は、いったんは秦を退けて旧国の王族を新たな王に迎えていたのに、対秦の功績こそ大だが特にゆかりのない項羽を王に迎えることになったのである。 なるほど、この大梁がずっと項羽を反乱、…

劉邦と曹操と宛

t-s.hatenablog.com 劉邦は秦を攻める際、行く手に立ちはだかる宛の守将を降伏させて厚遇し、武関経由の秦攻めを成功させた。 曹操は献帝をわが物として各地の平定を始める際、最初に立ちはだかる宛の守将(張繍)を降伏させたが、屈辱を与えた結果その守将…

ひとこと(漢代の独断専行)

t-s.hatenablog.com 独断専行について漢代の事例として有名な甘延寿・陳湯の匈奴討伐の一件があるが、これは命令を偽造したといった問題もあったんだな。 なので、昨日少し記事にした曹魏の独断専行とは少し違う話なのかもしれない。 当時は軍を動かすこと自…

ひとこと(戸数)

後漢初期の功臣は1万戸の列侯、鄧禹は4県の侯となった。 全土を統一していないという理由はあるにせよ、曹魏では最上級の功臣と言えるような曹仁、張遼あたりでやっと2000、3000といった戸数。その差は歴然。 漢では前漢でも後漢でも最上級の功臣…

県主

凡外命婦之制、皇之姑、封大長公主。皇姉妹、封長公主。皇女、封公主。皆視正一品。皇太子之女、封郡主、視從一品。王之女、封縣主、視正二品。 (『旧唐書』巻四十三、職官志二、尚書都省) 唐では皇帝のおばは「大長公主」、皇帝の姉妹は「長公主」、皇帝…

王主

賜諸侯王・丞相・將軍・列侯・王太后・公主・王主・吏二千石黄金、宗室諸官吏千石以下至二百石及宗室子有屬籍者・三老・孝弟・力田・鰥・寡・孤・獨錢帛、各有差、吏民五十戸牛酒。 【注】 張晏曰「天子女曰公主、秩比公也。王主、王之女也。」師古曰「王主…

項羽と劉邦と大梁

t-s.hatenablog.comt-s.hatenablog.com そういえば、項羽は大梁を自分の領土としたそうなんだが、ここは劉邦がかつて住んでいた場所と思われ、また張耳の出身地でもあるんだよな。 (始皇)二十二年、王賁攻魏、引河溝灌大梁、大梁城壞、其王請降、盡取其地…

ひとこと(周と漢)

そういえば周の武王は諸侯を率いて殷の紂王を破ったとされているわけで、これは漢の劉邦が諸侯と共に項羽を破った、ということと相似形になるんだな。 秦は諸侯の大半を自ら併合してほぼ独力で全土を平定し、また紂王や項羽といった明確に悪しき敵が無い状態…

パワー系劉邦

七尺の剣を自在に操る劉邦。 コイツを「鴻門の会」の剣舞にかこつけて暗殺するなんて出来るんだろうか?返り討ちにならないか? 劉邦暗殺を止めた項伯は、本当は実行犯項荘をはじめとする項羽側の被害を恐れて止めたんじゃないだろうか? 参考。 t-s.hatenab…

真説・斬白蛇剣

t-s.hatenablog.com t-s.hatenablog.com 漢の高祖劉邦の持っていたとされる、いわゆる「斬白蛇剣」。 これについて、「三尺の剣」であったという話と、「七尺の剣」であったという話があるようである。 これはどういうことか? t-s.hatenablog.com この剣は…

印鑑と剣

腹黒皇帝上塩タン焼き680円 - てぃーえすのメモ帳 上記の記事に見えるように、漢の高祖劉邦の持っていた斬白蛇剣は晋までは残っていた。 漢の献帝の時点では献帝のもとにあったことになると思うんだが、王莽の頭(頭蓋骨)と一緒になっているあたり、宝物庫…

伝国璽の分かれ目

玉璽譜曰「傳國璽是秦始皇初定天下所刻、其玉出藍田山、丞相李斯所書、其文曰『受命于天、既壽永昌』。高祖至霸上、秦王子嬰獻之。至王莽簒位、就元后求璽、不與、以威逼之、乃出璽投地、璽上螭一角缺。及莽敗、李松持璽詣宛上更始。更始敗、璽入赤眉。劉盆…

亡国不祥璽

そういや、先日の記事の引用でもわかることなんだが、いわゆる「伝国璽」を伝えていくってのは漢が始めたことで、漢から次の王朝にも伝えるべきかどうかについては明確な規定や前例は無いと言えるんだな。 太后知其為莽求璽、怒罵之曰・・・(中略・・・)且…

太守と相と内史

成帝綏和元年省内史、更令相治民、如郡太守、中尉如郡都尉。 (『漢書』巻十九上、百官公卿表上、諸侯王) 昨日の「内史」についてだが、王国における内史は前漢成帝の時には廃止されているから、200年経った後漢末では、王国(公国)内に「内史」を置く…

天の戒め

昭帝時、昌邑王賀聞人聲曰「熊 」、視而見大熊 。左右莫見。以問郎中令龔遂、遂曰「 熊、山野之獸、而來入宮室、王獨見之、此天戒大王、恐宮室將空、危亡象也。」賀不改寤、後卒失國。 (『漢書』巻二十七中之上、五行志中之上) 漢の昌邑王劉賀は宮殿に自分…

新年

漢興二十餘年、天下初定、公卿皆軍吏。(張)蒼為計相時、緒正律暦。以高祖十月始至霸上、故因秦時本十月為歳首、不革。 (『漢書』巻四十二、張蒼伝) 秦および前漢は10月を「歳首」つまり年の最初の月とした。 つまり今日は世が世なら年が改まる日だった…

年末

9月である。 (太初元年)夏五月、正暦、以正月為歲首。色上黄、數用五、定官名、協音律。 (『漢書』巻六、武帝紀、太初元年) そういえば、前漢武帝の後半になるまでは1年は10月から始まり、9月で終わるようになっていたんだった。 つまり、時代が時…

一元

其後三年、有司言元宜以天瑞命、不宜以一二數。一元曰「建」、二元以長星曰「光」、三元以郊得一角獸曰「狩」云。 (『史記』巻二十八、封禅書) 漢の武帝は即位以来6年ごとに元年とする、つまり改元していたが、まだ元号はなかった。 後から改元ごとに別の…

ひとこと

前漢の改元って4年ごととか5年ごととか、実は法則性があるんだよな。 それが後漢になると延々と改元しないまま30年経ったりして、その法則性が破られてる気がする。 どういう契機または思想的な変化があったんだろう?