前漢

ひとこと

昨日の記事で前漢の王吉が廃止を訴えた「任子」とは任官法だが、一方で『三国志』などでは「任子」を「人質」の意味で使っていることが多い。 これは用法が変わったというより、任官としての「任子」も「太守などの高官の子弟を皇帝の近くに呼び寄せ、太守が…

王氏三代

(王)吉意以為・・・(中略)・・・又言「舜・湯不用三公九卿之世而舉皋陶・伊尹、不仁者遠。今使俗吏得任子弟、率多驕驁、不通古今、至於積功治人、亡益於民、此伐檀所為作也。宜明選求賢、除任子之令。外家及故人可厚以財、不宜居位。去角抵、減樂府、省…

3つの姓

煮棗侯乗昌為奉常。 (『漢書』巻十九下、百官公卿表下、景帝中三年) 煑棗端侯革朱 ・・・(中略)・・・ 孝景中二年侯昌嗣。二年、有罪、免。 (『漢書』巻十六、高恵高后文功臣表、煑棗端侯革朱) 景帝の頃、「煮棗侯」が奉常となったが、『漢書』百官公…

降嫁

(王)吉意以為「夫婦、人倫大綱、夭壽之萌也。世俗嫁娶太早、未知為人父母之道而有子、是以教化不明而民多夭。聘妻送女亡節、則貧人不及、故不舉子。又漢家列侯尚公主、諸侯則國人承翁主、使男事女、夫詘於婦、逆陰陽之位、故多女亂。古者衣服車馬貴賤有章…

二文字名禁止令

立故東平王雲太子開明為王、故桃郷頃侯子成都為中山王。封宣帝耳孫信等三十六人皆為列侯。太僕王惲等二十五人前議定陶傅太后尊號、守經法、不阿指從邪、右將軍孫建爪牙大臣、大鴻臚(左)咸前正議不阿、後奉節使迎中山王、及宗正劉不惡・執金吾任岑・中郎將…

二人の距離感

『漢書』高帝紀つまり高祖劉邦の本紀には、劉氏は元は魏の人間で、梁の方にいたのだという話がある。 一方、項羽は自分の領土として梁の地を併合したらしい。だから梁を根城とした彭越が項羽と戦っているのだ。 劉邦の故地と、項羽の本拠地(にしようとした…

大河郡

濟東王彭離立二十九年。彭離驕悍、昬莫私與其奴亡命少年數十人行剽、殺人取財物以為好。所殺發覺者百餘人、國皆知之、莫敢夜行。所殺者子上書告言、有司請誅、武帝弗忍、廢為庶人、徙上庸、國除、為大河郡。 (『漢書』巻四十七、文三王伝) 東平國。 故梁國…

忠孝侯の正体

(王)莽欲依霍光故事以女配帝、太后意不欲也。莽設變詐、令女必入、因以自重、事在莽傳。太后不得已而許之、遣長樂少府夏侯藩・宗正劉宏・少府宗伯鳳・尚書令平晏納采、太師(孔)光・大司徒馬宮・大司空甄豐・左將軍孫建・執金吾尹賞行太常事・太中大夫劉…

忠孝侯

太常常山張顥為太尉。 【注】 顥字智明。搜神記曰「顥為梁相、新雨後、有鵲飛翔近地、令人擿之、墯地化為圓石、顥命椎破、得一金印、文曰『忠孝侯印』。」 (『後漢書』紀第八、孝霊帝紀、光和元年三月) 後漢霊帝の時の太尉張顥は、カササギを打ち落とした…

不遇な人生

(永始二年)十二月、詔曰「前將作大匠(解)萬年知昌陵卑下不可為萬歲居、奏請營作、建置郭邑、妄為巧詐、積土增高、多賦斂繇役、興卒暴之作。卒徒蒙辜、死者連屬、百姓罷極、天下匱竭。常侍(王)閎前為大司農中丞、數奏昌陵不可成。侍中衞尉(淳于)長數…

翁主と郷主の間に

封王氏齊縗之屬為侯、大功為伯、小功為子、緦麻為男、其女皆為任。男以「睦」、女以「隆」為號焉、皆授印韍。 (『漢書』巻九十九中、王莽伝中、始建國元年正月) 王莽の時、皇室である王氏の女性の称号は「任」といったらしい。 後に王莽は侍女に産ませて隠…

翁主

齊厲王、其母曰紀太后。太后取其弟紀氏女為厲王后。王不愛紀氏女。太后欲其家重寵、令其長女紀翁主入王宮、正其後宮、毋令得近王、欲令愛紀氏女。王因與其姊翁主姦。 【注】 索隠、按、如淳云「諸王女云翁主。稱其母姓、故謂之紀翁主」 (『史記』巻五十二、…

近所の獄掾

平陽侯曹參者、沛人也。秦時為沛獄掾、而蕭何為主吏、居縣為豪吏矣。 (『史記』巻五十四、曹相国世家) かの曹参は沛の獄掾で、蕭何ともども「豪吏」であったそうだ。 項梁嘗有櫟陽逮、乃請蘄獄掾曹咎書抵櫟陽獄掾司馬欣、以故事得已。 (『史記』巻七、項…

地元に戻る

項羽は「下相の人」とされているが、この下相というのはどうやら秦においては泗水郡にあった県らしい。 で、劉邦のいた沛というのも秦の泗水郡にあった。 ちなみにあの垓下も泗水郡にあったらしい。ついでに言うと劉邦が大敗した彭城もそうだったようだ。 つ…

若き猛将

季布弟季心、氣蓋關中、遇人恭謹、為任俠、方數千里士皆爭為之死。嘗殺人、亡之呉、從袁絲匿。長事袁絲、弟畜灌夫・籍福之屬。嘗為中司馬、中尉郅都不敢不加禮。少年多時時竊籍其名以行。當是時、季心以勇、布以諾、著聞關中。 (『史記』巻一百、季布欒布列…

隠される夏侯氏

傳至曾孫(夏侯)頗、尚平陽公主、坐與父御婢姧、自殺、國除。 初嬰為滕令奉車、故號滕公。及曾孫頗尚主、主隨外家姓、號孫公主、故滕公子孫更為孫氏。 (『漢書』巻四十一、夏侯嬰伝) あの夏侯嬰の孫は公主(皇帝の娘)と結婚したが、その公主は自身の母方…

九卿の別名

曹操の魏国では、漢における九卿の大司農を大農、廷尉を大理、太常を奉常、執金吾を中尉といった風に呼んでいた。 漢王朝の方の同じ職務の官と区別する意図だったのかもしれないが、少府や衛尉は漢王朝も魏国も同じ名前だったようなので、少々中途半端な気も…

南越の下地

(始皇)三十三年、發諸嘗逋亡人・贅壻・賈人略取陸梁地、為桂林・象郡・南海、以適遣戍。西北斥逐匈奴。自榆中並河以東、屬之陰山、以為四十四縣、城河上為塞。又使蒙恬渡河取高闕・陽山・北假中、築亭障以逐戎人。徙謫、實之初縣。禁不得祠。明星出西方。 …

二枚舌の結果

高后時、有司請禁粵關巿鐵器。(趙)佗曰「高皇帝立我、通使物、今高后聽讒臣、別異蠻夷、鬲絶器物、此必長沙王計、欲倚中國、撃滅南海并王之、自為功也。」 於是佗乃自尊號為南武帝、發兵攻長沙邊、敗數縣焉。 高后遣將軍隆慮侯(周)竈撃之、會暑溼、士卒…

大英帝国リスペクト

詔曰「故衡山王呉芮與子二人・兄子一人、從百粵之兵、以佐諸侯、誅暴秦、有大功、諸侯立以為王。項羽侵奪之地、謂之番君。其以長沙・豫章・象郡・桂林・南海立番君芮為長沙王。」 (『漢書』巻一下、高帝紀下、高祖五年) 秦已破滅、(趙)佗即撃并桂林・象…

同化政策

安道侯揭陽定 以南越揭陽令聞漢兵至自定降、侯、六百戸。 (『漢書』巻十七、景武昭宣元成功臣表) 湘成侯監居翁 以南越桂林監聞漢兵破番禺、諭甌駱民四十餘萬降、侯、八百三十戸。 (『漢書』巻十七、景武昭宣元成功臣表) 下鄜侯左將黄同 以故甌駱左將斬西…

甘徳

甘氏四七法一卷、甘徳。 (『新唐書』巻五十九、芸文志三、天文類) 甘徳長柳占夢二十卷。 (『漢書』巻三十、芸文志、術数略、雑占) 其諸侯之史、則魯有梓慎、晉有卜偃、鄭有裨竈、宋有子韋、齊有甘徳、楚有唐昧、趙有尹皋、魏有石申夫、皆掌著天文、各論…

何の器か

大宛之跡、見自張騫。張騫、漢中人。建元中為郎。 是時天子問匈奴降者、皆言匈奴破月氏王、以其頭為飲器、月氏遁逃而常怨仇匈奴、無與共撃之。 【注】 集解、韋昭曰「飲器、椑榼也。單于以月氏王頭為飲器。」晉灼曰「飲器、虎子之屬也。或曰飲酒器也。」 索…

ところでこいつは私の虎子さ

續漢志曰「侍中、比二千石、無員。」漢官儀曰「侍中、左蟬右貂、本秦丞相史、往來殿内、故謂之侍中。分掌乗輿服物、下至褻器虎子之屬。武帝時、孔安國為侍中、以其儒者、特聽掌御唾壺、朝廷榮之。至東京時、屬少府、亦無員。駕出則一人負傳國璽、操斬蛇劒、…

配送停止

謝承書曰「 唐羌字伯游、辟公府、補臨武長。縣接交州、舊獻龍眼・荔支及生鮮、獻之驛馬晝夜傳送之、至有遭虎狼毒害、頓仆死亡不絶。道經臨武、羌乃上書諫曰『臣聞上不以滋味為徳、下不以貢膳為功、故天子食太牢為尊、不以果實為珍。伏見交阯七郡獻生龍眼等、…

いぬやしき

初、(江)充召見犬臺宮、自請願以所常被服冠見上。 晉灼曰「黄圖上林有犬臺宮、外有走狗觀也。」師古曰「今書本犬臺有作太壹字者、誤也。漢無太壹宮也。」 (『漢書』巻四十五、江充伝) 前漢の上林苑の中には「犬台宮」「走狗観」といった場所があったとい…

大庭園の町

京兆尹。秦内史、武帝改。其四縣、建武十五年屬。雒陽西九百五十里。十城、戸五萬三千二百九十九、口二十八萬五千五百七十四。 長安。高帝所都。 鎬。在上林菀中。 ・・・(後略)・・・ (『続漢書』志第十九、郡国志一、司隷、京兆尹) へえ、京兆尹にある…

メモ

『漢書』地理志を眺めてみたところ、都尉の「治」(役所)がどこにあるか記載されている郡とされていない郡がある。 これ、何も記載されていないのは、郡太守の「治」(各郡の筆頭に書かれている県のはず)と同じ場所だから省略した、という事じゃないだろう…

左右京輔都尉

中尉、秦官、掌徼循京師。有両丞・候・司馬・千人。武帝太初元年更名執金吾。屬官有中壘・寺互・武庫・都船四令丞。都船・武庫有三丞、中壘両尉。又式道左右中候・候丞及左右京輔都尉・尉丞兵卒皆屬焉。初、寺互屬少府、中屬主爵、後屬中尉。 (『漢書』巻十…

左輔都尉

黄龍元年、(孫)權稱尊號、立為皇太子、以(諸葛)恪為左輔、(張)休右弼、(顧)譚為輔正、(陳)表為翼正都尉、是為四友。 (『三国志』巻五十九、孫登伝) 諸葛恪字元遜、瑾長子也。少知名。弱冠拝騎都尉、與顧譚・張休等侍太子登講論道藝、並為賓友。…