2014-01-01から1年間の記事一覧
今年一年ありがとうございました。 今年は連続1000日更新や通算2000日更新をしましたが特に騒がれることもなく穏やかな日常が過ぎていきました。 来年も人知れず、植物の心のように穏やかにひっそりと、誰にも気づかれずに毒性の強い記事を更新して…
今年も今日を除くとあと一日になってしまった。 来年は2015年。 ご存じの通り使徒がやってくるので、来年は流石に更新が止まるかもしれない。 だが出来るだけ来年も更新は続けていきたいとは思っているのでまたよろしく。 あまりに反応とかが薄いと私の…
わたべ淳先生の『レモンエンジェル』が簡単に手に入るようになるなんていい時代だなあ!(独り言) さて、今度はこれまでの「リミックス」に入らない記事や他の時代の記事を紹介してみる。 なんというか瘴気の濃さみたいなのは今回が一番のような気がする。
今年前半、自分の中では涼州がトレンドワードであった。 後漢一代を通じて戦乱の被害者であり続け、加害者ともなった州。 魏の版図でありながら諸葛亮や姜維に狙われると割とあっさり離反したり、なんだか協力的だったりしている州。 そんな辺境の後漢末から…
今、畜生が熱い! というわけで俺的には今年の三国志界で最大のムーブメントを起こしたといっても過言ではない*1畜生関連記事についてもまとめておく。 もしかしたら一部抜けがあるかもしれないが、それはそれ。 今更だがここで言う「畜生」とは、もっぱら三…
さて、このブログも7年目になってしまい、記事も流石に増えて検索性がガンガン低下してきている。 そこで、幾つか反響が大きかったものや個人的に気に入っている記事をピックアップして紹介し、まとめて参照しやすくしておこうと思う。 決して、ネタが無い…
メリー通常営業。 光和二年、上祿長和海上言「禮、從祖兄弟別居異財、恩義已輕、服屬疎末。而今黨人錮及五族、既乖典訓之文、有謬經常之法。」帝覽而悟之、黨錮自從祖以下、皆得解釋。 (『後漢書』列伝第五十七、党錮列伝) 後漢のいわゆる「党錮の禁」にお…
漢晉春秋曰「鍾離意相魯、見仲尼廟頽毀、會諸生於廟中、慨然歎曰『蔽芾甘棠、勿翦勿伐、況見聖人廟乎!』遂躬留治之。周觀輿服之在焉、自仲尼以來、莫之開也。意發視之、得古文策書、曰『亂吾書、董仲舒。治吾堂、鍾離意。璧有七、張伯盜一。』意尋案未了。…
(鍾離)意別傳曰「意為魯相、到官、出私錢萬三千文、付戸曹孔訢修夫子車、身入廟、拭几席劒履。男子張伯除堂下草、土中得玉璧七枚、伯懐其一、以六枚白意。意令主簿安置几前。孔子教授堂下牀首有懸甕、意召孔訢問『此何甕也?』對曰『夫子甕也、背有丹書、…
興平二年冬、天子播越、敗於曹陽。(袁)術大會群下、因謂曰「今海内鼎沸、劉氏微弱。吾家四世公輔、百姓所歸、欲應天順民、於諸君何如?」衆莫敢對。 主簿閻象進曰「昔周自后稷至于文王、積徳累功、參分天下、猶服事殷。明公雖奕世克昌、孰若有周之盛?漢室…
『新・世界樹の迷宮2』を買ったんだが・・・。 これあかんやつや。時間泥棒的な意味で。 かつての『ウィザードリィ』よりはサクサク進み、それでいて常にこちらが無双状態で楽勝なわけでもない。むしろまず勝てない敵を避けるとかリスクを計算して退くかど…
今上還陽夏・柘・苦三縣戸二萬、但食武平萬戸、且以分損謗議、少減孤之責也。 (『三国志』巻一、武帝紀、建安十五年、注引『魏武故事』) 曹操の令によれば、曹操は建安元年に受けていた武平侯の国に加え、陽夏・柘・苦の3県を加増されていたが、その加増…
儒者論曰「天地故生人」此言妄也。 夫天地合氣、人偶自生也、猶夫婦合氣、子則自生也。夫婦合氣、非當時欲得生子、情欲動而合、合而生子矣。且夫婦不故生子、以知天地不故生人也。然則人生於天地也、猶魚之於淵、蟣虱之於人也、因氣而生、種類相産。萬物生天…
穀梁子名淑、字元始、魯人、一名赤。 (『春秋穀梁伝』序、疏) 穀梁傳十一卷。穀梁子、魯人。 【注】師古曰「名喜。」 (『漢書』巻三十、芸文志、春秋) 『春秋』三伝の一つ、穀梁伝。 この編者とされるのは「穀梁子」と呼ばれる人物なわけだが、どうやら…
大食漢、熱血漢、破廉恥漢など、「○○漢」という言葉は現代でも良く使われている。 「漢」には「特攻野郎」における「野郎」のように、「おとこ」の意味があるわけである。 そんな言葉のひとつに、「諸葛漢」がある。 「諸葛野郎」ということか。おそらく、諸…
『新・世界樹の迷宮2』。 DS版の『世界樹の迷宮』は1と2まではやったのだが、それ以降は触れていない。 特にこだわりとか嫌になったとかそういうのではなく、ただなんとなくである。 もともと『ウィザードリィ』とか『ザナドゥ』とかを多少たしなんでい…
あ、7年目に突入してましたわ。 ほとんど祝福とかされなかった*1けれど今後もよろしく。 *1:人気とか影響力とかからしてしゃーない。
(孫)策自以統領兵馬、但以騎都尉領郡為輕、欲得將軍號、乃使人諷(王)裊、裊便承制假策明漢將軍。 (『三国志』巻四十六、孫策伝注引『江表伝』) 『江表伝』によれば、建安二年に孫策は皇帝より騎都尉、領会稽太守、烏程侯を与えられたが、孫策としては…
又詔敕曰「故左將軍袁術不顧朝恩、坐創凶逆、造合虚偽、欲因兵亂、詭詐百姓、始聞其言以為不然。定得使持節平東將軍領徐州牧温侯(呂)布上術所造惑衆妖妄、知術鴟梟之性、遂其無道、修治王宮、署置公卿、郊天祀地、殘民害物、為禍深酷。布前後上策乃心本朝…
http://d.hatena.ne.jp/T_S/20081214/1229250210 この記事がこのブログ最初。つまり明日で6周年*1。 6周年って三国志とか古代中国史系のブログではそんなに短くもないと思うんだが、なんかこういつになってもマイナー感が強いなあ、このブログ。自分で言う…
(皇甫)嵩・(朱)儁乘勝進討汝南・陳國黄巾、追波才於陽翟、撃彭脱於西華、並破之。 (『後漢書』列伝第六十、皇甫嵩伝) 及黄巾起、公卿多薦(朱)儁有才略、拜為右中郎將、持節、與左中郎將皇甫嵩討潁川・汝南・陳國諸賊、悉破平之。 (『後漢書』列伝第…
晉惠帝太安中、江夏張騁所乘牛言曰「天下方亂、乘我何之!」騁懼而還、犬又言曰「歸何蚤也。」尋後牛又人立而行。 騁使善卜者卦之、謂曰「天下將有兵亂、為禍非止一家。」 其年張昌反、先略江夏、騁為將帥。於是五州殘亂、騁亦族滅。 京房易妖曰「牛能言、如…
先是、宣帝有寵將牛金、屢有功、宣帝作両口榼、一口盛毒酒、一口盛善酒、自飲善酒、毒酒與金、金飲之即斃。景帝曰「金名將、可大用、云何害之?」宣帝曰「汝忘石瑞『馬後有牛』乎?」 (『宋書』巻二十七、符瑞志上) 晋の宣帝すなわち司馬懿は、自分の配下…
三浦大輔が5年以上無休でブログを更新している事実 http://nanjde.blog.jp/archives/18148174.html ファッ?! ワイのブログより無休やんけ・・・。 これはアレやね、ワイも「インコフレーム」を作って毎日自撮り写真を上げるしかないな・・・(やらない)
廬陵太守太原龐企、字子及、自言其遠祖不知幾何世也、坐事繫獄而非其罪、不堪拷掠自誣服之、及獄將上、有螻蛄蟲行其左右、乃謂之曰「使爾有神、能活我死、不當善乎。」因投飯與之。螻蛄食飯盡去、頃復來、形體稍大。意毎異之、乃復與食。如此去來、至數十日…
帝嘗與(王)濟奕棊、而孫晧在側、謂晧曰「何以好剝人面皮?」晧曰「見無禮於君者則剝之。」濟時伸腳局下、而晧譏焉。 (『晋書』巻四十二、王済伝) 晋の武帝司馬炎は降伏した呉の孫皓に対し「なんで人の顔の皮を剥いだりしてたの?」と訊いたという。 孫皓…
元帝為安東將軍、復上循為呉國内史、與循言及呉時事、因問曰「孫晧嘗燒鋸截一賀頭、是誰邪?」(賀)循未及言,帝悟曰「是賀邵也。」循流涕曰「先父遭遇無道、循創巨痛深、無以上答。」帝甚愧之、三日不出。 (『晋書』巻六十八、賀循伝) 晋の賀循の父は賀…
石冰破揚州、(賀)循亦合衆。事平、杜門不出。陳敏作亂、以循為丹楊内史、循稱疾固辭、敏不敢逼。于時江東豪右無不受敏爵位、惟循與同郡朱誕不挂賊網。 (『三国志』巻六十五、賀邵伝注引虞預『晋書』) 石氷というのは昨日の記事の張昌の乱で揚州方面を攻…
張昌、本義陽蠻也。少為平氏縣吏、武力過人、毎自占卜、言應當富貴。好論攻戰、儕類咸共笑之。 及李流寇蜀、昌潛遁半年、聚黨數千人、盜得幢麾、詐言臺遣其募人討流。會壬午詔書發武勇以赴益土、號曰「壬午兵」。自天下多難、數術者云當有帝王興於江左、及此…
五月、義陽蠻張昌舉兵反、以山都人丘沈為主、改姓劉氏、偽號漢、建元神鳳、攻破郡縣、南陽太守劉彬、平南將軍羊伊、鎮南大將軍・新野王歆並遇害。 六月、遣荊州刺史劉弘等討張昌于方城、王師敗績。 秋七月、中書令卞粹・侍中馮蓀・河南尹李含等貳於長沙王乂…