2022-11-01から1ヶ月間の記事一覧

月末

気が付いたら11月末になっていた・・・。 なにそれこわい・・・。

復活

よし!なぜか使えなくなってたDMMブックスをまた使えるようになったぞ! このまま使えないようならPC買い替えしかないとまで思ってたから助かる!

ふとした疑問2

典略曰、初(馬)超之入蜀、其庶妻董及子秋留依張魯。魯敗、曹公得之、以董賜閻圃、以秋付魯、魯自手殺之。 (『三国志』巻三十六、馬超伝注引『典略』) 昨日の話だが、よく見ると「自手殺之」とわざわざ書かれているから、「張魯が自ら殺した」ということ…

ふとした疑問

典略曰、初(馬)超之入蜀、其庶妻董及子秋留依張魯。魯敗、曹公得之、以董賜閻圃、以秋付魯、魯自手殺之。 (『三国志』巻三十六、馬超伝注引『典略』) ふとした疑問なのだが、張魯の元にいたという馬超の子馬秋は、張魯の降伏後になぜ張魯に委ねられ、張…

ひとこと

赤壁後に曹操が江陵に置いていった曹仁、『三国志』武帝紀や曹仁伝ではいつ頃まで攻防が続いていつどういう形で終わったのか、イマイチわからないようになってるんだな・・・。 曹仁が耐えていた1年ほど(『三国志』呉主伝)の間に曹操が荊州に戻りそうな気…

捨て石の3郡

劉巴字子初、零陵烝陽人也。少知名、荊州牧劉表連辟、及舉茂才、皆不就。表卒、曹公征荊州。先主奔江南、荊・楚羣士從之如雲、而巴北詣曹公。曹公辟為掾、使招納長沙・零陵・桂陽。 【注】 零陵先賢傳曰、曹公敗於烏林、還北時、欲遣桓階、階辭不如巴。巴謂…

回復はしたが

回復はしたが、それとは別にちと大変なことになってる・・・。

回復

ほぼ回復。これまで食欲がイマイチ戻ってなかったが、それも大丈夫。 微妙に辛い数日だった。

次第に

回復傾向・・・。でもまだ完全ではない。

今日は

昨日一日だいたい寝ていたお陰か、割と体調が良くなってきたと思う。 別に仕事が好きとかでもないのだが、土日が過ぎると体調が良くなってくる不思議・・・。 まあ、まだ油断は禁物というところだけど。

今日も

体調がよろしくない。寝る。

体調が

どうも体調がすぐれない。おやすむ。

今日も

なんか疲れて眠いので、お休み・・・。 寄る年波、的な・・・。

扶蘇と曹彰

其年七月、始皇帝至沙丘、病甚、令趙高為書賜公子扶蘇曰「以兵屬蒙恬、與喪會咸陽而葬。」書已封、未授使者、始皇崩。・・・(中略)・・・趙高因留所賜扶蘇璽書、而謂公子胡亥曰「上崩、無詔封王諸子而獨賜長子書。長子至、即立為皇帝。而子無尺寸之地、為…

ひとこと

曹操が死の間際に曹彰を呼びよせていたという件、自分としてはどう考えても曹操が病気か何かで正気を失って判断を完全に誤ったのだと考えないと辻褄の合う解釈が出来る気がしない。 周囲の努力と幸運のお陰で何とかなっただけで、魏国を完全崩壊に導きかねな…

ひとこと(曹操の同類)

少し前にも記事に書いた気がするが、曹操が建安初年にいきなり大将軍になるの、正直言って素性の怪しい軍閥の類である韓暹や張楊がいきなり大将軍や大司馬になったことの延長線上にあったんじゃないだろうか。 この時期の曹操はそういった素性の怪しい軍閥で…

烈祖様の後宮

(楊)阜又上疏欲省宮人諸不見幸者、乃召御府吏問後宮人數。吏守舊令、對曰「禁密、不得宣露。」阜怒、杖吏一百、數之曰「國家不與九卿為密、反與小吏為密乎?」帝聞而愈敬憚阜。 (『三国志』巻二十五、楊阜伝) 三国魏の楊阜、烈祖様の頃に「後宮の中で陛…

ひとやすみ

なんか今日はそれほど調子が良くないので、寝ます。

曹操危機一髪

從討袁紹於官渡。時常從士徐他等謀為逆、以(許)褚常侍左右、憚之不敢發。伺褚休下日、他等懷刀入。褚至下舍心動、即還侍。他等不知、入帳見褚、大驚愕。他色變、褚覺之、即撃殺他等。太祖益親信之、出入同行、不離左右。 (『三国志』巻十八、許褚伝) 官…

今日は

何か疲れて眠い・・・。 あ、そうそう。昨夜ザナックやってたら最後まで行きました。案外短かったんだな・・・。 ジョイボールじゃなくてもイケるものですね。

見てきた

先日、リバイバル上映の『ゴティックメード』を観てきた。 これは『ファイブスター物語』の入り口に出来そうな作品だなあ、と思った。 そういう作品を気軽に観ることが出来ないというアンバランスさ、いかにも永野護って感じ。 『ファイブスター物語』を知ら…

ひとこと

魯王孫覇が「最初の諸侯王」だとすると、孫権からすれば孫覇とはいわば息子のうち唯一の分家に当たり、「後継ぎではない」と宣言したも同然であるところの諸侯王であるのだから、「後継ぎを孫和から替えるつもりは無いぞ」と言っているつもりだったのかもし…

孫呉独自路線

思ったんだが、孫呉は初代孫権時代に諸侯王を全然立てないだけじゃなくて、皇后も全然立てていない。 孫権が正式に皇后を立てたのは、死ぬ前年の潘氏が初めてではないか。 つまり、皇帝孫権の元では、諸侯王もいないし皇后もいない、という時期が割と長かっ…

呉の諸侯王

昨日の孫権の王の話だが、そういえば孫権の時はそもそも息子ですらなかなか王にしなかったんだった。 孫慮は王にならず、孫和も太子になる前は王じゃなかったらしい。 もしかして、孫和が太子になった時に孫覇が魯王になったというのが最初で、その次も孫和…

孫策の扱い

孫権は皇帝即位後、兄孫策に対して「長沙桓王」の号を贈った。 父孫堅には「武烈皇帝」という号を贈っており、王と皇帝という差があったことになる。 これについて、兄孫策にも皇帝号を贈らないことを不思議がったり孫権の誤りであると述べる人をしばしば見…

万歳亭侯だらけ

後漢末から魏にかけて「万歳亭侯」は荀彧(とその子孫)、韓浩、曹茂、許褚、高柔が確認できる。 荀彧と韓浩以外は微妙に時期がズレているので、同じ爵位を使いまわしている可能性も無くは無いが、おそらくは各地にあったであろう別々の「万歳亭」なのだろう…

ひとこと

そういえば、王莽の母(功顕君)って、姓(実家)わかってたかな・・・。 血族王氏を重用していたように、母の一族すなわち外戚も重用しそうなもの。 それともワイが忘れてるだけかな・・・?

10年目の復活

gothicmade.com かの『ファイブスター物語』長期休載中に作っていたことで有名なアニメ映画『ゴティックメード』リバイバル上映か・・・。 というか初上映から10年経つらしい。いつの間に・・・。 見に行ってみようかな・・・。

11月

11月は最初からちょっと疲れた。 少し休む・・・。

宛の李氏と安衆の劉氏

李軼後為朱鮪所殺。更始之敗、李松戰死、唯(李)通能以功名終。永平中、顯宗幸宛、詔諸李隨安衆宗室會見、並受賞賜、恩寵篤焉。 (『後漢書』列伝第五、李通伝) 『後漢書』李通伝に、後漢明帝が宛に行幸した時、宛の李氏たちに対して安衆県の劉氏たち(先…