2008-12-01から1ヶ月間の記事一覧

月氏王

是時天子問匈奴降者、皆言匈奴破月氏王、以其頭為飲器。月氏遁逃而常怨仇匈奴、無與共擊之。(『史記』大宛列伝) (韓)昌・(張)猛與單于及大臣俱登匈奴諾水東山、刑白馬、單于以徑路刀金留、撓酒、以老上單于所破月氏王頭為飲器者共飲血盟。(『漢書』匈…

漢の昭帝非実子説2

http://d.hatena.ne.jp/T_S/20081230/1230645599の続き。まずは、人物紹介。 武帝:皇帝。本名劉徹。物凄い高齢。燕王旦や劉弗陵の父。 劉弗陵:皇太子から武帝の跡を継いで皇帝になる。皇帝になった時点で8歳の子供。 燕王旦:劉旦。燕に封建された諸侯王。…

漢の皇帝の名前

前漢の皇帝、一般に「少帝恭」と呼ばれる人物。 今のところ、この人物の名が「恭」だという証拠、出典を見つけることが出来ていない。 ちなみに宮崎市定は「少帝某」としていて、不明と明言していた。どこだったか忘れたけど。

漢の昭帝非実子説

漢の武帝は離宮で死亡した。その直前に幼児である劉弗陵が皇太子に立てられ、崩御の報と共に皇帝に即位し、それまで奉車都尉だった霍光が大将軍となって守り立てる体制が発表された。 この時、武帝の子で最年長だった燕王劉旦はこの幼児皇帝への疑惑の目を向…

漢の皇帝

前漢の皇帝はほとんどが行動的。 高祖劉邦は反乱者討伐のために燕にでも楚にでも赴く。 文帝は匈奴を退けるため自分が打って出ようとして母に止められた。また彼は何度もかつての領地である代に行幸している。 武帝は皇帝になってからお忍びで出歩くのを好ん…

ジンクス

漢の宣帝は匈奴の呼韓邪単于の入朝のあった黄龍元年に死亡。 漢の元帝は匈奴の呼韓邪単于の入朝のあった竟寧元年に死亡。漢の哀帝の時に匈奴単于が入朝を願い出ると、匈奴の入朝のたびに大喪があると言う理由で反対する者がおり、哀帝もこれを気にしたという…

聖地

http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51393594.htmlこれはマジなんだろうか。 まあ、無双は4が一番完成度高いと思うので、チョイスは間違っていない。そういう問題ではないような気もするが。

大学時代の同級生の

『近代日本の国体論―“皇国史観”再考』昆野伸幸ていうか、まだ買ってもいないのだが、10数年来の友人なので紹介しておく。 このブログ誰も見ていないという突っ込みは無視。この道を諦めた身としては、分野は違えど一時は共にこの道を目指した友人がこのよう…

最近読んだ

『遺跡の人』わたべ淳 ホント正直言って、この人消えたなー的に思ってたが、こんな形でまた見かけるとは思わんかった。レモンエンジェルの時にはお世話nry 読んでると無力感とか、ほとんどのものを失ったからこその充実感とか、妻(漫画家高見まこ)との別居…

シリーズ珍名さん

丁姓子孫(『漢書』儒林伝)姓は丁、名は姓、字は子孫。 最初に見たときはなんだこりゃと思った。

陳寿の本心その3

まーつまりあれですよ。劉備にはあって曹親子には無い「聖人」らしい身体的特徴。 蜀と魏の即位関連記事の充実度。ぶっちゃけ、陳寿って本心では「蜀こそ正統!」って思ってて、晋が魏を認めているから仕方なく魏を正統として魏を本紀としてるものの、上のよ…

至高のなんとか

「不得其醤不食」(『論語』郷党篇より) 以前、某所で孔子=海原遊山説を出してみたことがあったがまるで省みられなかった。 けど今も孔子の食に対する五月蝿さは海原先生(初期の)が近いと思っている。

陳寿の本心その2

『三国志』武帝紀・文帝紀、先主伝、呉主伝を、注を含めずに比べてみる。・公・王への封建 魏:武帝紀においては、建安18年に突如として天子(献帝)が曹操を魏公に封建したかのような印象を受ける。策書はおそらくほぼ全文が収録されている。曹操が三度謙譲…

身体的特徴その3あるいは陳寿の本心

『三国志』において、曹操や曹丕は身体的特徴が載っていない。 劉備は載っている。なお、劉邦、劉秀、司馬炎は載ってる。たまたま抜け落ちたとは思えないんだが。

『漢書』芸文志

気づいた事を列挙。大した意味はない。 ・『太史公書』(『史記』)は春秋家に分類されている。春秋を継ぐ歴史書ということだろうか。 ・兵権謀家には『孫子』『呉起』などと並んで『広武君』(李左車)、『韓信』という著作が記録されている。 ・兵形勢家に…

身体的特徴その2

劉備には「聖人」=天子にふさわしい(?)特異な身体的特徴が伝えられているけど、曹操、曹丕のそういう特徴ってなんかあったっけ?

平干国

漢の武帝の時代、趙王の子を分家して平干王に封じている。 しかしこの平干国、由来がよく分からん。 そういう地名は内っぽいんだが・・・。で、一つ考えたのは、これは「雅名」なんじゃないのか、ってこと。 漢はその後も「広世王」「広宗王」なんて王を立て…

身体的特徴

『白虎通』聖人 「聖人皆異表有り」つまり、聖人は特異な身体的特徴があるものなのだ、というのが漢代あたりの観念だったようだ。 黄帝は龍顔、堯は眉が八彩、舜は瞳が二重、禹は耳に三つ孔が空いている。周文王は乳首が四つ。周公旦は背中が曲がっており、…

仲良く喧嘩しな

『漢書』古今人表の末尾の方に、項梁、秦子嬰、項羽、陳勝、呉広が横一線に並んでいる。評価は「中下」というちょっと締まらないランク。ちなみに始皇帝も同じランク。趙高は「下下」。

上上から下下まで

『漢書』の構成で一番特徴的なのは、「古今人表」ではないだろうか。 これは伏犧から項羽に至るまでの、漢以前の人物名を「上上、上中、上下、中上、中中、中下、下上、下中、下下」の9段階評価に割り振って列記したもの。 ちなみに「上上」は「聖人」、「…

功臣の謎

索隱姚氏曰「蕭何第一、曹參二、張敖三、周勃四、樊噲五、酈商六、奚涓七、夏侯嬰八、灌嬰九、傅𥶡十、靳歙十一、王陵十二、陳武十三、王吸十四、薛歐十五、周昌十六、丁復十七、蠱逢十八。」(『史記』高祖功臣侯者年表注) 漢の高祖の功臣の序列。 下の方…

同姓同名2

漢の成帝の時の丞相王商。 漢の成帝の時の大将軍王商。 どっちも外戚。あまりにも紛らわしすぎる。成帝にとっての外戚には、自分の母(元后)の魏郡元城の王氏、宣帝の皇后の長陵の王氏、そして宣帝生母の涿郡蟸吾の王氏の3家があった。王商は涿郡蟸吾王氏…

『史記』韓信盧綰列傳

韓信といえばまず第一に韓王となった韓信のことです。 タイトルのとおり、それは司馬遷も認めています。 背水の陣で有名な人は淮陰侯と呼ばれます。二番手なんです。 Wikipediaはじめ、多くの人が誤解してるみたいですが。と言ってみゆ。

曹叡って・・・

曹叡は皇帝在位中に「You武皇帝(曹操)は太祖、文皇帝(曹丕)は高祖、そして陛下は烈祖にしちゃえばいいじゃん」っていう臣下の上奏を裁可している。つまり自ら自分の廟号を定めている。しかもいつまでも永続させるべき祖廟と。 このことについては『三国…

(朱)雲曰「今朝廷大臣上不能匡主、下亡以益民、皆尸位素餐、孔子所謂『鄙夫不可與事君』『苟患失之,亡所不至』者也。臣願賜尚方斬馬劍、斷佞臣一人以窅其餘」上問「誰也?」對曰「安昌侯張禹」(『漢書』朱雲伝)人の身長よりも長い剣を想像した人手を挙…

パクリ

魏受禪、遣使求璽綬、后怒不與。如此數輩、后乃呼使者入、親數讓之、以璽抵軒下、因涕泣膻流曰「天不祚爾!」左右皆莫能仰視。(『後漢書』皇后紀) 太后聞舜語切、恐莽欲脅之、乃出漢傳國璽、投之地以授舜曰「我老已死、如而兄弟、今族滅也!」(『漢書』元…

珍名さん

室中同 公上不害 昭渉掉尾 黄極中全部人名。全部漢の高祖の功臣。 どこで切るのかも分からない。

子産

『三国志』呉主伝赤烏2年の条に見える「張持」って『三国志』斉王紀嘉平5年の条の注に見える涿郡の人「張特」だろうか?涿郡の張氏って聞くとどうしても張飛を思い出すね。

代漢者當塗高

「代漢者當塗高」という公孫述も袁術も惑わされた言葉。 前漢の当塗侯の姓は魏氏。

同姓同名

梁丘賀字長翁、琅邪諸人也。以能心計、為武騎。從太中大夫京房受易。房者、淄川楊何弟子也。房出為齊郡太守、賀更事田王孫。宣帝時、聞京房為易明、求其門人、得賀。 (『漢書』儒林伝) 京房で易経というと京房易伝で有名な元帝の時の人がいるわけですが、…