2025-05-01から1ヶ月間の記事一覧
典軍施正勸(孫)綝徴立琅邪王(孫)休、綝從之。遣宗正楷奉書於休曰「綝以薄才、見授大任、不能輔導陛下。頃月以來、多所造立、親近劉承、悦於美色、發吏民婦女、料其好者、留於宮内。取兵子弟十八已下三千餘人、習之苑中、連日續夜、大小呼嗟、敗壞藏中矛…
そういえば、昨日の記事の時点で皇帝孫亮が15歳の少年なのに対して、傀儡としていた権臣孫綝は当時27歳だったんだよな・・・。 漠然としたイメージを裏切るような若さ。 孫亮が集めた指揮官候補の父というのは、ほぼ間違いなく孫綝よりもずっと年上の将…
夏四月、(孫)亮臨正殿、大赦、始親政事。(孫)綝所表奏、多見難問。 又科兵子弟年十八已下十五已上得三千餘人、選大將子弟年少有勇力者為之將帥。亮曰「吾立此軍、欲與之俱長。」日於苑中習焉。 (『三国志』巻四十八、孫亮伝、太平二年四月) 呉の皇帝孫…
性嗜酒、酒後歡呼極意、或推引杯觴、搏撃左右。(孫)權愛其才、弗之責也。 (『三国志』巻六十二、胡綜伝) 三国呉の胡綜は酒癖が悪く、大声で騒いだり盃で周囲の人間を殴ったりしていたのだそうだが、主君孫権は彼の才能に免じて責めないでいたのだとか。 …
t-s.hatenablog.com かの李傕にとって池陽県というのは本来の出身北地郡から移住させられた土地だと思われる。 その池陽県は左馮翊の管轄である。 以賈詡為左馮翊、欲侯之。詡曰「此救命之計、何功之有!」固辭乃止。更以為尚書典選。 (『後漢書』列伝第六…
州といえば、前漢は13の州刺史以外にも刺史がいたり(朔方刺史)、そもそも州刺史が管轄しない郡(三輔とか)があったりするの、すごく分かりにくいよな・・・。 前漢あたりの色々な粗削りさの象徴みたいな話だと思う。
蜀漢はこれまでの「益州郡」を「建寧郡」へ改称してるんだが、これはやっぱり「益州」だけでは州なのか郡なのかわからなくて不便だったからじゃないのかなあ・・・。
なんだか今日は絶妙に体調が良くない気がする・・・。 たぶん、5日間も連続で仕事するほどの体力がないのだ。 思考力も低下気味なので、休むことにする・・・。ではまた。
趙彦者、琅邪人也。少有術學。 延熹三年、琅邪賊勞丙與太山賊叔孫無忌殺都尉、攻沒琅邪屬縣、殘害吏民。朝廷以南陽宗資為討寇中郎將、杖鉞將兵、督州郡合討無忌。 彦為陳孤虛之法、以賊屯在莒、莒有五陽之地、宜發五陽郡兵、從孤撃虚以討之。資具以狀上、詔…
今日はすごく眠い。昨日キケロガを見届けてしまったせいかもしれない。 おやすみ・・・。
及(樊)崇等欲立帝、求軍中景王後者、得七十餘人、唯(劉)盆子與茂及前西安侯劉孝最為近屬。 (『後漢書』列伝第一、劉盆子伝) かの劉盆子がくじ引きで皇帝に選ばれる際、城陽景王(劉章)に特に近い血筋として劉盆子兄弟の他に「前西安侯劉孝」なる人物…
新末の南陽の劉氏、そもそもが王莽の元々の領国もあるところなのにやけに反抗的なのスゲーって思う。 しかも安衆侯とか舂陵侯とかの本家筋が反王莽ガチ勢っぽいし。 既得権を奪われるという危機感があったからにしても、中々荒々しい。 先祖が景帝の子の中で…
順陽懷侯嘉字孝孫、光武族兄也。父憲、舂陵侯敞同産弟。嘉少孤、性仁厚、南頓君養視如子、後與伯升倶學長安、習尚書・春秋。 (『後漢書』列伝第四、順陽懐侯嘉伝) へえ、後漢の初代皇帝の兄劉伯升(劉縯)は長安で学問を修めたのか。 皇帝になった弟の方が…
(公孫)述省書歎息、以示所親太常常少・光祿勳張隆。隆・少皆勸降。 (『後漢書』列伝第三、公孫述伝) 蜀の皇帝公孫述の大臣に「常少」という姓名の者がいたらしい。 「少」という名は珍しいし、それに「常」という姓が加わると文章の一部のように見えてく…
(公孫)述夢有人語之曰「八厶子系、十二為期。」覺、謂其妻曰「雖貴而祚短、若何?」妻對曰「朝聞道、夕死尚可、況十二乎!」 會有龍出其府殿中、夜有光耀、述以為符瑞、因刻其掌、文曰「公孫帝」。 建武元年四月、遂自立為天子、號成家。 (『後漢書』列伝…
嘗因朝會、聞帝讀隗囂・公孫述相與書、(韓)歆曰「亡國之君皆有才、桀紂亦有才。」帝大怒、以為激發。 (『後漢書』列伝第十六、侯覇伝) 後漢初期の韓歆は、後漢が滅ぼした敵対勢力であった隗囂と公孫述のやりとりの手紙を皇帝が読んでいた、と聞くと、「…
すっごく眠くなってる。 気が付けば5月ももう半分・・・。今日はお休み。
宋登字叔陽、京兆長安人也。父由、為太尉。 登少傳歐陽尚書、教授數千人。為汝陰令、政為明能、號稱「神父」。 (『後漢書』列伝第六十九上、儒林伝上、宋登) 後漢の儒者の宋登は、汝陰県令の時に「神父」と呼ばれたのだそうだ。 世界一有名な大工の息子が…
建武五年、舉孝廉、不行、遂逃、教授於江陵。光武聞之、即除為江陵令。 時縣連年火灾、(劉)昆輒向火叩頭、多能降雨止風。 徴拝議郎、稍遷侍中・弘農太守。 先是崤黽驛道多虎灾、行旅不通。昆為政三年、仁化大行、虎皆負子度河。帝聞而異之。 二十二年、徴…
気づいたんだがうちのネッコがワイの夕食をずっと狙ってる。 本当に一瞬の隙を見逃さずにこちらの飯を食おうとしてくる。 先にネッコ飯を食わせているというのに。 最高に困った生き物である。
琅邪といえば、そういや西晋から東晋の時も琅邪は特別な意味を持っていたんだった。 なにしろ生き残って東晋の皇帝となったのが琅邪王だったのだから。 やはり中々に興味深い土地かもしれない。
琅邪郡(国)って、新から後漢の時も、後漢から三国にかけての時も、割と特別な立ち位置だったんだな。 新の時は赤眉関係の発祥の地だし、後漢末の時は曹嵩の疎開、おなじみ諸葛亮の出身と、これはこれでまあまあ特殊な立ち位置に思える。 どうもその後ずっ…
今日は少々疲れてるのでお休み。またいつかお会いしましょう。
郎陽成脩獻符命、言繼立民母、又曰「黄帝以百二十女致神僊。」(王)莽於是遣中散大夫・謁者各四十五人分行天下、博采郷里所高有淑女者上名。 (『漢書』巻九十九下、王莽伝下、地皇二年) 王莽は臣下の「黄帝は彼のことが大大大大大好きな120人の彼女に…
t-s.hatenablog.com 厭難將軍陳欽言、捕虜生口虜犯邊者皆孝單于咸子角所為。(王)莽怒、斬其子登於長安、以視諸蠻夷。 (『漢書』巻九十九中、王莽伝中、始建国四年) 先日の王莽の先生陳欽の転機。 新を攻めていた匈奴から「この攻撃は孝単于の子の角がや…
t-s.hatenablog.com 前漢は周王の末裔を封建していたが、王莽の頃にその諸侯を「鄭公」と改称していた。 周王朝時代の鄭は確かに周王の血族が封建された国なので、それを踏まえたものだろうとは思う。 ほぼ同時期に、殷王の末裔とされる者の国は周が殷王の末…
(胡)常授黎陽賈護季君、哀帝時待詔為郎、授蒼梧陳欽子佚、以左氏授王莽、至將軍。 (『漢書』巻八十八、儒林伝) 前漢末期、蒼梧の人陳欽なる人物は左伝を王莽に教えた人物で、将軍になったという。 遣五威將軍苗訢・虎賁將軍王況出五原、厭難將軍陳欽・震…
漢の昭帝の時に眭弘(眭孟)という人物がいた。 彼は石が自立した、枯れていた木が復活した、葉に「公孫病已立」という謎のメッセージが現れた、といった異変を王朝交代の前兆と判断し、皇帝に対してしかるべき人物に譲位すべしと堂々主張して処刑された。 …
すげー眠いので、なんというか明日からの自分に期待することにして、今日は何もしないことにします。
昨日の話の続きだが、『史記』循吏伝は『漢書』循吏伝よりも更にメッセージ性が強いんだった。 収録巻の位置的には漢代の人物を収録する巻かと思いきや、漢代の人間は一人も載っていないのである。 同時代には循吏はいないな、という司馬氏のメッセージでは…