諸葛亮VS周瑜・魯粛

客問曰「周瑜・魯肅何人也?」主人曰「小人也」客曰「周瑜孫策於總角、定大計於一面、摧魏武百勝之鋒、開孫氏偏王之業、威震天下、名馳四海。魯肅一見孫權建東帝之略、子謂之小人、何也?」主人曰「此乃眞所以爲小人也。夫君子之道、故將竭其直忠、佐扶帝室、尊主寧時、遠崇名教。若乃力不能合、事與志違、躬耕南畝、遁跡當年、何由盡臣禮於孫氏於漢室已亡之日耶!」客曰「諸葛武侯、翼戴玄紱、與瑜・肅何異而子重諸葛、毀瑜・肅、何其偏也?」主人曰「夫論古今者、故宜先定其所爲之本、迹其致用之源。諸葛武侯、龍蟠江南、託好管・樂、有匡漢之望、是有宗本之心也。今玄紱、漢高之正胄也、信義著於當年、將使漢室亡而更立、宗廟絶而復繼、誰云不可哉!」
(『太平御覧』人事部八十八、品藻下、習鑿歯『側周魯通諸葛論』)


かの東晋の史家である習鑿歯は、「側周魯通諸葛論」というものを残していた。




これは、いわゆる孫呉成立の立役者ともいえる周瑜魯粛と、蜀漢の屋台骨を支えた諸葛亮の優劣を論じたものであったらしく、「客」と「主人」の対話形式であった。






客:周瑜魯粛はどんな人か?



主人:小物だな。



客:魏武帝曹操)を退け孫氏の王業を開いた周瑜や、孫権に東帝となる戦略を語った魯粛が小物?



主人:だからこそ小物なのだよ。君子というものは帝室に忠を尽くすべきであるが、それが叶わぬ世の中ならば隠遁するべきである。なぜ周瑜魯粛漢王朝が滅びる前から孫氏に臣下として忠誠を誓うのか?



客:諸葛武侯(諸葛亮)だって玄徳(劉備)を助けたではないか。それなのに貴方は周瑜魯粛をdisって諸葛武侯の肩ばかり持って、公平じゃないんじゃないか?



主人:諸葛武侯は漢王朝を救うという気持ちがあった。それに玄徳は漢の高祖の末裔で信義が世に聞こえていた。漢王朝が滅んだ時に彼が継ぐことになっても誰も駄目とは言うまい。






どうやら、習鑿歯としては漢王朝を守り救うという君子として守るべき道を進んだ諸葛亮の方が、漢が滅びる前から孫氏に付くという漢から見れば反逆行為を行っていた周瑜魯粛よりも立派な君子である、と考えていたようだ。



無論、これは習鑿歯はそう思っていたらしいというだけであって、当時の人が皆そう思っていたことを意味するわけではないが。




また、習鑿歯は劉備が漢を継ぐことを肯定していたこと、および周瑜と共に魯粛孫呉成立に於いて果たした戦略上の役割を割と重んじていたことも注目すべきかもしれない。