曹叡が司馬懿人気を生んだ

初、魏明帝好修宮室、制度靡麗、百姓苦之。帝自遼東還、役者猶萬餘人、雕玩之物動以千計。至是皆奏罷之、節用務農、天下欣頼焉。
(『晋書』巻一、宣帝紀

魏の烈祖明皇帝こと曹叡様が司馬懿と曹爽に後を託して逝ってしまった後、司馬懿曹叡様がやらせていた宮殿作りのための徭役をやめさせ、宮殿の贅沢も控えさせるようにした。



そこで人々は喜び、司馬懿を頼みとするようになったのだ、という。





「とてもアカン皇帝の不始末をとても優れた臣下が後始末をした。この臣下こそが次の皇帝にふさわしい」というある種のテンプレとも言えるが、曹叡様がそのアカン皇帝として位置付けられていることはこの時期の魏王朝を考える上で大事な要素なんじゃないかなあ、って思う。