韓伯休、あるいは可哀想な亭長

韓康字伯休、一名恬休、京兆霸陵人。家世著姓。常采藥名山、賣於長安市、口不二價、三十餘年。
時有女子從康買藥、康守價不移。女子怒曰「公是韓伯休那?乃不二價乎?」康歎曰「我本欲避名、今小女子皆知有我、何用藥為?」乃遯入霸陵山中。
博士公車連徴不至。桓帝乃備玄纁之禮、以安車聘之。使者奉詔造康、康不得已、乃許諾。辭安車、自乗柴車、冒晨先使者發。至亭、亭長以韓徴君當過、方發人牛脩道橋。及見康柴車幅巾、以為田叟也、使奪其牛。康即釋駕與之。有頃、使者至、奪牛翁乃徴君也。使者欲奏殺亭長。康曰「此自老子與之、亭長何罪!」乃止。康因中道逃遯、以壽終。
(『後漢書』列伝第七十三、逸民列伝、韓康)

後漢の隠者韓康(伯休)は山で薬草を採取して市場で売ることで生活していたが、値引きをしなかったので逆に有名になっていたといううっかり者であった。




そんな彼は桓帝の時に皇帝自らのお召しを受けて皇帝の元へ行くこととなったが、その使者の高級車ではなく自分の軽自動車で行くことにし、しかも使者よりも先に一人で出発してしまった。



おそらく、隠者としてはやむを得ず皇帝の召し出しに応じるにしても煌びやかな使者と同行したくなかったのだろう。



だが、韓伯休は通過する予定の亭長が使者と彼の通る橋を急ピッチで修繕しているところに遭遇。


そこで、亭長は見た目がみずぼらしく、乗っている車もオンボロという韓伯休を単なる現地の民と思い、彼から乗っている車の牛を橋修繕のために徴発してしまい、韓伯休も身分を明かすことなく与えてしまった。




その後、真相が発覚したことで、皇帝自ら招いた隠者にとんでもない無礼を働いた亭長を処刑しようと使者が上奏しようとしたが、韓伯休は「自分から与えたのだから亭長には罪はない」ととりなしたため亭長は助かったという。




結局韓伯休は皇帝のところまで行く前に逃亡してしまい、そのまま隠れ続けて一生を終えたという。






誤解を招く風体や行動によって、気は利かなかったかもしれないが悪事まではしていない役人が危うく命を落とすという日常に潜む不条理・・・!!




韓伯休から牛を奪ってしまった亭長も、彼を逃がしてしまった使者も、おそらくはその後左遷か罷免などの憂き目には遭っているのではなかろうか。



隠者というのは周囲には迷惑をかけてでも隠れ続けるという業を背負った存在ということも言えるかもしれない。