三都尉

子孫為三都尉封侯者五十餘人。尚書令樊建・侍中張紹・光祿大夫譙周・祕書令郤正・殿中督張通並封列侯。
(『三国志』巻三十三、後主伝)

蜀漢が滅んだあと、晋によって蜀漢の遺臣や子孫は「三都尉」や列侯にされたという。



列侯はいいとして「三都尉」とは何かというと・・・。



奉朝請、本不為官、無員。漢東京罷三公・外戚・宗室・諸侯多奉朝請。奉朝請者、奉朝會請召而已。武帝亦以宗室・外戚為奉車・駙馬・騎三都尉而奉朝請焉。
(『晋書』巻二十四、職官志)


奉車都尉、駙馬都尉、騎都尉の三つの都尉のことを言うようだ。



これらは本来は皇帝の側に仕える側近の武官とでも言うべき存在であり、貴人や朝臣が集う朝会に参列するが具体的な職責は無いに等しいという名誉職であった。



そのため外戚や皇室といった、高い地位は与えたいが強い権限は与えたくないという者に与えられることが多かったようである。




蜀の遺臣や子孫が与えられたのもそういう官であったということであり、「地位の上では優遇するが実権は与えない」というのが基本方針であったと想像されるところだ。