連座拒否宣言

天紀元年夏、夏口督孫慎出江夏・汝南、燒略居民。 初、騶子張俶多所譖白、累遷為司直中郎將、封侯、甚見寵愛。是歳姦情發聞、伏誅。 【注】 江表傳曰、俶父、會稽山陰縣卒也、知俶不良、上表云「若用俶為司直、有罪乞不從坐。」(孫)晧許之。俶表立彈曲二十…

ひとこと

王沈字處道、太原晉陽人也。祖柔、漢匈奴中郎將。父機、魏東郡太守。沈少孤、養於從叔司空昶、事昶如父、奉繼母寡嫂以孝義稱。 (『晋書』巻三十九、王沈伝) 『晋書』によれば王沈の「従叔」は魏の王昶だという。 其為兄子及子作名字、皆依謙實、以見其意、…

似た者親子

t-s.hatenablog.com 劉禅は晋に降伏して安楽公になった。 その安楽公劉禅は後継ぎとして当時の長子ではなく中子の劉恂を敢えて選んだらしい。 だがその二代目安楽公は「驕暴」「淫乱無道」であったとされ、蜀ゆかりの者たちが廃位を願い出ようとまで思ったそ…

滎陽郡開封県の鄭氏

鄭沖字文和、滎陽開封人也。起自寒微、卓爾立操、清恬寡欲、耽玩經史、遂博究儒術及百家之言。有姿望、動必循禮、任真自守、不要郷曲之譽、由是州郡久不加禮。 (『晋書』巻三十三、鄭沖伝) 魏から晋にかけての儒者、滎陽郡開封県の鄭沖。彼は晋草創期の大…

はがない

成恭杜皇后諱陵陽、京兆人、鎮南將軍預之曾孫也。父乂、見外戚傳。 成帝以后奕世名徳、咸康二年備禮拝為皇后、即日入宮。帝御太極前殿、羣臣畢賀、晝漏盡、懸籥、百官乃罷。后少有姿色、然長猶無齒、有來求婚者輒中止。及帝納采之日、一夜齒盡生。改宣城陵陽…

晋の丞相司直

劉隗字大連、彭城人、楚元王交之後也。父砥、東光令。隗少有文翰、起家祕書郎、稍遷冠軍將軍・彭城内史。避亂渡江、元帝以為從事中郎。 隗雅習文史、善求人主意、帝深器遇之。遷丞相司直、委以刑憲。 (『晋書』巻六十九、劉隗伝) 及有變、司直彈劾衆官、元…

錫県は錫県じゃない:その2

鄖郷令。本錫縣、二漢舊縣、屬漢中、後屬魏興、魏・晉世為郡、後省。武帝太康五年、改為鄖郷。何志晉惠帝立、非也。 錫縣令。前漢長利縣、屬漢中、後漢省。晉武帝太康四年復立、屬魏興。五年、改長利為錫。 (『宋書』巻三十七、州郡志三、梁州刺史、魏興太…

弘農楊氏と天水趙氏

武元楊皇后諱艷、字瓊芝、弘農華陰人也。 父文宗、見外戚傳。母天水趙氏、早卒。 后依舅家、舅妻仁愛、親乳養后、遣他人乳其子。及長、又隨後母段氏、依其家。 (『晋書』巻三十一、后妃伝上、武元楊皇后) 晋の武帝司馬炎の正妻楊氏の母は「天水趙氏」だっ…

王氏と楊氏、あと司馬氏

王朗字景興、東海郯人也。以通經拝郎中、除菑丘長。師太尉楊賜、賜薨、棄官行服。 ・・・(中略)・・・ 黄初中、鵜鶘集靈芝池、詔公卿舉獨行君子。朗薦光祿大夫楊彪、且稱疾、讓位於彪。帝乃為彪置吏卒、位次三公。 (『三国志』巻十三、王朗伝) 王朗は太…

王氏の母

帝以后母羊氏未崇諡號、泰始三年下詔曰・・・(中略)・・・故衛將軍・蘭陵景侯夫人羊氏・・・(後略)・・・ (『晋書』巻三十一、后妃伝上、文明王皇后) へえ、司馬昭の妻王氏(王元姫)の母は羊氏だったのか。 言い換えると羊氏は王粛(王朗の子)の妻。…

約束の地

初、天子之立非(袁)紹意、及在河東、紹遣潁川郭圖使焉。圖還説紹迎天子都鄴、紹不從。會太祖迎天子都許、收河南地、關中皆附。 (『三国志』巻六、袁紹伝) 曹操は天子を迎えて許に行き、河南地を納めた。 この「河南地」はまあ黄河の南側、河南郡やその近…

『晋諸公賛』

傅暢晉諸公贊曰 (『三国志』巻四、高貴郷公髦紀注) 昨日の記事で出した『晋諸公賛』を記したのは「傅暢」というヤツらしい。 (傅)祗字子莊。父嘏、魏太常。・・・(中略)・・・祗自以義誠不終、力疾手筆敕厲其二子宣・暢、辭旨深切、覽者莫不感激慷慨。…

韓寿の評価

(賈)謐字長深。母賈午、充少女也。父韓壽、字徳真、南陽堵陽人、魏司徒暨曾孫。美姿貌、善容止、賈充辟為司空掾。 充毎讌賓僚、其女輒於青璅中窺之、見壽而悦焉。問其左右識此人不、有一婢説壽姓字、云是故主人。女大感想、發於寤寐。婢後往壽家、具説女意…

州泰の就職

干寶有言曰、昔高祖宣皇帝以雄才碩量、應時而仕、値魏太祖創基之初、籌畫軍國、嘉謀屢中、遂服輿軫、驅馳三世。性深阻有若城府、而能寬綽以容納。行任數以御物、而知人善采拔。故賢愚咸懷、大小畢力。爾乃取鄧艾于農瑣、引州泰于行役、委以文武、各善其事。…

呂布本事

呂布本事一卷、毛范撰。 (『隋書』巻三十三、経籍志二、史、雑史) 『隋書』経籍志によると、「呂布本事」という書があったそうな。 前後の書などから判断すると、晋頃の人の筆によるものに思われるが、毛范なる人物が何者で、「呂布本事」がどういう書なの…

台崇の子孫

臺産字國儁、上洛人、漢侍中崇之後也。少專京氏易、善圖讖・祕緯・天文・洛書・風角・星算・六日七分之學、尤善望氣・占候・推歩之術。隠居商洛南山、兼善經學、汎情教授、不交當世。 (『晋書』巻九十五、芸術伝、台産) (八月)辛亥、鎮東將軍曹操自領司…

次国

晉文帝為晉王、命裴秀等建立五等之制。 惟安平郡公孚邑萬戸、制度如魏諸王。其餘縣公邑千八百戶、地方七十五里。大國侯邑千六百戸、地方七十里。次國侯邑千四百戸、地方六十五里。大國伯邑千二百戶、地方六十里。次國伯邑千戸、地方五十五里。大國子邑八百戸…

幸霊の霊能力

(幸)靈所救愈多此類、然不取報謝。行不騎乗、長不娶妻、性至恭、見人即先拝、言輒自名。凡草木之夭傷於山林者、必起理之、器物之傾覆於途路者、必舉正之。周旋江州間、謂其士人曰「天地之於人物、一也、咸欲不失其情性、奈何制服人以為奴婢乎!諸君若欲享…

幸霊

幸靈者、豫章建昌人也。 性少言、與小人羣居、見侵辱而無慍色、邑里號之癡、雖其父母兄弟亦以為癡也。 嘗使守稻、羣牛食之、靈見而不驅、待牛去乃往理其殘亂者。其父母見而怒之、靈曰「夫萬物生天地之間、各欲得食。牛方食、奈何驅之!」其父愈怒曰「即如汝…

中廬の人

昨日の記事(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/05/09/000100)で引用した『傅子』によると、蒯越は「南郡の人」である。 一方、ちょっと前のこの記事(https://t-s.hatenablog.com/entry/20120207/1328543748)で引用した『晋陽秋』によれば、蒯良は「…

蛍の光

車胤字武子、南平人也。 曾祖浚、呉會稽太守。父育、郡主簿。 太守王胡之名知人、見胤於童幼之中、謂胤父曰「此兒當大興卿門、可使專學。」胤恭勤不倦、博學多通。家貧不常得油、夏月則練囊盛數十螢火以照書、以夜繼日焉。 (『晋書』巻八十三、車胤伝) か…

袁渙の理

袁宏漢紀曰、(袁)滂字公熙、純素寡欲、終不言人之短。當權寵之盛、或以同異致禍、滂獨中立於朝、故愛憎不及焉。 (『三国志』巻十一、袁渙伝注引『漢紀』) 袁氏世紀曰、(呂)布之破也、陳羣父子時亦在布之軍、見太祖皆拝。(袁)渙獨高揖不為禮、太祖甚…

昨日の続き

昨日の記事について、このようなご意見をいただいた。 斲棺の斲は削ではなく剖。棺をまっぷたつに叩き割る。屍体はそのまま埋める。三國志王淩伝「春秋之義齊崔杼鄭歸生皆加追戮陳屍斲棺載在方策。淩愚罪宜如舊典。乃發淩愚冢剖棺暴屍於所近市三日燒其印綬朝…

合族

孫旂字伯旗、樂安人也。父歴、魏晉際為幽州刺史・右將軍。 ・・・(中略)・・・ 旂子弼及弟子髦・輔・琰四人、並有吏材、稱於當世、遂與孫秀合族。 (『晋書』巻六十、孫旂伝) 晋の孫旂は八王の乱の趙王司馬倫の臣である孫秀と「合族」したという。ちなみ…

ひとこと

後漢、魏、晋の皇帝で一番長寿だったのが光武帝で、その次が晋の武帝司馬炎なのか・・・。 蜀漢・呉や生前即位していない者も含めるとまた変わってくるけど。 なお新も含めると王莽がトップ。

『三国志』陳留王奐紀を読んでみよう:その8

その7(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/03/24/000100)の続き。

『三国志』陳留王奐紀を読んでみよう:その7

その6(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/03/23/000100)の続き。

『三国志』陳留王奐紀を読んでみよう:その6

その5(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/03/22/000100)の続き。

『三国志』陳留王奐紀を読んでみよう:その5

その4(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/03/21/000100)の続き。

『三国志』陳留王奐紀を読んでみよう:その4

その3(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/03/20/000100)の続き。