弘農楊氏と天水趙氏

武元楊皇后諱艷、字瓊芝、弘農華陰人也。 父文宗、見外戚傳。母天水趙氏、早卒。 后依舅家、舅妻仁愛、親乳養后、遣他人乳其子。及長、又隨後母段氏、依其家。 (『晋書』巻三十一、后妃伝上、武元楊皇后) 晋の武帝司馬炎の正妻楊氏の母は「天水趙氏」だっ…

王氏と楊氏、あと司馬氏

王朗字景興、東海郯人也。以通經拝郎中、除菑丘長。師太尉楊賜、賜薨、棄官行服。 ・・・(中略)・・・ 黄初中、鵜鶘集靈芝池、詔公卿舉獨行君子。朗薦光祿大夫楊彪、且稱疾、讓位於彪。帝乃為彪置吏卒、位次三公。 (『三国志』巻十三、王朗伝) 王朗は太…

王氏の母

帝以后母羊氏未崇諡號、泰始三年下詔曰・・・(中略)・・・故衛將軍・蘭陵景侯夫人羊氏・・・(後略)・・・ (『晋書』巻三十一、后妃伝上、文明王皇后) へえ、司馬昭の妻王氏(王元姫)の母は羊氏だったのか。 言い換えると羊氏は王粛(王朗の子)の妻。…

約束の地

初、天子之立非(袁)紹意、及在河東、紹遣潁川郭圖使焉。圖還説紹迎天子都鄴、紹不從。會太祖迎天子都許、收河南地、關中皆附。 (『三国志』巻六、袁紹伝) 曹操は天子を迎えて許に行き、河南地を納めた。 この「河南地」はまあ黄河の南側、河南郡やその近…

『晋諸公賛』

傅暢晉諸公贊曰 (『三国志』巻四、高貴郷公髦紀注) 昨日の記事で出した『晋諸公賛』を記したのは「傅暢」というヤツらしい。 (傅)祗字子莊。父嘏、魏太常。・・・(中略)・・・祗自以義誠不終、力疾手筆敕厲其二子宣・暢、辭旨深切、覽者莫不感激慷慨。…

韓寿の評価

(賈)謐字長深。母賈午、充少女也。父韓壽、字徳真、南陽堵陽人、魏司徒暨曾孫。美姿貌、善容止、賈充辟為司空掾。 充毎讌賓僚、其女輒於青璅中窺之、見壽而悦焉。問其左右識此人不、有一婢説壽姓字、云是故主人。女大感想、發於寤寐。婢後往壽家、具説女意…

州泰の就職

干寶有言曰、昔高祖宣皇帝以雄才碩量、應時而仕、値魏太祖創基之初、籌畫軍國、嘉謀屢中、遂服輿軫、驅馳三世。性深阻有若城府、而能寬綽以容納。行任數以御物、而知人善采拔。故賢愚咸懷、大小畢力。爾乃取鄧艾于農瑣、引州泰于行役、委以文武、各善其事。…

呂布本事

呂布本事一卷、毛范撰。 (『隋書』巻三十三、経籍志二、史、雑史) 『隋書』経籍志によると、「呂布本事」という書があったそうな。 前後の書などから判断すると、晋頃の人の筆によるものに思われるが、毛范なる人物が何者で、「呂布本事」がどういう書なの…

台崇の子孫

臺産字國儁、上洛人、漢侍中崇之後也。少專京氏易、善圖讖・祕緯・天文・洛書・風角・星算・六日七分之學、尤善望氣・占候・推歩之術。隠居商洛南山、兼善經學、汎情教授、不交當世。 (『晋書』巻九十五、芸術伝、台産) (八月)辛亥、鎮東將軍曹操自領司…

次国

晉文帝為晉王、命裴秀等建立五等之制。 惟安平郡公孚邑萬戸、制度如魏諸王。其餘縣公邑千八百戶、地方七十五里。大國侯邑千六百戸、地方七十里。次國侯邑千四百戸、地方六十五里。大國伯邑千二百戶、地方六十里。次國伯邑千戸、地方五十五里。大國子邑八百戸…

幸霊の霊能力

(幸)靈所救愈多此類、然不取報謝。行不騎乗、長不娶妻、性至恭、見人即先拝、言輒自名。凡草木之夭傷於山林者、必起理之、器物之傾覆於途路者、必舉正之。周旋江州間、謂其士人曰「天地之於人物、一也、咸欲不失其情性、奈何制服人以為奴婢乎!諸君若欲享…

幸霊

幸靈者、豫章建昌人也。 性少言、與小人羣居、見侵辱而無慍色、邑里號之癡、雖其父母兄弟亦以為癡也。 嘗使守稻、羣牛食之、靈見而不驅、待牛去乃往理其殘亂者。其父母見而怒之、靈曰「夫萬物生天地之間、各欲得食。牛方食、奈何驅之!」其父愈怒曰「即如汝…

中廬の人

昨日の記事(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/05/09/000100)で引用した『傅子』によると、蒯越は「南郡の人」である。 一方、ちょっと前のこの記事(https://t-s.hatenablog.com/entry/20120207/1328543748)で引用した『晋陽秋』によれば、蒯良は「…

蛍の光

車胤字武子、南平人也。 曾祖浚、呉會稽太守。父育、郡主簿。 太守王胡之名知人、見胤於童幼之中、謂胤父曰「此兒當大興卿門、可使專學。」胤恭勤不倦、博學多通。家貧不常得油、夏月則練囊盛數十螢火以照書、以夜繼日焉。 (『晋書』巻八十三、車胤伝) か…

袁渙の理

袁宏漢紀曰、(袁)滂字公熙、純素寡欲、終不言人之短。當權寵之盛、或以同異致禍、滂獨中立於朝、故愛憎不及焉。 (『三国志』巻十一、袁渙伝注引『漢紀』) 袁氏世紀曰、(呂)布之破也、陳羣父子時亦在布之軍、見太祖皆拝。(袁)渙獨高揖不為禮、太祖甚…

昨日の続き

昨日の記事について、このようなご意見をいただいた。 斲棺の斲は削ではなく剖。棺をまっぷたつに叩き割る。屍体はそのまま埋める。三國志王淩伝「春秋之義齊崔杼鄭歸生皆加追戮陳屍斲棺載在方策。淩愚罪宜如舊典。乃發淩愚冢剖棺暴屍於所近市三日燒其印綬朝…

合族

孫旂字伯旗、樂安人也。父歴、魏晉際為幽州刺史・右將軍。 ・・・(中略)・・・ 旂子弼及弟子髦・輔・琰四人、並有吏材、稱於當世、遂與孫秀合族。 (『晋書』巻六十、孫旂伝) 晋の孫旂は八王の乱の趙王司馬倫の臣である孫秀と「合族」したという。ちなみ…

ひとこと

後漢、魏、晋の皇帝で一番長寿だったのが光武帝で、その次が晋の武帝司馬炎なのか・・・。 蜀漢・呉や生前即位していない者も含めるとまた変わってくるけど。 なお新も含めると王莽がトップ。

『三国志』陳留王奐紀を読んでみよう:その8

その7(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/03/24/000100)の続き。

『三国志』陳留王奐紀を読んでみよう:その7

その6(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/03/23/000100)の続き。

『三国志』陳留王奐紀を読んでみよう:その6

その5(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/03/22/000100)の続き。

『三国志』陳留王奐紀を読んでみよう:その5

その4(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/03/21/000100)の続き。

『三国志』陳留王奐紀を読んでみよう:その4

その3(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/03/20/000100)の続き。

『三国志』陳留王奐紀を読んでみよう:その3

その2(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/03/19/000100)の続き。

『三国志』陳留王奐紀を読んでみよう:その2

その1(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/03/18/000100)の続き。

『三国志』陳留王奐紀を読んでみよう:その1

高貴郷公髦紀(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/03/17/000100)の続き。

『三国志』高貴郷公髦紀を読んでみよう:その10

その9(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/03/16/000100)の続き。

『三国志』高貴郷公髦紀を読んでみよう:その9

その8(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/03/15/000100)の続き。

『三国志』高貴郷公髦紀を読んでみよう:その8

その7(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/03/14/000100)の続き。

『三国志』高貴郷公髦紀を読んでみよう:その7

その6(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/03/13/000100)の続き。