2025-09-01から1ヶ月間の記事一覧
今日で9月終わりなの・・・? ってことは今年度の上半期が終わり、ってコト?! 噓だろ・・・?嘘だと言ってよ・・・。 ショックで1回休み。
そういえば曹操も袁紹も途中で官に就かず隠遁しているが、袁紹は確実に高額な売官となる太守になる前から隠遁していて、曹操は一度太守級に赴任していながら2回目で赴任せず隠遁、という違いがあるんだな。 袁紹は服喪中に売官が始まったために服喪が明けて…
刺史・二千石及茂才孝廉遷除、皆責助軍修宮錢、大郡至二三千萬、餘各有差。當之官者、皆先至西園諧價、然後得去。有錢不畢者、或至自殺。其守清者、乞不之官、皆迫遣之。 (『後漢書』列伝第六十八、宦者列伝、張讓) かの後漢末売官では、太守(二千石)や…
曹操が済南相になったのは黄巾の乱後なので中平2年ころだろうか。 当時は一般に3年で異動だったはずなので、東郡太守に任命されたのも3年後だろうか。 とすれば中平5年ころになる。この中平5年というのは父曹嵩が大司農から太尉に昇進した年である。 こ…
今日も全身疲れてるので、いつものように休みます・・・。 関係ないけどSwitch2って高いなぁ・・・。
何進と霊帝の母董氏一族の関係は、「売官反対派の牙城」と「売官を提案した側」という対立関係だったんじゃないか、ってふと思った。 確たる根拠は無い。
光和末、黄巾起。拝騎都尉、討潁川賊。遷為濟南相、國有十餘縣、長吏多阿附貴戚、贓汚狼藉、於是奏免其八、禁斷淫祀、姦宄逃竄、郡界肅然。 久之、徴還為東郡太守、不就、稱疾歸郷里。 (『三国志』巻一、武帝紀) 曹操は黄巾の乱の後に済南相となり、そこで…
昨日の記事にいただいたコメントで思ったが、曹嵩が三公になるために相場をはるかに超える出費をしてしまったことで、曹操の仕官に影響したとか、そこまで売官に力を注がなかった曹洪の家の方が財力で上回るようになったとか、そういう影響がでた可能性はあ…
そういえば、後漢霊帝の売官の時期に曹操も済南相になっていることになるが、曹操も銭は出したんだろうな。 父がもっと出していることを思えば、太守・相の際に出す分は捻出できそうだし。 ただ、次の東郡太守を辞したらしいのは、あるいは資金繰りが厳しく…
そういえば、先日の話からすると、後漢末の三公クラスの売官は皇帝に売値設定の権限があったということだろうか。 実際には宦官あたりが差配していたかもしれないが、ある程度は皇帝(霊帝)自身がコントロールできていたとすれば、「安くしてもらおうと皇帝…
今日もお疲れにつき・・・。また今度・・・。 眠いと頭が働かないので・・・。
今日はちょっと仕事が長かったし疲れて眠い・・・。お休み。
そういえば、同じ霊帝期の太尉でありながら曹嵩は1億銭だったのに対して、崔烈は500万銭だったとされてるんだな。 霊帝自身も崔烈は安くしすぎたと後悔したそうだが(『後漢書』崔寔伝)、それにしても20倍というのは曹嵩に厳しすぎる気もする。 だが…
始、(曹)洪家富而性吝嗇、文帝少時假求不稱、常恨之,遂以舍客犯法、下獄當死。羣臣並救莫能得。卞太后謂郭后曰「令曹洪今日死、吾明日敕帝廢后矣。」於是泣涕屢請、乃得免官削爵土。 (『三国志』巻九、曹洪伝) そういえば、曹丕によって曹洪が処刑寸前…
劉備遣將呉蘭屯下辯、太祖遣曹洪征之、以(曹)休為騎都尉、參洪軍事。太祖謂休曰「汝雖參軍、其實帥也。」洪聞此令、亦委事於休。 (『三国志』巻九、曹休伝) 曹洪は対劉備の戦において、いわば総大将となったが、曹操は参軍事の曹休に「お前は参軍だが本…
久之、太祖遣都護曹洪平下辯、使(辛)毗與曹休參之、令曰「昔高祖貪財好色、而良・平匡其過失。今佐治・文烈憂不輕矣。」軍還、為丞相長史。 (『三国志』巻二十五、辛毗伝) ここの曹操の令、総責任者である曹洪を「貪財好色」だったという漢の高祖になぞ…
www.nintendo.com 「Nintendo Switch 2 ソフト『ファイアーエムブレム 万紫千紅』が2026年に発売決定。」とな・・・。 あーこれはサブタイトルといい、一部の登場人物といい、『ファイアーエムブレム風花雪月』のアレですね・・・。成長後っていうか本来の姿…
どうでもいいことだけど、何進と何苗の「本当は血がつながっていないきょうだい」って、男女のペアだったらこの上なく濃い系のラブストーリーになりそうな設定だな・・・。 しかもどちらとも半分ずつ血がつながっている妹が間にいるというのも、ちょっとそれ…
今日は仕事で疲れておねむ・・・。 頭働かず。
昨日の記事の引用からすると、何太后の実母舞陽君は董卓の時に殺されたようだが、その舞陽君は何苗の実母でもあるはずで、一方で何進とは血縁関係にないわけだから、何進の手の者が何苗を恨んで殺した時に一緒に殺した、というのも考えらる話ではあるなあ。 …
董卓遂廢帝、又迫殺太后、殺舞陽君、何氏遂亡、而漢室亦自此敗亂。 (『後漢書』列伝第五十九、何進伝) 后兄大將軍進欲誅宦官、反為所害。舞陽君亦為亂兵所殺。 (『後漢書』紀第十下、霊思何皇后紀) おや・・・。 何太后の母である舞陽君は、董卓の時に殺…
今日もまたねむねむのねむなので、これまでとします・・・。 そういえば9月9日なのか。だからといって何があるわけでもないが。
昨日の補足。 以前の記事でも指摘したように、何進と何苗には血縁関係が無かったのではないかと考えられ、それが何進と何苗の間で微妙な空気を生んだと思われる。 何進が謀殺された背景にも、何太后にとっては何苗も血縁(母が同じ)であることから、何進を…
中平六年、帝崩、皇子辯即位、尊后為皇太后、太后臨朝。 后兄大將軍進欲誅宦官、反為所害。舞陽君亦為亂兵所殺。 (『後漢書』紀第十下、霊思何皇后紀) 後漢末の大将軍何進が宦官によって殺された際、皇太后何氏(何進の異母妹)とその兄何苗の実母と思われ…
なんだか超絶眠いので、おやすみ・・・。生きていたらまた会おう。
そういや袁紹の妻って劉氏なんだよな・・・。 実は曹操の妻劉夫人と近親だった説。 袁紹と曹操が若いころに懇意だった理由が妻同士が近親だったからだったりして。 それ以上の根拠はないが。
曹操の正妻について色々考えてみると、劉備の正妻(呉夫人以前の)は何者だったのか、ってのが気になって仕方ない。 どこかの有力者の一族なのか、それともそうでもないのか。あるいは著名な家臣の一族だったりしたのかもしれない。確認はしようがないが。 …
これは確たる証拠や十分な推論を重ねた話ではなくて単なる思い付きなのだが、曹操の正妻となった丁氏は沛人ではないかと考えられるわけだが、曹操がこの丁氏と結婚したのは、黄巾の乱後に曹操が隠遁して「稱疾歸郷里」(『三国志』武帝紀)となった時期では…
あれぇ・・・?記事書いたつもりでいたのに反映されてない・・・? それとも書いたと思ったのは夢幻ってやつか・・・? まあいい、それはまたの機会に。
9月である。 (太初元年)夏五月、正暦、以正月為歲首。色上黄、數用五、定官名、協音律。 (『漢書』巻六、武帝紀、太初元年) そういえば、前漢武帝の後半になるまでは1年は10月から始まり、9月で終わるようになっていたんだった。 つまり、時代が時…