2021-11-01から1ヶ月間の記事一覧

今日で

11月も終わりか・・・。 今年もあと1か月とか・・・嘘だろ承太郎!?

二人の距離感

『漢書』高帝紀つまり高祖劉邦の本紀には、劉氏は元は魏の人間で、梁の方にいたのだという話がある。 一方、項羽は自分の領土として梁の地を併合したらしい。だから梁を根城とした彭越が項羽と戦っているのだ。 劉邦の故地と、項羽の本拠地(にしようとした…

大河郡

濟東王彭離立二十九年。彭離驕悍、昬莫私與其奴亡命少年數十人行剽、殺人取財物以為好。所殺發覺者百餘人、國皆知之、莫敢夜行。所殺者子上書告言、有司請誅、武帝弗忍、廢為庶人、徙上庸、國除、為大河郡。 (『漢書』巻四十七、文三王伝) 東平國。 故梁國…

眠くて寒い

眠気と微妙な寒さが同時に襲ってくる。 今宵は休むことにする。

あのキャラは実在した

夙夜連率韓博上言「有奇士、長丈、大十圍、來至臣府、曰欲奮撃胡虜。自謂巨毋霸、出於蓬萊東南、五城西北昭如海瀕、軺車不能載、三馬不能勝。即日以大車四馬、建虎旗、載霸詣闕。霸臥則枕鼓、以鐵箸食、此皇天所以輔新室也。願陛下作大甲高車、賁育之衣、遣…

忠孝侯の正体

(王)莽欲依霍光故事以女配帝、太后意不欲也。莽設變詐、令女必入、因以自重、事在莽傳。太后不得已而許之、遣長樂少府夏侯藩・宗正劉宏・少府宗伯鳳・尚書令平晏納采、太師(孔)光・大司徒馬宮・大司空甄豐・左將軍孫建・執金吾尹賞行太常事・太中大夫劉…

忠孝侯

太常常山張顥為太尉。 【注】 顥字智明。搜神記曰「顥為梁相、新雨後、有鵲飛翔近地、令人擿之、墯地化為圓石、顥命椎破、得一金印、文曰『忠孝侯印』。」 (『後漢書』紀第八、孝霊帝紀、光和元年三月) 後漢霊帝の時の太尉張顥は、カササギを打ち落とした…

不遇な人生

(永始二年)十二月、詔曰「前將作大匠(解)萬年知昌陵卑下不可為萬歲居、奏請營作、建置郭邑、妄為巧詐、積土增高、多賦斂繇役、興卒暴之作。卒徒蒙辜、死者連屬、百姓罷極、天下匱竭。常侍(王)閎前為大司農中丞、數奏昌陵不可成。侍中衞尉(淳于)長數…

翁主と郷主の間に

封王氏齊縗之屬為侯、大功為伯、小功為子、緦麻為男、其女皆為任。男以「睦」、女以「隆」為號焉、皆授印韍。 (『漢書』巻九十九中、王莽伝中、始建國元年正月) 王莽の時、皇室である王氏の女性の称号は「任」といったらしい。 後に王莽は侍女に産ませて隠…

翁主

齊厲王、其母曰紀太后。太后取其弟紀氏女為厲王后。王不愛紀氏女。太后欲其家重寵、令其長女紀翁主入王宮、正其後宮、毋令得近王、欲令愛紀氏女。王因與其姊翁主姦。 【注】 索隠、按、如淳云「諸王女云翁主。稱其母姓、故謂之紀翁主」 (『史記』巻五十二、…

郷主

舊典、諸王女皆封郷主、乃獨封(劉)蒼五女為縣公主。 (『後漢書』列伝第三十二、東平憲王蒼伝) 後漢代、王の娘は「郷主」とされたそうだ。 皇帝の娘は「公主」なので、その一等下ということなのだろう。 景懷夏侯皇后諱徽、字媛容、沛國譙人也。父尚、魏…

今日は

何だかいつもより眠い。 ちょっと朝早かったせいだろう。 寝る。

近所の獄掾

平陽侯曹參者、沛人也。秦時為沛獄掾、而蕭何為主吏、居縣為豪吏矣。 (『史記』巻五十四、曹相国世家) かの曹参は沛の獄掾で、蕭何ともども「豪吏」であったそうだ。 項梁嘗有櫟陽逮、乃請蘄獄掾曹咎書抵櫟陽獄掾司馬欣、以故事得已。 (『史記』巻七、項…

地元に戻る

項羽は「下相の人」とされているが、この下相というのはどうやら秦においては泗水郡にあった県らしい。 で、劉邦のいた沛というのも秦の泗水郡にあった。 ちなみにあの垓下も泗水郡にあったらしい。ついでに言うと劉邦が大敗した彭城もそうだったようだ。 つ…

若き猛将

季布弟季心、氣蓋關中、遇人恭謹、為任俠、方數千里士皆爭為之死。嘗殺人、亡之呉、從袁絲匿。長事袁絲、弟畜灌夫・籍福之屬。嘗為中司馬、中尉郅都不敢不加禮。少年多時時竊籍其名以行。當是時、季心以勇、布以諾、著聞關中。 (『史記』巻一百、季布欒布列…

夏侯陽

夏侯陽算經二卷。 (『隋書』巻三十四、経籍志三、子、暦数) 夏侯陽なる人物が著した算術の書があったそうだ。 時又有算學。大觀三年、禮部・太常寺請以文宣王為先師、兗・鄒・荊三國公*1配享、十哲從祀、自昔著名算數者畫像両廡、請加賜五等爵、隨所封以定…

隠される夏侯氏

傳至曾孫(夏侯)頗、尚平陽公主、坐與父御婢姧、自殺、國除。 初嬰為滕令奉車、故號滕公。及曾孫頗尚主、主隨外家姓、號孫公主、故滕公子孫更為孫氏。 (『漢書』巻四十一、夏侯嬰伝) あの夏侯嬰の孫は公主(皇帝の娘)と結婚したが、その公主は自身の母方…

頭が

疲れて眠くて頭がいまいち回らない。1週間仕事すると体力がギリギリである。 寒いし。 というわけで、また今度。

ノンキャリア的太守

倉慈字孝仁、淮南人也。始為郡吏。建安中、太祖開募屯田於淮南、以慈為綏集都尉。 黄初末、為長安令、清約有方、吏民畏而愛之。 太和中、遷燉煌太守。 (『三国志』巻十六、倉慈伝) 曹魏の倉慈は淮南の屯田において「綏集都尉」になったという。おそらく建…

ひとことだけ

所得制限と言うのは簡単だが、誰がどうやって確認するのかという事を考えると、全国の市区町村がいったいどういう事になるのかという恐怖で震えが止まらない。割とマジで。 大変なことにならなきゃいいけどな・・・。 俺はなる気がする。ならないでほしいけ…

今日も

少々大変なことがあったので、休ませてもらう。 まあ、あとネタもないし。

諸侯の礼とは

ところで、昨日の話に出た「諸侯の礼」とは、いったいどういう礼なのだろうか? 諸侯王だけの礼(喪礼)ということなのか。それとも、列侯を含むのか。 諸侯王だけの礼だとすれば、孫権は関羽を劉氏の王たちや魏王曹操、漢中王劉備と同等の存在だとして葬っ…

諸侯の礼

(孫)權遣將逆撃(關)羽、斬羽及子平于臨沮。 【注】 呉歴曰、權送羽首於曹公、,以諸侯禮葬其屍骸。 (『三国志』巻三十六、関羽伝) そうか、関羽が死んだ時に「諸侯の礼」によって葬ったというのは、『三国志』と注で見えるのは孫権のことか。 少なくと…

眠いので

休みなのに早起きしたため眠いので、今日はここまで・・・。 またいずれ・・・。

ふと思ったが

司馬懿の母や母の一族って素性分かってたんだっけ? 劉備の母なんかもまるで分からないから、分からないとしてもそこまで不思議ではないのだが、ちょっと気になる。 司馬懿の后張氏は母までわかっている(山氏)のが、ちょっと不思議な感じ。 それとも私が知…

誘い文句の真意

昨日の話の続きになる。 昨日の話だけでは、鄧艾は何というかただただクレイジー気味の人になってしまうが、それだけではないかもしれない。 そもそも、蜀漢を滅ぼすことになれば、おそらく司馬昭が皇帝になることになる。 そうなれば、琅邪王も曹氏からチェ…

お前も王にならないか?

よく考えたら、昨日までの「諸葛瞻を琅邪王にする」という話、この勧誘が行われた時点では司馬昭自身もまだ「晋公」だな。 蜀漢を征服すれば即座に司馬昭は晋王になるだろうという予測はできたにしろ、その時点においては事実上の主君司馬昭すらなっていない…

山陽公を超えて

前に「鄧艾が劉禅を「県公の献帝=劉協(子孫)より上の扶風王にしようとしていた」」という話を記事にしたことがあったが、昨日の話からすると、諸葛亮の子を劉協の子孫より上の地位にしようとしていたことになる。 まあ、その場合は献帝の山陽公は特殊な地…

誘い文句

(景耀)六年冬、魏征西將軍鄧艾伐蜀、自陰平由景谷道旁入。(諸葛)瞻督諸軍至涪停住、前鋒破、退還、住緜竹。艾遣書誘瞻曰「若降者必表為琅邪王。」瞻怒、斬艾使。遂戰、大敗、臨陳死、時年三十七。衆皆離散、艾長驅至成都。 (『三国志』巻三十五、諸葛瞻…

呉班の前半生

(呉)子遠名壹、陳留人也。隨劉焉入蜀。劉璋時、為中郎將、將兵拒先主於涪、詣降。先主定益州、以壹為護軍討逆將軍、納壹妹為夫人。章武元年、為關中都督。建興八年、與魏延入南安界、破魏將費瑤、徙亭侯、進封高陽郷侯、遷左將軍。十二年、丞相(諸葛)亮…