2017-06-01から1ヶ月間の記事一覧

7月から

本気出す。

ただいま

戻りました。

さて

そろそろ

体調は

もう結構良くなっているので、正直早く退院したいですね。

今週中に

退院できそうな感じなので頑張ります。

早く

退院したいですねえ。

今のところ

真理を見る事は出来てませんが、とりあえず生きています。

吐き気は

無くなってきました。 俺の入院はこれからだ!

とりあえず

生きてます。

今日は

等価交換の原則に従って真理を見てくる事になってます。

病院にて

また病院生活です。

これから少しばかり

このブログは開店休業状態になります。 早ければ一週間程度。 長ければいつまでも。 ほな、また・・・

『漢書』王莽伝を読んでみよう:下のまとめ

「『漢書』王莽伝を読んでみよう:下」を読んでみよう。 天鳳四年(紀元17年) 王莽封建制度の真実 その1:http://d.hatena.ne.jp/T_S/20170430/1493478142 奴婢に課税 その2:http://d.hatena.ne.jp/T_S/20170501/1493564546 呂母の乱 その3:http://d…

『漢書』王莽伝を読んでみよう:下その50

その49の続き。 贊曰、王莽始起外戚、折節力行、以要名譽、宗族稱孝、師友歸仁。及其居位輔政、成・哀之際、勤勞國家、直道而行、動見稱述。豈所謂「在家必聞、在國必聞」、「色取仁而行違」者邪?莽既不仁而有佞邪之材、又乗四父歴世之權、遭漢中微、國統…

『漢書』王莽伝を読んでみよう:下その49

その48の続き。 初、申屠建嘗事崔發為詩、建至、發降之。後復稱説、建令丞相劉賜斬發以徇。史褜・王延・王林・王呉・趙閎亦降、復見殺。 初、諸假號兵人人望封侯。申屠建既斬王憲、又揚言三輔黠共殺其主。吏民惶恐、屬縣屯聚、建等不能下、馳白更始。 二年…

『漢書』王莽伝を読んでみよう:下その48

その47の続き。 六日癸丑、李松・訒曄入長安、將軍趙萌・申屠建亦至、以王憲得璽綬不輒上、多挾宮女、建天子鼓旗、收斬之。傳莽首詣更始、縣宛市、百姓共提撃之、或切食其舌。 莽揚州牧李聖・司命孔仁兵敗山東、聖格死、仁將其衆降、已而歎曰「吾聞食人食…

『漢書』王莽伝を読んでみよう:下その47

その46の続き。 三日庚戌、晨旦明、羣臣扶掖莽、自前殿南下椒除、西出白虎門、和新公王揖奉車待門外。莽就車、之漸臺、欲阻池水、猶抱持符命・威斗、公卿大夫・侍中・黄門郎從官尚千餘人隨之。 王邑晝夜戰、罷極、士死傷略盡、馳入宮、間關至漸臺、見其子…

『漢書』王莽伝を読んでみよう:下その46

その45の続き。 莽遣使者分赦城中諸獄囚徒、皆授兵、殺豨飲其血、與誓曰「有不為新室者、社鬼記之!」更始將軍史褜將度渭橋、皆散走、褜空還。衆兵發掘莽妻子父祖冢、燒其棺椁及九廟・明堂・辟雍、火照城中。或謂莽曰「城門卒、東方人、不可信。」莽更發越…

『漢書』王莽伝を読んでみよう:下その45

その44の続き。 訒曄開武關迎漢、丞相司直李松將二千餘人至湖、與曄等共攻京師倉、未下。 曄以弘農掾王憲為校尉、將數百人北度渭、入左馮翊界、降城略地。 李松遣偏將軍韓臣等徑西至新豐、與莽波水將軍戰、波水走。韓臣等追奔、遂至長門宮。 王憲北至頻陽…

『漢書』王莽伝を読んでみよう:下その44

その43の続き。 莽拜將軍九人、皆以虎為號、號曰「九虎」、將北軍精兵數萬人東、内其妻子宮中以為質。時省中黄金萬斤者為一匱、尚有六十匱、黄門・鉤盾・臧府・中尚方處處各有數匱。長樂御府・中御府及都内・平準帑藏錢帛珠玉財物甚衆、莽愈愛之、賜九虎士…

『漢書』王莽伝を読んでみよう:下その43

その42の続き。 秋、太白星流入太微、燭地如月光。 成紀隗崔兄弟共劫大尹李育、以兄子隗囂為大將軍、攻殺雍州牧陳慶・安定卒正王旬、并其衆、移書郡縣、數莽罪惡萬於桀紂。 是月、析人訒曄・于匡起兵南郷百餘人。時析宰將兵數千屯鄡亭、備武關。曄・匡謂宰…

『漢書』王莽伝を読んでみよう:下その42

その41の続き。 莽軍師外破、大臣内畔、左右亡所信、不能復遠念郡國、欲謼(王)邑與計議。崔發曰「邑素小心、今失大衆而徴、恐其執節引決、宜有以大慰其意。」 於是莽遣發馳傳諭邑「我年老毋適子、欲傳邑以天下。敕亡得謝、見勿復道。」 邑到、以為大司馬…

『漢書』王莽伝を読んでみよう:下その41

その40の続き。 七月、(孫)伋與邯倶告、莽遣使者分召(董)忠等。時忠方講兵都肄、護軍王咸謂忠謀久不發、恐漏泄、不如遂斬使者、勒兵入。忠不聽、遂與(劉)歆・王渉會省戸下。莽令䠠綠責問、皆服。中黄門各拔刃將忠等送廬、忠拔劍欲自刎、侍中王望傳言…

『漢書』王莽伝を読んでみよう:下その40

その39の続き。 先是、衛將軍王渉素養道士西門君惠。君惠好天文讖記、為渉言「星孛掃宮室、劉氏當復興、國師公姓名是也。」渉信其言、以語大司馬董忠、數倶至國師殿中廬道語星宿、國師不應。 後渉特往、對歆涕泣言「誠欲與公共安宗族、奈何不信渉也!」歆…

『漢書』王莽伝を読んでみよう:下その39

その38の続き。 又聞漢兵言莽鴆殺孝平帝。莽乃會公卿以下於王路堂、開所為平帝請命金縢之策、泣以視羣臣。 命明學男張邯稱説其徳及符命事、因曰「易言『伏戎于莽、升其高陵、三歳不興。』『莽』、皇帝之名。『升』謂劉伯升。『高陵』謂高陵侯子翟義也。言…

『漢書』王莽伝を読んでみよう:下その38

その37の続き。 六月、(王)邑與司徒(王)尋發雒陽、欲至宛、道出潁川、過昆陽。昆陽時已降漢、漢兵守之。嚴尤・陳茂與二公會、二公縱兵圍昆陽。 嚴尤曰「稱尊號者在宛下、宜亟進。彼破、諸城自定矣。」邑曰「百萬之師、所過當滅、今屠此城、喋血而進、…

『漢書』王莽伝を読んでみよう:下その37

その36の続き。 四月、世祖與王常等別攻潁川、下昆陽・郾・定陵。 莽聞之愈恐、遣大司空王邑馳傳之雒陽、與司徒王尋發衆郡兵百萬、號曰「虎牙五威兵」、平定山東。得顓封爵、政決於邑、除用徴諸明兵法六十三家術者、各持圖書、受器械、備軍吏。傾府庫以遣…

『漢書』王莽伝を読んでみよう:下その36

その35の続き。 又詔、「太師王匡・國將哀章・司命孔仁・兗州牧壽良・卒正王閎・揚州牧李聖亟進所部州郡兵凡三十萬衆、迫措青・徐盜賊。納言將軍嚴尤・秩宗將軍陳茂・車騎將軍王巡・左隊大夫王呉亟進所部州郡兵凡十萬衆、迫措前隊醜虜。明告以生活丹青之信…

『漢書』王莽伝を読んでみよう:下その35

その34の続き。 羣臣上壽曰「乃庚子雨水灑道、辛丑清靚無塵、其夕穀風迅疾、從東北來。辛丑、巽之宮日也。巽為風為順、后誼明、母道得、温和慈惠之化也。易曰『受茲介福、于其王母。』禮曰『承天之慶、萬福無疆。』諸欲依廢漢火劉、皆沃灌雪除、殄滅無餘雜…

『漢書』王莽伝を読んでみよう:下その34

その33の続き。 漢兵乗勝遂圍宛城。初、世祖族兄聖公先在平林兵中。三月辛巳朔、平林・新巿・下江兵將王常・朱鮪等共立聖公為帝、改年為更始元年、拜置百官。 莽聞之愈恐、欲外視自安、乃染其須髮、進所徴天下淑女杜陵史氏女為皇后、聘黄金三萬斤、車馬奴…