2009-10-01から1ヶ月間の記事一覧

秦のジンクス2

王賁登場記念。 秦二世之時、王翦及其子賁皆已死、而又滅蒙氏。陳勝之反秦、秦使王翦之孫王離擊趙、圍趙王及張耳鉅鹿城。或曰「王離、秦之名將也。今將彊秦之兵、攻新造之趙、舉之必矣」客曰「不然。夫為將三世者必敗。必敗者何也?必其所殺伐多矣、其後受其…

秦のジンクス

http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20091029/1256812088 なんというか自分の記事と比べてみると、自分の記事のなんとまあひねくれた事よ・・・。まあいいや。秦は王氏といい蒙氏といい、将軍が何代も連続するみたい。 で、三代続くと潰れるというジンクスが…

『快楽天』の青い悪魔は凶悪

いやー今週は凄かったですねえ。

清流派についての戯言

後漢末から三国時代にかけて「清流派」って呼ばれる連中がいるじゃないすか。あいつら、なんとなくイメージ的には忠義心いっぱいで忠臣みたいな印象を持ってしまうんだけど、これって全然逆だよね。清流派は時の皇帝桓帝の怒りを買って公職追放された連中。 …

官渡の頃の益州

漢獻帝春秋曰、漢朝聞益州亂、遣五官中郎將牛亶為益州刺史、徵(劉)璋為卿、不至。 (『三国志』劉璋伝注) 『三国志』本文及び『後漢書』と合わせて考えると、「益州乱れる」即ち趙韙の乱が起こったのは建安五年。つまり益州刺史となった五官中郎将牛亶は…

鎮軍大将軍陳群

罷鎮軍將軍、復置左右將軍官。 (『晋書』武帝紀、泰始五年) 鎮軍将軍という官がどういう官かよく分からない点も多いが、『三国志』なんかを見る限りではどうもそれなりの要職であったように感じられる。 そして上にあるように、鎮軍将軍廃止と左右将軍復活…

劉禅の屈辱

蜀の諸葛亮死後、蜀の権力と軍事は大将軍となった蒋琬の手に委ねられることとなった。だが、最初から軍事すべてが諸葛亮から継承されたわけではない。なぜなら、呉壱がいたからだ。 (呉)子遠名壹、陳留人也。隨劉焉入蜀。劉璋時、為中郎將、將兵拒先主於涪…

『漢書』のすすめ2

http://syokatutou.chicappa.jp/mt/2009/10/post-361.html 筑摩の「漢書」も気になるなぁ。完訳なのかな? という疑問が出ていたのでこっそりお答えしておきましょう。 筑摩の翻訳『漢書』は全訳ではありません。 紀、志、伝の本文は基本的に全訳だったと思…

『漢書』のすすめ

http://awata.blog102.fc2.com/blog-entry-643.html むしろ王朝の基盤が定まり、窮屈な中でセコセコ生きた人々を描いた『漢書』の方が楽しく思える。 同意。 『漢書』大好きっ子の私としては似た意見の人がいて嬉しい。中期以降は安定した王朝でありながら西…

昨日の買い物

ついに球の中の人が動き出しペラペラしゃべり出した『GANTZ』。なんか相変わらず5分あれば全部読めそうな気がしないでもない感じだが、物語はついに新たな局面へ。id:tairai氏も待ち焦がれてた『とりどりことり』2巻。 うん、やっぱ宇月は化粧落とした方が可…

劉禅の覚醒

http://blogs.yahoo.co.jp/antoine_henri_jomini/49501208.html 2ちゃんねる三戦板では有名なかのJominian氏の記事。 引いた記事には自分も参加していたが、劉禅の権力について自分で思ったことをこちらにも書いておく。 劉禅が費禕と姜維を派遣して蒋琬の…

CS

最近はプロ野球選手もブログ立ち上げてる人が多い。 ダルビッシュなんか有名だが、中にはこんな人もいるわけで。 http://www.teppei46.com/diary.html 野球選手らしいの話題も特に無し。 期日前投票は忘れない。 買って来たケーキの名前は忘れてる。今年度パ…

趙繆王

消えちゃったので短縮版。 本当はもっと長かった。 時趙繆王子林、好奇數、任侠於趙・魏輭、多通豪猾。 (『後漢書』王昌(王郎)伝) ここに「趙繆王」ってあるけど『漢書』趙敬肅王劉彭祖伝にはそんな人の記録が無い。あるのは「平干繆王」だけ。 でも平干…

偽者疑惑(再)

消えたので仕切りなおし。 呉末昏亂、何氏驕僭、子弟膻放、百姓患之。故民譌言「皓久死、立者何氏子」云。 (『三国志』孫和何姫伝) 三国呉末の皇帝孫皓。暴君として有名な彼は既に死んでいて母の親族何氏の人間と入れ替わっている、という噂があったそうだ…

削除した

なんか文章がおかしくなってしまった。 「趙繆王」の誤りについて書いていたのだけれど、それはまたいつの日か。

異父姉弟

漢の武帝の母、王皇后。 彼女の母である臧児は王仲という男に嫁いで王信と娘二人を産んだ。この娘のうち一人が武帝の母である。 その後、王仲と死別して田氏と再婚し、田蚡と田勝を産んだ。 武帝の母と田蚡は異父姉弟である。そして武帝の母はまず金王孫なる…

窓際の独孤ちゃん

獨孤氏出自劉氏。後漢世祖生沛獻王輔、輔生釐王定、定生節王丐。丐二子、廣・廙。廙、洛陽令。生穆、穆生度遼將軍進伯、撃匈奴、兵敗被執、囚之孤山下。生尸利、單于以為谷蠡王、號獨孤部。 (『新唐書』宰相世系表五下) 『新唐書』宰相世系表に記される独…

奴隷解放

赦吳楚七國帑輸在官者。注 應劭曰「吳楚七國反時、其首事者妻子沒入為官奴婢。武帝哀焉、皆赦遣之也。」師古曰「帑讀與孥同。」(『漢書』武帝紀) 当然といえば当然のことだが、反乱に加担して失敗した者には厳しい末路が待っている。いわゆる呉楚七国の乱…

文化の極み

贊曰、臣外祖兄弟為元帝侍中、語臣曰元帝多材藝、善史書。鼓琴瑟、吹洞簫、自度曲、被歌聲、分刌節度、窮極幼眇。 (『漢書』元帝紀) 漢の元帝の趣味は音楽。 これはどうやら玄人裸足の域であったらしい。長男(成帝)よりも音楽の才能があった次男を後継ぎ…

魯霊光殿賦

劉琰字威碩、魯國人也。先主在豫州、辟為從事、以其宗姓、有風流、善談論、厚親待之、遂隨從周旋、常為賓客。先主定益州、以琰為固陵太守。後主立、封都鄉侯、班位每亞李嚴、為衛尉中軍師後將軍、遷車騎將軍。然不豫國政、但領兵千餘、隨丞相亮諷議而已。車…

予定を変更

せっかく書いていた『殺し屋1』の紹介が消えたよう。 まあ消えても全然惜しくない程度の駄文だからいいか。

馮夫人

初、楚主侍者馮嫽能史書、習事、嘗持漢節為公主使、行賞賜於城郭諸國、敬信之、號曰馮夫人。 (『漢書』西域伝下) 楚主(楚公主)とは前漢の時に西域の烏孫の王に嫁いだ楚王の娘。 その侍女が諸国への使者となったという話。女性が漢の節を持った使者になっ…

王莽は王家の末裔

田和有齊國、二世稱王。至王建為秦所滅、項羽起、封建孫安為濟北王。至漢興、安失國、齊人謂之「王家」、因以為氏。 (『漢書』元后伝) 王莽らを輩出した魏郡元城の王氏。 その先祖について『漢書』元后伝は戦国時代の斉王、田氏であり、国を失ってからも「…

忠武侯

昨日のコメントでid:takayun氏が指摘したように、諸葛亮は死亡したら「忠武侯」と諡された。この「忠武侯」、ほかにもいないかと調べてみたら晋の景帝、つまり司馬師がいた。 (あと、一部で人気の陳慶之も) (前略)諡曰武公。文帝表讓曰「臣亡父不敢受丞…

生涯一武人

諸葛亮がまず就任した官は、軍師中郎将。 これは劉備オリジナルの官名のようだが、中郎将の一種だと考えると、彼の官歴はまずエリート武官から始まったと言えよう。次いで、軍師将軍になった。 赤眉がこの将軍名を使っているが、劉備はそれを踏まえたわけで…

益州牧と荊州牧

これは私が知らないだけ、見つけてないだけかもしれないが・・・。劉備が皇帝に即位した時点で劉備が持っていた豫州牧、荊州牧、益州牧の職は一旦空位になったと考えられる。 (劉備を正統とみなす視点では、の話)しかし、実効支配をしていない豫州はともか…

漢中王の丞相

劉備が漢中王になると、許靖を漢中王の太傅にした。法正を尚書令にした。諸葛亮は軍師将軍のまま。諸葛亮が丞相になるのは劉備が皇帝になってからである。 (この時の軍師将軍は名目上は漢王朝の将軍位なので、ある意味では漢中王国内の官よりも格が高い特別…

あっ にてる

http://axn.co.jp/lost/c321.htmlhttp://sankei.jp.msn.com/photos/politics/policy/090916/plc0909161832025-p1.htm まだあんまり指摘してる人がいないような気がするので(実は自分が知らないだけかもしれないが)今のうちに言っておく。

最近お気に入りのスレ

ここんとこあまり言及してなかったけど、『キングダム』は面白いことになってきましたね。 趙が自分の首を絞めてますよ! ここからが本題。http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/base/1253114886/最近お気に入り。 AAだけじゃなく、なんか妙に個性的な人た…

袁熙の子孫

正史『三国志』 十五巻 http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1247396009/663663 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2009/10/02(金) 17:22:35 0 袁煕の子孫は生き延びて唐代に宰相を出してるらしい。 曹丕が子孫を憐れんで優遇したのかな? こんなレ…