2025-01-01から1ヶ月間の記事一覧
t-s.hatenablog.com 昨日の話だが、王を置かずに五等爵だけでやろうとしていたのは、王莽もそうだった気がする。 あの当時の思想的な背景には王莽と同じものがあったのだろうか?なんとなく。
(建武十三年二月)丙辰、詔曰「長沙王興・真定王得・河閒王邵・中山王茂、皆襲爵為王、不應經義。其以興為臨湘侯、得為真定侯、邵為樂成侯、茂為單父侯。」 (『後漢書』紀第一下、光武帝紀下、建武十三年) (建武十三年二月)丁巳、降趙王良為趙公、太原…
後漢滅亡まで続いていた趙王って、後漢初代の叔父劉良の子孫なのか(『後漢書』列伝第4趙孝王良伝)。 後漢皇帝から一番血縁が遠い王だったのかもしれん。 しかも劉良は趙王から趙公に格下げされたらしいのに、次の代にはいつの間にか王に復帰している。 ど…
後年遂為司空、封安陽亭侯、邑六百戸。三公封列侯、自(崔)林始也。 (『三国志』巻二十四、崔林伝) 前漢では丞相になると列侯に封建されることが通例となっていたのだが、同様に曹魏でも三公になると列侯に封建されることになっていたそうだ。 崔林が初め…
最終皇帝になった。いよいよ終盤か・・・。 七英雄さんも倒していないのはあと2人。
昨日の楽陵郡の県、後漢では楽陵や厭次は青州平原郡にあるけど、陽信は冀州勃海郡にあるんだな。 つまり、この楽陵郡は青州と冀州を分割・合体させて生まれた郡ということになる。 州までまたいでいるのは割と珍しいと思うので、いつどういった理由、経緯で…
太祖辟(陳)矯為司空掾屬、除相令、征南長史、彭城・樂陵太守、魏郡西部都尉。 (『三国志』巻二十二、陳矯伝) 太祖平荊州、辟為丞相士曹屬。後選樂陵太守、徙監冶謁者。 (『三国志』巻二十四、韓暨伝) 王沖者、廣漢人也。為牙門將、統屬江州督李嚴。為…
今日はおやすみ・・・。
『ロマンシング・サガ2』、なんだか色々と取りこぼしたりしてそうだけど、とりあえず楽しんでいる。 あとコッペリアが何というか・・・色々な意味でズルい。誉め言葉として。
齊獻王攸字大猷。少而岐嶷。及長、清和平允、親賢好施、愛經籍、能屬文、善尺牘、為世所楷。才望出武帝之右、宣帝毎器之。景帝無子、命攸為嗣。從征王淩、封長樂亭侯。及景帝崩、攸年十歳、哀動左右、大見稱歎。 (『晋書』巻三十八、斉献王攸伝) そうか、…
そういえば、呉では「推恩の令」がどうなっていたかというと・・・。 あれ?良く分からないぞ? 諸侯王になった皇子は皇帝になるか廃されるかだし、その子が列侯になったかどうかも良く分からないような・・・。 孫晧なんかも列侯になったのは父の南陽王孫和…
そういえば、魏では「推恩の令」がどうなっていたかというと・・・。 かの高貴郷公が「郯県高貴郷公」、陳留王が「安次県常道郷公」と、それぞれ東海王、燕王の領内の県を分けられていると思われるので、おそらくは魏でも「推恩の令」は生きていたのではない…
景耀四年詔曰「安平王、先帝所命、三世早夭、國嗣頹絶、朕用傷悼。其以武邑侯(劉)輯襲王位。」輯、理子也, (『三国志』巻三十四、劉理伝) 蜀漢の安平王は劉理(劉備の子)の後早死にが続き、武邑侯となっていた劉理の子が傍系から後を継ぐことになった…
今日も疲れてるので休み。 すこしロマンシングして寝ます。
今日は疲れたな・・・。 そういえば「Switch2」が正式に発表されたらしい。 今年中に出るとか出ないとかってことらしいが、なんだか案外早く出てきそうな気がするんだが・・・。
しかし、蜀漢落としてからの鄧艾について考えてみると、対呉戦略は完全に独断専行であるから、運よく実行されて運よく成功してしまったら、これはもう司馬氏ではなく、もちろん魏でもなく、鄧艾単独の功績ということになってしまうんじゃないだろうか。 下手…
蜀漢を占領した鄧艾は、そのまま呉を攻める方針を独自に打ち出していたようである。 この時、呉を攻めるということは、まず蜀漢から失われた荊州南部を攻めるということである。 つまり蜀漢の遺民にとっては因縁の地、いわば復讐、敵討ちであり、きっとこの…
先日の話の後で思ったんだが、鄧艾は蜀漢の大臣・将たちにも出身者が少なくない義陽の出身であり、蜀漢の人々としては案外シンパシーを感じやすい関係であったのかもしれない。 なので、鄧艾が明らかに独断専行の色を強め、劉禅を祭り上げて呉の降伏を誘うと…
『ウィザードリィ』の方は全アイテムを手に入れるところまで来たので、少し前のセールの時に買っていた『ロマンシングサガ2』をやっと始めてみた。 これは中々。評判通りに良いではないか。 もう大体忘れてるから、ちょうどいい感じに新鮮である。何しろ、…
漢晉春秋曰・・・(中略)・・・(樊)建稽首曰「臣竊聞天下之論、皆謂鄧艾見枉、陛下知而不理、此豈馮唐之所謂『雖得頗・牧而不能用』者乎!」帝笑曰「吾方欲明之、卿言起我意。」於是發詔治艾焉。 (『三国志』巻三十五、諸葛亮伝注引『漢晋春秋』) 蜀漢…
後主常欲采擇以充後宮、(董)允以為古者天子后妃之數不過十二、今嬪嬙已具、不宜增益、終執不聽。後主益嚴憚之。 (『三国志』巻三十九、董允伝) 先日の皇帝劉禅が示談でもしたんじゃないかって話、上のようなエピソードが嫌な方向に補強しているよな・・…
あの王平って「安漢侯、安漢将軍、領漢中太守」だった時期があるんだよな。 「漢」がゲシュタりそうである。
今日は少々疲れており、休みます。 なんか大雪とか言ってて怖いんですけど~。
昨日の話って、よく考えると面白いな。 劉琰は皇帝劉禅が妻をアレしたと疑ったというが、これは皇帝が悪事を働いたと考えたということだ。 不敬、不忠とはならないのだろうか。罪状は「妻を打擲したこと」かのように書かれており、不敬などは特別に罪となっ…
(建興)十二年正月、(劉)琰妻胡氏入賀太后、太后令特留胡氏、經月乃出。胡氏有美色、琰疑其與後主有私、呼五百撾胡、至於以履搏面、而後棄遣。胡具以告言琰、琰坐下獄。有司議曰「卒非撾妻之人、面非受履之地。」琰竟棄市。 自是大臣妻母朝慶遂絶。 (『…
劉備の下の将軍たちの官位を見てると、麋竺・孫乾・簡雍が早い段階(益州平定時)で将軍になっていて驚く。 劉備配下の将軍の中では、確実に彼等より早く将軍になっているのって関羽や張飛クラスくらいのようだ。 少なくとも直接の戦功が見えないのにそうな…
『三国志』劉禅伝にある、劉禅が徐州で劉備とはぐれて捕まって人に売られ、漢中で劉括なる人物に拾われて養子になって子供も生まれ、それから父玄徳の名を覚えていたことから劉備と再会できた、という『魏略』の話。 これは裴松之が言うように劉禅の話として…
漢の皇帝の諡号は、原則として頭に「孝」が付く2文字だった。「孝霊皇帝」のように。 曹魏の皇帝の諡号は、漢と同様の制度ではなかったように思われ、「孝」が付く者はいなかった。 漢と曹魏では皇帝への諡号について変更があり、「孝」号を付けるのを辞め…
昨日の話に関しては、以下のような話が伝わっている。 t-s.hatenablog.com つまり、曹丕は「今は服喪してる場合じゃない」と説得されていた、というのだ。 まあ実際、素直に足掛け3年何もしないということはハナからありえないにしろ、多少であれ明らかな政…
江表傳曰、是歳魏文帝遣使求雀頭香・大貝・明珠・象牙・犀角・瑇瑁・孔雀・翡翠・鬭鴨・長鳴雞。群臣奏曰「荊。揚二州、貢有常典、魏所求珍玩之物非禮也、宜勿與。」(孫)權曰「昔惠施尊齊為王、客難之曰『公之學去尊、今王齊、何其倒也?』惠子曰『有人於…