2024-07-01から1ヶ月間の記事一覧

袁氏の本音

t-s.hatenablog.com t-s.hatenablog.com 後漢の霊帝や和帝は、皇子が何人も早死にし、公表せず密かに育てた皇子だけが生き延びたという。 そういえば、かの烈祖様も皇子を何人も失い、結局男子の実子は残せなかった。 先日の話の袁夫人の件も、同じなんだろ…

人為的自然死

昨日の話の中にあった「袁夫人に孫権の皇子を育てさせたが、その都度死んでしまった」っていうの、すごく闇が深いなぁ・・・。 皇子が育っていたら袁夫人は皇后を辞退することなく済んでいたかもしれないしなあ・・・。 なんというか、人為的なものをすごく…

栗拾い拒絶

呉録曰、袁夫人者、袁術女也。有節行而無子。(孫)權數以諸姫子與養之、輒不育。及歩夫人薨、權欲立之、夫人自以無子、固辭不受。 (『三国志』巻五十、妃嬪伝、孫権潘夫人注引『呉録』) 昨日の記事のような流れを見てきて皇后になるのって、ものすごく勇…

孫権の皇后

孫呉の孫権の皇后は、孫権自身は歩氏にしたかったが群臣や孫登は徐氏を立てようとしており、結局歩氏は正式に皇后になることはなかった。 孫和が皇太子になると、孫権はその母の王氏を皇后にしようとしたが、全公主(歩氏の娘)は王氏を憎んでいて妨害活動を…

アンタッチャブル

孫権が正式に立てた皇后って潘氏しかいないはずなんだが、その潘氏が明らかに不自然に死んだのにも関わらずイマイチ扱いが薄い気がする。 『三国志』孫亮伝では母潘氏が皇后になったことは書くのに死んだことは書いてないし・・・。 これものすごく闇を感じ…

ひとこと(孫呉の暴君)

孫呉の皇帝孫休って、実は内心嫌っていた者が多かったんじゃないだろうか。 言動にところどころ暴君風味なところがあるし。 後継者を変更されたのは、太子が若かったからというばかりではなく、孫休自身が臣下たちから嫌われて、「反孫休」的空気が強かった…

心配事

暑さとネッコが体調不良気味なのとでやる気が出ない。休む。

ひとこと

『三国志』本紀の本文を見ていると、特段王や皇帝を非難するような文言を記さないが、実際に読んだ当時の人々からすると「おかしなことやってる」って印象をちゃんと持てるように計算して作ってるんだろうな、って思う。なんとなく。

烈祖様、二代前によって印象づけられた説

烈祖様こと魏明帝曹叡は、『三国志』においては、始皇帝になぞらえられる等、「暴君」として意識された書かれ方をしている。 彼は魏武こと曹操によってじきじきに後継者指名された、といったような話が残っている。 曹操といえば「才能あれば人格は二の次と…

また明日

お腹の調子が悪いので、ちょっと休み・・・。

ひとこと(劉備と劉氏)

劉備の場合、「劉氏」だったからといって特別に便宜が図られたりはしてなかったのではないかと思う。 宗室としての特権を得るにはおそらく世代が遠くなりすぎているだろう。 だから、劉備は少なくとも本格的に世に出るまでは「劉氏」であったからといってこ…

休み

飲み会帰りにつき、休憩・・・。

どの夏侯氏

昨日の続き。 曹爽らと共に名前の出てくる領軍将軍夏侯献は、周囲が曹氏などであるためについ「沛の夏侯氏」だと思ってしまうが、実は「出世して要職に就けた魯の夏侯氏」説。

夏侯氏2系統説

『三国志』に出てくる曹操や夏侯惇らとの血縁関係が分からない夏侯氏は「沛の夏侯氏」ではなく「魯の夏侯氏」説。 『漢書』に載る儒者の夏侯勝らは「魯の夏侯氏」である。

最終コーナー

今日も疲れた・・・。一休み。 っていうか最近はいつも疲れてる。終わりが近付いてるのかもしれない。

ひとこと

曹操の元で、曹氏の一族は曹操の近親というだけでなく、「曹氏」という3代以上高級官僚を多数輩出している官僚一家として高い家格として扱われ、夏侯氏は実際には曹操とかなり親しいものの、官僚一家といったバックボーンが無い、いわば山賊が帰順したとか…

ひとこと(曹操配下の加増)

曹操の配下の将たちの多くは亭侯・郷侯に割と早くなっているが、そこからはどうもなかなか上がっていかない。 袁氏に勝っても盛大には加増・昇進している感じではない。 この辺はまだ統一まで行っていないから、っていうのが大きいとは思うのだが、一方で曹…

恭王の子孫2

先日の記事で、「劉焉の先祖は前漢の魯恭王余ではなく、後漢初期の城陽恭王祉ではないか」と述べた。 だが、「まさか『三国志』や『後漢書』が劉氏の王の記述についてそんな間違いをするだろうか」みたいな疑問もあるだろう。 しかし、実際にこういう例もあ…

残業

今日は遅くまで仕事だったのでものすごく疲れて眠い・・・。お休み。

恭王の子孫

劉焉字君郎、江夏竟陵人也。漢魯恭王之後裔、章帝元和中徙封竟陵、支庶家焉。 (『三国志』巻三十一、劉二牧伝) (劉)平後坐與諸王交通、國除。永平五年、顯宗更封平為竟陵侯。平卒、子真嗣。真卒、子禹嗣。禹卒、子嘉嗣。 (『後漢書』列伝第四、城陽恭王…

心配ごと

少々トラブルがあって心配でいろいろ手につかない。今日は休む。

ひとこと

献帝の時の司徒趙温は曹丕を幕下に招いたことを曹操におもねるものとされたわけだが、曹丕をしかるべき官に就けるための手続きとしての辟召をするにふさわしい相手ってのは三公とかなんだろうから、まさか父自身がやるわけにもいかないと考えると、趙温がや…

『三国志』の配分

陳寿『三国志』って、支配領域の人口なり州の数なりで考えてみると、「蜀書」部分の比重が大きくて、「魏書」が軽いんじゃないか、と思わなくもない。 魏の方が多くの人物、多くのエピソードが残っているような気もするが、注の『魏略』などの引用が多いので…

ジメ暑

ジメジメしてる上に暑くて何も考えられないな。お休み。 夏本番って感じじゃない時に暑いと、余計に体力が減るようなきがしてならない。

魏公国と晋公国の違い

昨日の補足だけど、そもそも晋公国の場合、魏になってから郡が細分化されていたので、後漢の単位なら10郡分にも満たないんだよな。 そのうえ、成立の経緯から考えるとどこまでまともな郡として機能していたか怪しく感じるような新興郡まで含まれてるし。 …

魏公国の3割

司馬昭の晋公国は、「太原・上党・西河・楽平・新興・雁門・河東・平陽・弘農・馮翊」の10郡からなる。 『続漢書』郡国志によれば、各郡の戸数は以下の通り。 太原:30,902戸上党:26,222戸西河:5,698戸楽平:上党郡から分離新興:15…

ひとこと(晋国と魏国)

そういえば、司馬昭の晋国って、太原・上党・西河・楽平・新興・雁門・河東・平陽・弘農・馮翊で10郡なんだな。 同じ10郡でも曹氏の魏国とは人口の稠密度がかなり違うような気がするな・・・。

三公荀彧<完結編>

魏氏春秋曰、太祖饋(荀)彧食、發之乃空器也、於是飲藥而卒。咸熙二年、贈彧太尉。 (『三国志』巻十、荀彧伝注引『魏氏春秋』) ふと思ったが、先日の記事で記した荀彧が曹操より三公に推薦されたという件、荀彧が司馬氏の代になって太尉を追贈されたこと…

改鋳

えっ日本円の新紙幣? 全く気にしてなかったわ・・・。 ところで2,000円札って昔あったけど、あれって記念紙幣だったんですよね? あれ以来1年に1回も見ることがないので・・・。

三公荀彧

太祖欲表(荀)彧為三公、彧使荀攸深讓、至于十數、太祖乃止。 (『三国志』巻十、荀彧伝注引『荀彧別伝』) 『荀彧別伝』では、袁氏に勝ったあたりで曹操が荀彧を三公にしようとするという動きがあったとされている。 まあこの話自体の信憑性が怪しいのでは…