訳あって今ものすごく眠い。 相変わらず凍結は凍結のままだし、寝るわ・・・。
ツイッターの凍結は解除される気配がない。 もうこれ封印じゃん。もう終わりと思った方がいいのかもな。
與討呉護軍張翰・揚州刺史周浚成陳相對。 (『三国志』巻四十八、孫晧伝注引干寶『晉紀』) 張翰字季鷹、呉郡呉人也。父儼、呉大鴻臚。翰有清才、善屬文、而縱任不拘、時人號為「江東歩兵」。 (『晋書』巻九十二、張翰伝) 呉が滅ぼされる時の晋の討呉護軍…
ツイッターアカウントについては復活してない。 まあしゃーない。 別アカウント作るかもしれないし、そのままにするかもしれないし、いつか復活するのかもしれない。
なんか朝起きたらツイッターアカウント永久凍結になってたわ。 まあしゃーない。
寝落ちしそうになってSwitchを手から落とした。 寝よう。
執金吾滕循為司空、未拝、轉鎮南將軍、假節領廣州牧、率萬人從東道討(郭)馬、與族遇于始興、未得前。 (『三国志』巻四十八、孫晧伝、天紀三年八月) 滕脩字顯先、南陽西鄂人也。仕呉為將帥、封西鄂侯。 孫晧時、代熊睦為廣州刺史、甚有威惠。徴為執金吾。…
へえ、日本人の姓に「仲長」さんってのがあるのか・・・。 仲長統の「仲長」以外にもあるんだなあ。 あと桓範の妻「仲長」って仲長統と同じ「仲長」氏なんだろうな。
2月になっている。 来月から本気出す。
1月、終わる。 なんだかあっという間という気がしてならない。最近まで「あけましておめでとう」とか言ってなかったっけ・・・?
気が付けば1月が終わりそうになってる・・・。 今月はネッコの病気が心配な1カ月だった。 来月はもっと元気になってくれるといいが。今のところやっと落ち着きつつあるように見えるし・・・。
先日の記事やかつて記事にした寡婦狩りの件など、後漢末や魏では再婚強制と思われることが大々的に行われていたらしい。主に兵戸でのことかもしれないが。 一方で、後漢でも三国時代の各国でも夫の死後の再婚を拒む「貞婦」の話がいくつか残っている。 つま…
クラスチェンジ不足と騎士団不足に悩まされつつFE風花雪月で「金使用禁止プレイ」を終わらせたので、次は「攻撃も回復も魔法を使わないプレイ」でもするかな・・・。 ハードなら何とかなるんじゃないかな・・・。 なお『ファイアーエムブレムエンゲージ』…
聽君父已沒、臣子得為理謗、及士為侯、其妻不復配嫁、(鍾)毓所創也。 (『三国志』巻十三、鍾毓伝) 鍾毓は「士が侯になったなら、その妻が再婚することはない」という制度を作った、という。 たぶんこの「士」とは兵士のことだろう。兵戸か。 また、それ…
(建安)二十五年春正月、曹公薨、太子丕代為丞相魏王、改年為延康。秋、魏將梅敷使張儉求見撫納。南陽陰・酇・筑陽・山都・中盧五縣民五千家來附。冬、魏嗣王稱尊號、改元為黄初。 (『三国志』巻四十七、呉主伝) ふと思っただけだが、孫権の元に南陽郡の…
とても寒くて気分が乗らない。 あと体調不良ネッコは実は短期ながら入院中・・・(寒さは関係ない)。早く元気になってほしい。
「ファイブスター物語」単行本第17巻のカバーデザインが完成しました! 2023年3月10日発売予定です。#ファイブスター物語 pic.twitter.com/oCtSCv2HoB— 永野護作品公式アカウント (@naganomamoru) 2023年1月18日 『ファイブスター物語』第17巻。 3月10…
犍為盛道妻者、同郡趙氏之女也、字媛姜。 建安五年益部亂、道聚衆起兵、事敗。夫妻執繫、當死。媛姜夜中告道曰「法有常刑、必無生望、君可速潜逃、建立門戸、妾自留獄、代君塞咎。」道依違未從。媛姜便解道桎梏、為齎粮貨。子翔時年五歳、使道攜持而走。媛姜…
父為利漕、利漕民郭恩兄弟三人皆得躄疾、使(管)輅筮其所由。 (『三国志』巻二十九、方技伝、管輅) ここの管輅の父がなっていたという「利漕」「利漕民」とは何なんだろうか。 なんでも曹操が作ったという運河が「利漕渠」というそうだが、そこの官吏ある…
けっこう眠い・・・。真面目にこの数日ネッコが心配すぎて寝つきが悪かったせいかもしれない・・・。 今日は頭が回らないのでまた今度・・・。
ネッコ、まだ心配な状態ではあるが少し元気になってPCの上に陣取るようになった。 もっと元気になりますように。
ネッコの体調が心配な状態・・・。マジで・・・。 早く良くなれ・・・。
(太元)二年春正月、立故太子(孫)和為南陽王、居長沙、子(孫)奮為齊王、居武昌、子(孫)休為瑯邪王、居虎林。 二月、大赦、改元為神鳳。皇后潘氏薨。諸將吏數詣王表請福、表亡去。 夏四月、(孫)權薨、時年七十一、諡曰大皇帝。秋七月、葬蔣陵。 (『…
我が家のネッコの体調がよろしくなく、実は最近ずっと不安な毎日である。 今は多少落ち着いているが。このまま元気になってほしいものである。 あとネッコにも社会保険を適用してほしい。
あくまでも印象だが、孫権の「息子を失った悲しみ」の度合いが孫登より孫慮の時の方が上に思える。あくまで印象。 もちろん孫慮の方が先だったとか年が若かったとかの理由だったのかもしれないが、「本当は後継者にしたかった子」と「本当は後継者から降ろし…
孫権が臣下に言われても最後まで王には立てなかった孫慮と、皇太子と限りなく同格に近くはしていたが王として分家独立させた孫覇。 孫権にとって、どちらがより「本当はコイツを皇太子にしたい」という気持ちが強かったのか・・・。 自分としては、孫慮の方…
呉主(孫)權王夫人、南陽人也。以選入宮、嘉禾中得幸、生(孫)休。及(孫)和為太子、和母貴重、諸姫有寵者、皆出居外。夫人出公安、卒、因葬焉。休即位、遣使追尊曰敬懐皇后、改葬敬陵。王氏無後、封同母弟文雍為亭侯。 (『三国志』巻五十、妃嬪伝、呉主…
昨日の続き。 孫権が死に孫亮が皇帝になってから、孫権の皇子たちのうち南陽王孫和はほどなくして自殺、斉王孫奮も廃位されている。 つまり孫亮時代には諸侯王は琅邪王孫休だけになっていた。 その孫休は次の皇帝になっていて、孫休時代に新たに王が立てられ…
改めて孫権の皇子たちの諸侯王への封建を見てみると、そもそも孫慮は王になっておらず、その後に初めて王になったのがあの魯王孫覇。 で、その魯王孫覇が死に、孫亮が皇太子となった2年後、太元2年に生きていた皇子全員である孫和・孫休・孫奮が王になって…
実は、昨日の記事について以下のような見解がある。 臣松之案、建衡二年至(孫)奮之死、孫晧即位、尚猶未久。若奮未被疑之前、兒女年二十左右、至奮死時、不得年三十四十也。若先已長大、自失時未婚娶、則不由晧之禁錮矣。此雖欲増晧之惡、然非實理。 (『…