孫呉の諸侯王、記録上最初に置かれたのが魯王孫覇だったことを思うと、うっかり諸侯王を置くと臣下などがすぐ群がって神輿として担ぎ出される危険性が高い、と孫権は予見していたのかもしれないな・・・。 自身が長子ではなく、父孫堅自身も長子ではなかった…
今日はなんだかちょっと体調がすぐれない気がするので、休みます。 生きていたらまたお会いしましょう。
昨日の話の続きだが、そういや、諸侯王をあまり置かなかった王朝があった。 秦と新。 それらに倣った・・・ってことは、まあ、ないな。
漢代は初代皇帝の兄弟及びその子(後継ぎ)は基本的に優遇され、覇業に参画していた者はたいてい諸侯王になっている。 それと比較すると、孫権が皇帝になってからの孫策や孫翊・孫匡の子が一人も王になっていないというのは、実は前例と違う、と考えられる。…
今日は夜に用事があって疲れましたわ・・・。お休みします。
t-s.hatenablog.com 孫堅の侯「烏程侯」は漢の通例どおりに長子孫策が継いだはずだが、おそらくは孫策が呉侯になる前後に弟孫匡に烏程侯を譲ったと思われる。 孫権ではなく下の弟孫匡に、というのは少々面白い。 記録上、孫権はこの時点では列侯ではないのだ…
漢の初代皇帝劉邦は兄劉喜(劉仲)を王にした。 後漢の初代は、彼の覇業にとっても重要な意味のあった兄劉伯升に王を追贈している。 だが、帝位を追贈はしていない。 それと比較すると、呉の皇帝孫権が兄孫策に王を追贈しても帝位を追贈しないことは、そこま…
應劭漢官曰・・・(中略)・・・荊揚江南七郡、唯有臨湘・南昌・呉三令爾。 (『続漢書』百官志五、注引応劭『漢官』) なんでも、江南近辺で「令」だった県は「臨湘・南昌・呉」のみだったのだとか。 それ以外は「長」ということである。 「長」よりも「令…
あれ?もしかして孫策の爵位「呉侯」って、孫策死後は子の孫紹が継いだのか・・・? (孫)權稱尊號、追諡(孫)策曰長沙桓王、封子紹為呉侯、後改封上虞侯。 (『三国志』巻四十六、孫策伝) 列伝ではあたかも孫権の皇帝即位後に初めて孫紹が呉侯になったか…
今日は土曜日だけど少々仕事が・・・。やる気出ない。11月も終わりというのに。 一回休み。
今日はなんだかメチャ眠い・・・。寝る。
國相孔融深敬於(鄭)玄、屣履造門。告高密縣為玄特立一郷。 (『後漢書』列伝第二十五、鄭玄伝) 告高密縣為鄭玄特立一郷、名為鄭公郷。 (『三国志』巻十二、崔琰伝注引『続漢書』) かの孔融は高名な大儒鄭玄を尊敬し、自分が鄭玄の故郷高密県を含む北海…
陳矯と陳琳って同じ広陵郡の人なのか。 県は違うのかもしれないが、同族という可能性が高そうだな。 もっとも、陳矯は元は劉氏だったとされているが。
ここんとこ、「時代が王莽に追い付いてきた」って感じがして、『漢書』王莽伝を読んでいた自分にとっては感慨深い。 まあ基本的に良い意味ではないのだが。
先日話題にした話って、劉曄の父はいわば豪族の長、小部曲の領袖ってことなのだろうな。 つまり、ほぼ独立勢力化していて、漢王朝の法が基本通じず、劉曄の父が王様同然に振舞っていたのでは・・・。 その後に鄭宝なる一大勢力に目を付けられたというのも、…
『ウィザードリィ』、「Garb of Lords」(旧名)を手に入れた。やったぜ。 ガラルフリーザー色違いを捕まえた時くらい嬉しい。 その前に一度全滅食らったけど、今回は割と簡単に救出できて一安心。 最近はほとんどの敵を簡単に倒せているが、うっかり敵の魔…
曹操って昨日の話にあるように実はそこまで軍規を重視してない(したくてもできなかった、ということかもしれないが)のでスタンダードな兵家っぽくないし、逃げた民を見逃したという一件から見えるように法もそこまで重視してないように思えて、法家っぽく…
是時、(于)禁與張遼・樂進・張郃・徐晃倶為名將、太祖毎征伐、咸遞行為軍鋒、還為後拒。而禁持軍嚴整、得賊財物、無所私入、由是賞賜特重。 (『三国志』巻十七、于禁伝) 于禁は張遼・楽進・張郃・徐晃らと共に名将と言われていたが、于禁は自軍が敵の財…
普通に地下10階を回ってたらテレポーターにひっかかって気づいたらワードナに遭遇した。 かくして思いもかけずにワードナを倒したのだった。*1 だが戦いは続く。 ファミコン版は100レベルまでやってた。 *1:今回はワードナの部屋から地上に出られる親切…
『ウィザードリィ』については、ついに昨日「MURASAMA BLADE」(旧名)を手に入れた。 最近はやっと簡単に死ななくなってきた。 ちなみにワードナはまだ倒してない。多分倒せるけど。
(劉)曄還拝謝曰「亡母顧命之言、敢受不請擅行之罰。」(劉)普心異之、遂不責也。 (『三国志』巻十四、劉曄伝) 昨日の話の一部だが、劉曄は「事前に許可を得ず勝手に殺った」ことについて罰を受けます、と言っているようだが、「人殺しをした」こと自体…
劉曄字子揚、淮南成悳人。漢光武子阜陵王延後也。 父普、母脩、産渙及曄。渙九歳、曄七歳、而母病困。臨終、戒渙・曄以「普之侍人、有諂害之性。身死之後、懼必亂家。汝長大能除之、則吾無恨矣。」曄年十三、謂兄渙曰「亡母之言可以行矣。」渙曰「那可爾!」…
昨日少々多忙だったのでお休み・・・。 また今度。
『ドラゴンクエスト3』って出てたんだ・・・。 ゲームボーイ版でメダル集めてたのはいい思い出。 『ウィザードリィ』やってるから、買ったとしてもやる暇ないけど。
でも実際、程昱や荀彧は言うに及ばず、県を守り切った棗祗、州従事として長官不在の州を守った薛悌、賊を自分の将もろとも撃退した韓浩、賊の人質になった夏侯惇と、兗州の乱にかかわった者が多数出世していることを考えると、ある意味では親を見殺しにして…
昨日の記事で取り上げた靳允がその後に埋没するの、「親を見捨てるような選択をしたことで上司や当時の知識人界隈から白眼視されて出世できなくなった」説。 親への孝行をかなり重要視する世界観で生きている人たちばかりだったはずなので、県を守るためとは…
そういえば、程昱に説得されて親よりも范県を守ることを優先した靳允、なかなかにシビアな判断を迫られて曹操にとって大きな功績があることになるはずだが、その後は姿を見せないんだな・・・。 東阿県令棗祗とか兗州従事薛悌とかの他の功労者はその後も重用…
太祖與語、説之、以(程)昱守壽張令。太祖征徐州、使昱與荀彧留守鄄城。張邈等叛迎呂布、郡縣響應、唯鄄城・范・東阿不動。 (『三国志』巻十四、程昱伝) かの曹操不在時の兗州の乱の際、程昱は寿張県令とされていたが、実際には荀彧と共に鄄城にいたそう…
この休日に起こったこと。 ‐13レベルに到達、全呪文を習得する。 ‐全員ロスト(いしのなかにいる)。 ‐1レベルから新メンバーでやりなおし。 ‐2代目メンバーが地下9階で全滅、遺体回収を待つ状態となる。 ‐3代目メンバーをまた1から育て、2代目メン…
先日のロストの後になって、データ複製が可能なことに気づいた。うかつ。 あー確かに大昔のフロッピー時代もデータ複製とかあった気がする。 あと新メンバーも12レベルまで来た。