どうでもいいこと

さっき気づいたんだが、「普段はねぐらで寝ていることが多い」「気まぐれで友好的なこともある」「いざ戦うとなったら爪・牙はもちろん尻尾などでもこちらを攻撃してくる」「酸性の液体を吐きかけて攻撃してくる」などの特徴が共通しているので、猫はファン…

ザ・ニュー・電話

スマートフォンは結局買い替えた。 あまり間隔が空いてないせいか、なんか微妙に前より使いにくい部分があるような気もするが、まあいいや。許容範囲。 しかし待ち時間が長すぎである。2時間待ち。 暑いし、ほかのことをやる気は出ないです。

多分買い替え

スマートフォンの画面がおかしくなった(※落とした)のでブログどころじゃない。 という理由で休む。

おやすみ

なんだかものすごく眠いんだ・・・。 何も考えられないのでおやすみ。

ひとこと

漢の恵帝の命を助けた夏侯嬰が、漢の恵帝の子ということになっている少帝らを殺害するために宮殿から連れ出す役割を担った、という因果がエグくて好きなエピソード。

疲労

ツイッター始めて12年とか言われたが、そういうことは関係なく疲れてる。 暑さゆえかもしれない。 また今度。

わけがわからないこと

『史記』で劉邦のことは「姓劉氏」と明記され、孔丘先生のことは「姓孔氏」と明記されている。 みんな大好き始皇帝さんは『史記』秦始皇本紀で「姓趙氏」と明記されてるし、秦本紀でも先祖について「姓趙氏」と書かれているはずなのに、なぜかあまり「趙政」…

公と王

漢代、周王の子孫は「衛公」とされ、王莽の時に漢の皇帝(になるはずだった)孺子嬰は「定安公」とされた。 後漢皇帝劉協(献帝)が「山陽公」となったのはこれらの事例に即したものだったんだろうけれど、よくよく考えてみると、魏の皇帝が禅譲を受ける前は…

ひとこと

そういえば、昨日言及した「監国使者」と「監国謁者」は基本的に同一なんだろうな。 おそらくは謁者が監国のための使者となる、といったことなのだろう。

諸侯王の監視

曹魏の諸侯王の元には「監国使者(謁者)」という官が付いていて、どうやら皇帝直属で諸侯王を監視していたらしい。 前漢の初期の初期は基本全ての官を諸侯王が自ら任命し、その後は諸侯王の相(丞相)や傅あたりだけが勅任で、彼らが監視の任を負っていたよ…

ひとこと

「『張南』南郡太守説」爆誕。

戯言

そういえば、「沛相袁忠」が「袁沛」と呼称されているという話をかつてしたことがあるが、その例でいくと「巴郡太守の劉●」は「劉巴」になるのでは? 後漢末の「劉巴」という名称のいくつかは字「子初」の人物ではなく、この名不明の「巴郡太守劉●」かもしれ…

今にも落ちてきそうな電源の下で

今まさにパソコンのすぐ横で一番太ったネッコと一番小柄な三毛ネッコが臨戦状態になってるので、今日はここまでとする。 キーボードを踏まれたり電源ボタンを踏まれたりするので。

ひとこと

色々考えていくと、王朝交代についてスタンダードと言える手順などが確立していたわけでもない後漢末において、殷周革命をトレースして放伐(後漢皇帝をぶっ●ろす)も視野に入れながら、太古の理想と王莽のプロトタイプしかなかった禅譲を改良して王朝交代の…

曹植、服喪の理由

昨日の記事に沿って考えるなら、曹操は夏侯惇らの重臣に対して、「自分は周の文王であり、息子が武王となるのであるから、殷の紂王たる漢の天子はいずれ紂王のように攻め滅ぼすことになるだろう」という主旨の発言をしたのだ、ということになる。 少なくとも…

放伐も可

魏氏春秋曰、夏侯惇謂王曰「天下咸知漢祚已盡、異代方起。自古已來、能除民害為百姓所歸者、即民主也。今殿下即戎三十餘年、功徳著於黎庶、為天下所依歸、應天順民、復何疑哉!」王曰「『施于有政、是亦為政』。若天命在吾、吾為周文王矣。」 (『三国志』巻…

藁の家

『史記』や『漢書』は本紀、表、志(書)、列伝を備え、巻末に編者とその華麗なる一族について記す「自序」を付した史書であった。 陳寿『三国志』や范曄『後漢書』は表や志が少なくとも残っておらず、「自序」も無かった。 それらに対し、いわゆる「正史」…

『史記』の後継者

『史記』と『漢書』にはあって『後漢書』や『三国志』や『晋書』にはない。 しかし『宋書』にはあるもの。

巻末のメッセージ

又(孫)晧欲為父和作紀、(韋)曜執以和不登帝位、宜名為傳。 (『三国志』巻六十五、韋曜伝) 呉の史家韋曜(韋昭)は、皇帝孫晧がその父で皇帝になれなかった孫和の「本紀」を立てるよう求めたとき、「皇帝にならなかったので「伝」とすべきです」と言っ…

思い付き

「新都侯」王莽の王朝が「新」になる。 では、「仲家」(「沖」という資料もあり)と称したという袁術は、「仲(沖)」という文字を含む侯だったのだろうか?

秦将になっていたかもしれない

項梁殺人、與(項)籍避仇於呉中。 (『史記』巻七、項羽本紀) 項羽の叔父項梁は人を殺し、仇を避けて呉へ逃げたのだ、という。 どんな理由や経緯かはわからないが、項梁は人を殺した割に秦からは追われていたわけではなく、私的な「仇」が追跡していたよう…

武皇帝

新たな王朝の号(王莽の「新」とか曹氏の「魏」とか)については、ほとんどの場合、その王朝の開祖が皇帝になる時点でなっていた諸侯の国号から取るのが通例であるようだ。 「漢王」劉邦が皇帝になると「漢」王朝となるし、「新都侯」王莽が皇帝になると「新…

メイドの土産

蜀漢時代の陳寿が父の服喪中に婢に薬を作らせていたことを見られて評判を落とした、という話がある(『晋書』陳寿伝)。 これ、「女性を近づけるなんてもってのほかのはずの服喪中に、(仮にいかがわしいことはしなかったとしても)婢という女性を近づけてい…

陳留王断絶

(咸和元年)冬十月、封魏武帝玄孫曹勱為陳留王、以紹魏。 (『晋書』巻七、成帝紀、咸和元年十月) 東晋においては、元帝から3代目の成帝の時になって魏武帝の玄孫曹勱なる者が魏を継ぐものとして陳留王にされたという。 この封建が普通の相続によるものな…

運命を仕組まれた王家

衛公・宋公。 本注曰、建武二年、封周後姫常為周承休公、五年、封殷後孔安為殷紹嘉公。十三年、改常為衛公、安為宋公、以為漢賓、在三公上。 【注】 五經通義「二王之後不考功、有誅無絶。」 (『続漢書』志第二十八、百官志五) 漢は周王の末裔を「衛公」、…

天変

何か妙に眠いからパス。 きっと雷や雹のせいだ(適当)。

同等の行為かもしれない

毎與人談論、戲弄言誦、盡無所隠、及歡悦大笑、至以頭沒杯案中、肴膳皆沾汙巾幘、其輕易如此。 (『三国志』巻一、武帝紀注引『曹瞞傳』) 前々から上記のような行動について、現代に置き換えたらどれくらいの印象なのだろうか、とずっと考えていた。 礼儀作…

納期限

よし、自動車税をクレジット納付したぞ。ギリギリセーフ。 というか気が付くと6月じゃないか・・・。なにこれこわい

諸行無常

『漢書』高恵高后文功臣表には元康4年の子孫に対する一斉徭役免除や、昨日の記事にあったような復興などの記録が見えるのだが、そこに載る子孫はもれなく爵位も掲載されている。 そのほとんどが二十等爵最下位の「公士」やら下から5番目の「大夫」やら、良…

功臣の復興

『漢書』高恵高后文功臣表の高祖の時の列侯の中で、哀帝・平帝の時に子孫が何らかの復興や下賜を受けた者を拾ってみた。 平陽懿侯曹參(二) 元壽二年五月甲子、侯本始以參玄孫之玄孫杜陵公士紹封、千戸、元始元年益滿二千戸。 清河定侯王吸(十四) 元壽二…