三国

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命がけの宴

頃之、諸呂有一人醉、亡酒、(劉)章追、拔劍斬之、而還報曰「有亡酒一人、臣謹行法斬之。」太后左右皆大驚、業已許其軍法、無以罪也、因罷。 (『史記』巻五十二、斉悼惠王世家) 高祖劉邦の孫にあたる朱虚侯劉章は、呂后主催の宴会を軍法によって監督する…

ひとこと(曹丕時代への回帰)

ふと思ったのだが、曹魏は烈祖様死後に皇太后郭氏が権力の一端を握る体制になったと言えそうだが、曹魏の初代曹丕は皇太后が政治に関与することを禁じていたので、曹魏の当初に立ち返ると皇太后の政治関与を極力排除することが「是」ということになるんじゃ…

ひとこと(孟獲)

へえ、かの孟獲って建寧郡の人なんだ。 つまり元は「益州郡の人」ってことか。 「庲降都督」の本拠が置かれたあたりの人ということなので、南中では中心の地にいた、ということなのかもしれない。

南中七郡2

‐牂柯郡 ‐永昌郡 上記2郡は『続漢書』郡国志五、益州に記載あり。‐建寧郡 後漢の益州郡。『華陽国志』南中志によれば蜀漢建興3年に建寧郡に改称。‐朱提郡 『華陽国志』南中志によれば後漢においては犍為属国であったが建安20年に劉備が朱提郡に昇格させ…

南中七郡

後主使羣臣會議、計無所出。或以為蜀之與呉、本為和國、,宜可奔呉。或以為南中七郡、阻險斗絕、易以自守、宜可奔南。 (『三国志』巻四十二、譙周伝) 劉禅が司馬氏の兵に対して逃げるかどうかを考えた時、「南中七郡」に拠るべき、との案があった。 「南中…

よみがえる制度

news.yahoo.co.jp へえ、議長とかになる時に多額の金銭を要求された、か・・・。 後漢末の有名な売官じゃん。後漢末のも強制ではなかったんだろうね、名目上はね。

孫呉の礼制

呉孫權赤烏八年夏、茶陵縣鴻水溢出、流漂二百餘家。十三年秋、丹陽故鄣等縣又鴻水溢。 案權稱帝三十年、竟不於建業創七廟、但有父堅一廟、遠在長沙、而郊禋禮闕。嘉禾初、羣臣奏宜郊祀、又弗許。末年雖一南郊、而北郊遂無聞焉。且三江・五湖・衡・霍・會稽、…

地震

呉孫權黄武四年、江東地連震。 是時權受魏爵命、為大將軍・呉王、改元專制、不修臣迹。 京房易傳曰「臣事雖正、專必震。」董仲舒・劉向並云「臣下強盛、將動而為害」之應也。 (『宋書』巻三十四、五行志五、地震) 『宋書』五行志が述べるところでは、専横…

備えが良い王

國人素聞王善射、不敢反叛、故陳獨得完、百姓歸之者衆十餘萬人。及獻帝初、義兵起、(劉)寵率衆屯陽夏、自稱輔漢大將軍。國相會稽駱俊素有威恩、時天下飢荒、鄰郡人多歸就之、俊傾資賑贍、並得全活。 (『後漢書』列伝第四十、陳敬王羨伝) 後漢末の陳王劉…

ひとこと(排除の順番)

何進って権力握ると初手で霊帝の母の董氏一族排除を進めるんだが、これって売官の元凶とされる董氏の排除が、何進を支持する士人官僚にとっては宦官排除と同等か、あるいはそれ以上に最重要課題だった、ってことかな・・・。 売官のせいで官から事実上締め出…

ひとこと(霊帝の子)

後漢霊帝って官僚、士人間で廃位が語られる(曹操が誘われたヤツとか)くらいには現役当時からアカン扱いされてきたので、その皇子である少帝弁も献帝も、「霊帝の子だから」ということでは皇帝として無条件に支持される理由にはならなかったんじゃないだろ…

曹操即位の勧進

昨日の件を孫権の側から見ると、これは孫権の割とよく考えられた策なのだろうと思う。 孫権としては、このままなら曹氏が皇帝になるのは避けられないだろうが、それならせめて万全ではなく物議をかもすような即位の方が孫権に有利だろう。 あの勧進の時、曹…

曹操即位の手法

魏略曰、孫權上書稱臣、稱説天命。王以權書示外曰「是兒欲踞吾著爐火上邪!」侍中陳羣・尚書桓階奏曰・・・(後略)・・・ (『三国志』巻一、武帝紀、建安二十四年、注引『魏略』) 曹操に恭順の意を示した孫権は、曹操に対して天命を説いたという。 曹操は…

ひとこと(曹操の帝位)

具体的に典拠がある話ではないが、曹操は実際には自分が生きている内に皇帝になろうとしていたんだと思う。 実際にはなっていないのは、その準備が完了する前に死んでしまったからだろう。 以前記事にしたかもしれないが、有名な周の文王の発言は、「息子の…

ひとこと

ふと思っただけだが、何進ってあの時期にああいう形で殺されたことがその後の混迷に繋がったと思うんだが、あそこで死なずに宦官排除の方向が成功していたら、その場合は梁冀や王莽のような存在になって、それはそれでその後の政情は混迷したんだろうな、っ…

ひとこと(曹仁と曹爽)

もう少し長生きできた場合の曹仁と、司馬懿をちゃんと排除しきれた場合の曹爽は、曹魏の皇統を乗っ取れるポテンシャルがあったと思う。 もちろんそういう状況になったとして実際に乗っ取り、簒奪を行うかどうかはわからんが、それができるだけの立場と実力は…

ひとこと(曹丕と曹仁)

相当な武功と「天人」とさえ呼ばれた武勇を備え、曹操の親族で、曹氏にとっての最前線を守った曹仁。 よくよく考えると、曹魏の皇帝にとっては案外危険な存在じゃないだろうか。 曹操健在のうちは心配はなかろうが、後継者の評判が芳しくなく、事績が褒めら…

ひとこと(散財)

そういえば曹操は曹洪の方が金持ってるとか言っていたと思うが、これって曹操の家では父曹嵩が三公になるために1億銭出したためだったりして・・・。 実質的に曹操の家の方が本家筋なんだろうし、曹洪の家だって曹操の祖父に当たる曹騰によって栄えたわけだ…

20倍銅臭

t-s.hatenablog.com こちらの記事などにあるように、後漢末の売官の時に崔烈は「銅臭」などと言われたというが、曹操の父である曹嵩はその20倍の金を出して三公の地位を得たとされている。 曹嵩の方がずっと銅臭が強そうだが、そういった批判があったとい…

ひとこと(曹操の大将教育)

夏侯淵を「高等教育を受けておらず、文字通り体を張った活躍で曹操に重んじられるようになった武人」と考えると、曹操の元で将として活躍していてもどこか無茶しがちだったことも、曹操が将としての在り方を説教したのも、納得がいくような気がする。 彼は危…

ひとこと(両夏侯)

同じ夏侯氏でも、一応は縁戚の豪強の主家(曹氏)のコネと援助で高等教育を受け、おそらくは主家の腹心・参謀などとして働くことも期待されたであろう夏侯惇と、おそらくは若き日はあまり裕福でもなく、縁戚の豪強の主家(曹氏)に首代として飼われ、実際に…

ひとこと(隻眼の儒学者)

そういや、夏侯惇は悪即斬の後も儒学は修め続けてたんだろうか? 曹操の元で働く前の経歴が不明、先祖の経歴も不明という点で同族の夏侯惇と夏侯淵は似ているが、夏侯惇の方が基本優遇気味で、かつ河南尹を任されるなど比較的要職に置かれている感じなのは、…

ひとこと(14歳の未来予想図)

曹仁・曹洪・曹休いずれも父や祖父などがそれなりの官に就いていたことが記録に残っているのに対し、夏侯惇・夏侯淵・夏侯尚にはそういう記録が基本残っていない。 そんな中、夏侯惇が学問の師に就いていたという話は案外重いことじゃないかと思う。 つまり…

切れる14歳の未来

夏侯惇字元讓、沛國譙人、夏侯嬰之後也。年十四、就師學、人有辱其師者、惇殺之、由是以烈氣聞。 太祖初起、惇常為裨將、從征伐。 (『三国志』巻九、夏侯惇伝) 昨日の話についてだが、コメントなども参考に改めて考えてみると、夏侯惇は件の殺人の後、曹操…

切れる14歳

夏侯惇字元讓、沛國譙人、夏侯嬰之後也。年十四、就師學、人有辱其師者、惇殺之、由是以烈氣聞。 (『三国志』巻九、夏侯惇伝) 夏侯惇は14歳にして学問の師を侮辱した者を殺害したという。 彼にとっては師匠の雪辱であって正当な行為だったろうが、客観的…

ひとこと(法家かどうか)

曹操のことを世間では法家的な存在と評することがあるように見受けられるんだが、昨日の話を含むあれこれを見ていくと、曹操って権謀術数と軍事に長けていることはもちろん否定しないが、律令の法家的運用は考えてないし実際やってないんじゃないか、って思…

脱法棒叩き

董卓自為太尉、加鈇鉞・虎賁。 【注】 禮記曰「諸侯賜鈇鉞然後專殺。」説文曰「鈇、莝刃也。」蒼頡篇曰「鈇、斧也。」加鈇鉞者、得專殺也。 (『後漢書』紀第九、孝献帝紀、永漢元年九月) こういった記事が示すように、三公などであっても「鈇鉞」があって…

粉砕バット3

t-s.hatenablog.com 昨日の話について改めて考えてみたんだが、そもそも洛陽北部尉、つまり県尉ってことになるが、禁令に違反したからといって殺すのが当然だったんだろうか? 仮に棒叩きの刑罰が実際にあったものだとしても、本来死刑ではない刑罰なのに死…

粉砕バット2

曹瞞傳曰、太祖初入尉廨、繕治四門。造五色棒、縣門左右各十餘枚、有犯禁、不避豪彊、皆棒殺之。 (『三国志』巻一、武帝紀注引『曹瞞伝』) そういや、昨日も引用したこの話なんだけど、よくよく考えたらこのカラフルな粉砕バットって、わざわざ記事にされ…

粉砕バット

曹瞞傳曰、太祖初入尉廨、繕治四門。造五色棒、縣門左右各十餘枚、有犯禁、不避豪彊、皆棒殺之。 (『三国志』巻一、武帝紀注引『曹瞞伝』) 太祖性嚴、掾屬公事、往往加杖。(何)夔常畜毒藥、誓死無辱、是以終不見及。 (『三国志』巻十二、何夔伝) 曹操…