三国

ちょっと思ったこと

「字(あざな)」は「名」と連続して呼ばない、と言われている。 まあ例えばWikipedia先生とか。 自分もまあそうだろうとは思ってる。 しかし、例えば後漢末当時において「字と名は続けて呼んだりしない」といったことを明確に記している典拠というのはある…

プロローグ

孫休永安五年二月、城西門北樓災。六年十月、石頭小城火、燒西南百八十丈。 是時嬖人張布專擅國勢、多行無禮、而韋昭・盛沖終斥不用、兼遣察戰等為内史、驚擾州郡、致使交阯反亂、是其咎也。 (『晋書』巻二十七、五行志上、火) 呉の孫休の時、張布が政治を…

ひとこと

t-s.hatenablog.com ふと思ったが、劉表の荊州牧時代の太守劉叡って、「格」としては蒯越とか黄祖あたりと並ぶ事になるな。 劉表政権では結構な大物だったのか?

うらない太守

archer0921.hatenablog.com ふと、このような記事を目にした。 『武陵太守星伝』(『荊州占』)、後漢末荊州の武陵太守劉叡なる者の作であるそうな。 劉表期の武陵太守として記録があるのは劉先か。 零陵先賢傳曰、(劉)先字始宗、博學彊記、尤好黄老言、明…

ところでこいつは私の虎子さ

續漢志曰「侍中、比二千石、無員。」漢官儀曰「侍中、左蟬右貂、本秦丞相史、往來殿内、故謂之侍中。分掌乗輿服物、下至褻器虎子之屬。武帝時、孔安國為侍中、以其儒者、特聽掌御唾壺、朝廷榮之。至東京時、屬少府、亦無員。駕出則一人負傳國璽、操斬蛇劒、…

呉と魏の間の晋

呉將晉宗叛歸魏、魏以宗為蘄春太守、去江數百里、數為寇害。(孫)權使(胡)綜與賀齊輕行掩襲、生虜得宗、加建武中郎將。 (『三国志』巻六十二、胡綜伝) 三国呉には「晋宗」という将がいて、魏に降った。 呉は晋宗を攻撃して生け捕りにした。 「晋」姓の…

孫氏から丁氏へ

江表傳曰、曹休出洞口、呂範率軍禦之。時(孫)匡為定武中郎將、違範令放火、燒損茅芒、以乏軍用、範即啟送匡還呉。(孫)權別其族為丁氏、禁固終身。 臣松之案本傳曰「匡未試用卒、時年二十餘。」而江表傳云呂範在洞口、匡為定武中郎將。既為定武、非為未試…

ひとこと

あれ?『後漢書』孝桓帝紀などに出てきてる隴西太守孫羌(西羌を討った)と、孫堅の兄孫羌(字は聖台)って同一人物なのか? 違うかもしれんが、同一人物でもそんなにおかしくないような。 どっかではちゃんと論証とかされてるのかもしれないけれど、自分は…

正妻の呪い

孫権の妻妾、最初の妻と思われる謝氏は後から来た徐氏の下に付くのを嫌がった。 徐氏は後から来た歩氏との間で正妻の座を巡って長子孫登や群臣を含めて綱引きした。 その後の王氏(孫和の母)は全公主と仲が悪く讒言されて死んだ。 袁夫人にも何だか陰惨な感…

左輔都尉

黄龍元年、(孫)權稱尊號、立為皇太子、以(諸葛)恪為左輔、(張)休右弼、(顧)譚為輔正、(陳)表為翼正都尉、是為四友。 (『三国志』巻五十九、孫登伝) 諸葛恪字元遜、瑾長子也。少知名。弱冠拝騎都尉、與顧譚・張休等侍太子登講論道藝、並為賓友。…

謎の自然死

呉録曰、袁夫人者、袁術女也、有節行而無子。(孫)權數以諸姫子與養之、輒不育。及歩夫人薨、權欲立之。夫人自以無子、固辭不受。 (『三国志』巻五十、呉主權潘夫人注引『呉録』) 孫権の袁夫人(袁術の娘)は、孫権が側室に産ませた子を養育したが皆死ん…

襄陽を巡る二つの話

魏文帝即位、封河津亭侯、轉丞相長史。 會孫權帥兵西過、朝議以樊・襄陽無穀、不可以禦寇。時曹仁鎮襄陽、請召仁還宛。帝曰「孫權新破關羽、此其欲自結之時也、必不敢為患。襄陽水陸之衝,禦寇要害,不可棄也。」言竟不從。仁遂焚棄二城、權果不為寇、魏文悔…

放棄の是非

(建安)二十五年春正月、曹公薨、太子丕代為丞相魏王、改年為延康。秋、魏將梅敷使張儉求見撫納。南陽陰・酇・筑陽・山都・中盧五縣民五千家來附。 (『三国志』巻四十七、呉主伝) 昨日の話で出した建安25年(延康元年、黄初元年)の話。 孫権の元に「梅…

孫権の南陽郡進出

(建安)二十五年春正月、曹公薨、太子丕代為丞相魏王、改年為延康。秋、魏將梅敷使張儉求見撫納。南陽陰・酇・筑陽・山都・中盧五縣民五千家來附。 (『三国志』巻四十七、呉主伝) 魏王が代替わりした建安25年(延康元年)に南陽郡の5県が降伏してきた…

宝石大好き皇帝

初、(田)豫以太守督青州、青州刺史程喜内懷不服、軍事之際、多相違錯。喜知帝寶愛明珠、乃密上「豫雖有戰功而禁令寬弛、所得器仗珠金甚多、放散皆不納官。」由是功不見列。 (『三国志』巻二十六、田予伝) 魏の曹叡こと烈祖様は宝石が大好き、と言われて…

暴君のテンプレ

江表傳曰、(孫)晧以張布女為美人、有寵。晧問曰「汝父所在?」答曰「賊以殺之。」晧大怒、棒殺之。後思其顔色、使巧工刻木作美人形象、恆置座側。問左右「布復有女否?」答曰「布大女適故衛尉馮朝子純。」即奪純妻入宮、大有寵、拜為左夫人、晝夜與夫人房…

分枝の時

昨日の朱氏の話について、以下のような意見をいただいた。沛国朱氏だと、ひょっとすると朱治とか朱然と同族かも分からんね。https://t.co/ZapbZyfsOI— Jominian (@Jominian) 2021年9月2日 朱氏出自曹姓。顓頊之後有六終、彦六子、其第五子曰安。周武王克商、…

朱氏の縁故

朱建平、沛國人也。 (『三国志』巻二十九、方技伝、朱建平) (曹)真少與宗人曹遵・郷人朱讚並事太祖。遵・讚早亡、真愍之、乞分所食邑封遵・讚子。 (『三国志』巻九、曹真伝) 晉宣帝河南司馬懿、字仲達。魏司空潁川陳群、字長文。中領軍譙朱鑠、字彦才…

2つの予言

魏略曰、太祖不時立太子、太子自疑。是時有高元呂者、善相人、乃呼問之、對曰「其貴乃不可言。」問「壽幾何?」元呂曰「其壽、至四十當有小苦、過是無憂也。」後無幾而立為王太子、至年四十而薨。 (『三国志』巻二、文帝紀注引『魏略』) 文帝為五官將、坐…

やさしい世界

魏略曰、太祖不時立太子、太子自疑。是時有高元呂者、善相人、乃呼問之、對曰「其貴乃不可言。」問「壽幾何?」元呂曰「其壽、至四十當有小苦、過是無憂也。」後無幾而立為王太子、至年四十而薨。 (『三国志』巻二、文帝紀注引『魏略』) 魏の曹丕は人相見…

世子の気持ち

しかし、昨日の話に限らず「後継者第一候補ではないけど有望な息子」の事は今年のボージョレの出来みたいに誉めるの前提みたいになってて、肝心な後継者第一候補についてはまあ基本誉めず、「その次の代が期待できるから」みたいな後継者第一候補本人の尊厳…

曹植の評価

魏武故事載令曰「始者謂子建、兒中最可定大事。」 (『三国志』巻十九、陳思王植伝注引『魏武故事』) 昨日の記事にあった曹操の令、よく見たらなかなか大胆な事を言ってるんだな。 曹植を譴責する前段ではあるが、「私は当初は曹子建(曹植)が我が子の中で…

誰に背いた曹子建

(曹)植嘗乗車行馳道中、開司馬門出。太祖大怒、公車令坐死。由是重諸侯科禁、而植寵日衰。 【注】 魏武故事載令曰「始者謂子建、兒中最可定大事。」又令曰「自臨菑侯植私出、開司馬門至金門、令吾異目視此兒矣。」又令曰「諸侯長史及帳下吏、知吾出輒將諸…

気づき

魏略曰、時兗・豫大亂、(夏侯)淵以饑乏、棄其幼子、而活亡弟孤女。 (『三国志』巻九、夏侯淵伝注引『魏略』) 待てよ、よく考えたら夏侯淵が姪を助けるために「棄てた」という自分の子、死んだとは明記されていないな・・・。 結局助かって生きていたかも…

命の選択を

魏略曰、時兗・豫大亂、(夏侯)淵以饑乏、棄其幼子、而活亡弟孤女。 (『三国志』巻九、夏侯淵伝注引『魏略』) 魏略曰、(夏侯)霸字仲權。淵為蜀所害、故霸常切齒,欲有報蜀意。・・・(中略)・・・又霸先與雍州刺史郭淮不和、而淮代玄為征西、霸尤不安…

皇帝の母

思うに、皇帝の母やその一族の事が記録に残るのは、その母の一族はいわゆる外戚であり、皇帝にとって親愛の対象であり、高い忠誠を期待できる得難い存在であるからだ。 だが、その皇帝に権力がなければ、高い忠誠を期待する意味がない(というか期待するよう…

連続ひとこと

昨日の話のあとでふと思ったが、曹魏の皇帝は生母不明が多いな・・・。 即位してないけど武帝もそうだし、斉王芳、高貴郷公、陳留王と母不明だ。 烈祖様と斉王芳は父もちゃんとわかっていないしな・・・。 三少帝は権力がなかったから、かもしれん。

青州の実態

文帝踐阼、拝散騎常侍、出為兗州刺史、與張遼等至廣陵討孫權。臨江、夜大風、呉將呂範等船漂至北岸。(王)淩與諸將逆撃、捕斬首虜、獲舟船、有功、封宜城亭侯、加建武將軍、轉在青州。 是時海濱乗喪亂之後、法度未整。淩布政施教、賞善罰惡、甚有綱紀、百姓…

青州の平定

黄初中、察孝廉、除郎中。 是時青土初定、刺史王淩特表請(王)基為別駕、後召為祕書郎、淩復請還。 (『三国志』巻二十七、王基伝) 黄初年間に「青州は平定されたばかり」と表現されるのか。 建安の中盤以降は曹操の将である臧覇らが陣取っていたわけだか…

ひとこと

傍系から皇帝に即位とか、先代の子が廃位とか、逆に先代の長子でありながら即位しないとかいったイレギュラーが連発してた後漢では、「先代皇帝の(生き残っていた)長子」というのが絶対的なアドバンテージだったのだろうか、というのをちょっと疑問に思っ…