三国

烈祖様の住処

青龍元年春正月甲申、青龍見郟之摩陂井中。二月丁酉、幸摩陂觀龍、於是改年。改摩陂為龍陂、賜男子爵人二級、鰥寡孤獨無出今年租賦。 (『三国志』巻三、明帝紀) 魏の明帝曹叡こと烈祖様、昨日の記事(太和6年)に許昌へ行った後、行幸した摩陂でブルード…

平原懿公主の死亡時期

後皇女淑薨、追封諡平原懿公主。 (陳)羣上疏曰「長短有命、存亡有分。故聖人制禮、或抑或致、以求厥中。防墓有不脩之儉、嬴・博有不歸之魂。夫大人動合天地、垂之無窮、又大徳不踰閑、動為師表故也。八歲下殤、禮所不備、況未期月、而以成人禮送之、加為制…

万一に備えて欠席

帝愛女淑、未期而夭、帝痛之甚、追封平原公主、立廟洛陽、葬於南陵。將自臨送、(楊)阜上疏曰「文皇帝・武宣皇后崩、陛下皆不送葬、所以重社稷、備不虞也。何至孩抱之赤子而可送葬也哉?」帝不從。 (『三国志』巻二十五、楊阜伝) 魏の明帝こと烈祖様は、…

魏の音楽

弟子河南邵登・張泰・桑馥、各至太樂丞、下邳陳頏司律中郎將。自左延年等雖妙於音、咸善鄭聲、其好古存正莫及(杜)夔。 (『三国志』巻二十九、方技伝、杜夔) 曹操から曹丕にかけての頃の音楽家杜夔やその弟子たち。 彼らは「鄭の音楽」を得意としていた。…

曹丕の邪教禁止令

十二月、詔曰「先王制禮、所以昭孝事祖、大則郊社、其次宗廟、三辰五行、名山大川、非此族也、不在祀典。叔世衰亂、崇信巫史、至乃宮殿之内、戶牖之閒、無不沃酹、甚矣其惑也。自今、其敢設非祀之祭、巫祝之言、皆以執左道論、著于令典。」 (『三国志』巻二…

恋愛頭脳戦

(黄初三年)九月甲午、詔曰「夫婦人與政、亂之本也。自今以後、羣臣不得奏事太后、后族之家不得當輔政之任、又不得横受茅土之爵。以此詔傳後世、若有背違、天下共誅之。」 庚子、立皇后郭氏。 賜天下男子爵人二級、鰥寡篤癃及貧不能自存者賜穀。 (『三国志…

郭皇后の経歴

魏書曰、父(郭)永、官至南郡太守、諡敬侯。母姓董氏、即堂陽君、生三男二女。長男浮、高唐令。次女昱。次即后。后弟都。弟成。后以漢中平元年三月乙卯生、生而有異常。 (『三国志』巻五、文徳郭皇后伝注引『魏書』) 早失二親、喪亂流離、沒在銅鞮侯家。…

曹丕、自らの過ちを正そうとする

無幾、帝復問曰「我昨夜夢青氣自地屬天。」(周)宣對曰「天下當有貴女子寃死。」是時、帝已遣使賜甄后璽書、聞宣言而悔之、遣人追使者不及。 (『三国志』巻二十九、方技伝、周宣) 昨日の続きみたいなもの。 魏の文帝曹丕は夢占い師周宣から「天下に冤罪で…

周宣の心理学と文帝の心理

文帝問(周)宣曰「吾夢殿屋両瓦墮地、化為雙鴛鴦、此何謂也?」宣對曰「後宮當有暴死者。」帝曰「吾詐卿耳!」宣對曰「夫夢者意耳、苟以形言、便占吉凶。」言未畢、而黄門令奏宮人相殺。無幾、帝復問曰「我昨夜夢青氣自地屬天。」宣對曰「天下當有貴女子寃…

人生80年

朱建平、沛國人也。善相術、於閭巷之間、效驗非一。 太祖為魏公、聞之、召為郎。 文帝為五官將、坐上會客三十餘人、文帝問己年壽、又令徧相衆賓。建平曰「將軍當壽八十、至四十時當有小厄、願謹護之。」謂夏侯威曰「君四十九位為州牧、而當有厄、厄若得過、…

処罰の親子愛

(劉)楨以不敬被刑、刑竟署吏。 【注】 典略曰・・・(中略)・・・其後太子嘗請諸文學、酒酣坐歡、命夫人甄氏出拝。坐中衆人咸伏、而楨獨平視。太祖聞之、乃收楨、減死輸作。 (『三国志』巻二十一、劉楨伝) 後漢末の文人劉楨は五官中郎将曹丕の元に居た…

賜姓か復帰か

孫韶字公禮。伯父河、字伯海、本姓俞氏、亦呉人也。孫策愛之、賜姓為孫、列之屬籍。 (『三国志』巻五十一、孫韶伝) 呉書曰、(孫)河、堅族子也、出後姑俞氏、後復姓為孫。河質性忠直、訥言敏行、有氣幹、能服勤。少從堅征討、常為前驅、後領左右兵、典知…

皇氏

皇侃、呉郡人、青州刺史皇象九世孫也。侃少好學、師事賀瑒、精力專門、盡通其業、尤明三禮・孝經・論語。 ・・・(中略)・・・ 所撰論語義十卷、與禮記義並見重於世、學者傳焉。 (『梁書』巻四十八、儒林伝、皇侃) 呉録曰、皇象字休明、廣陵江都人。幼工…

樊城の過去

樊宏字靡卿、南陽湖陽人也、世祖之舅。 其先周仲山甫、封于樊、因而氏焉、為郷里著姓。 (『後漢書』列伝第二十二、樊宏伝) 城北枕沔水、即襄陽縣之故城也。・・・(中略)・・・東對樊城。樊、仲山甫所封也。 (『水経注』沔水) 襄陽と川を挟んで向かいに…

竹の名は。

右大司馬丁奉・司空孟仁卒。 【注】 呉録曰、仁字恭武、江夏人也、本名宗、避晧字、易焉。 ・・・(中略)・・・ 楚國先賢傳曰、宗母嗜筍、冬節將至。時筍尚未生、宗入竹林哀嘆、而筍為之出、得以供母、皆以為至孝之所致感。 (『三国志』巻四十八、孫晧伝、…

六条詔書

至譙、以(賈)逵為豫州刺史。是時天下初復、州郡多不攝。逵曰「州本以御史出監諸郡、以六條詔書察長吏二千石已下、故其状皆言嚴能鷹揚有督察之才、不言安靜寬仁有愷悌之徳也。今長吏慢法、盜賊公行、州知而不糾、天下復何取正乎?」兵曹從事受前刺史假、逵…

ひとこと

大した事ではないが、呂岱の息子と、蜀漢の雲南太守、同時期の交州方面に「呂凱」が二人いたのか。

魏における鄴

以前の記事(https://t-s.hatenablog.com/entry/20140630/1404054329)を見たら、魏の「任子」(この場合は「人質」)が鄴に送られていたという話があった。 そういえば、司馬懿が魏の諸侯王たちを軟禁したのも確か鄴だった。 魏における鄴は、人質や監視対…

丹楊募兵

頃之、大將軍何進遣都尉毌丘毅詣丹楊募兵、先主與倶行、至下邳遇賊、力戰有功、除為下密丞。復去官。 (『三国志』巻三十二、先主伝) 劉備は大将軍何進の命令で丹楊(丹陽)郡へ行き募兵をしたというが、それに同行した「都尉毌丘毅」はどういう立場だった…

五業従事

周易五卷。漢荊州牧劉表章句。梁有漢荊州五業從事宋忠注周易十卷、亡。 (『隋書』巻三十二、経籍志一、経、易) ここに出てくる「荊州五業從事宋忠」というのは後漢末に劉表の元にいた南陽の宋忠の事だろうか? だとすると「荊州五業従事」というのが宋忠の…

ひとこと

「糟糠の妻」の宋弘は字「仲子」。 後漢末の南陽の人で劉表の元にいた学者宋忠は字「仲子」。 どっちも「宋仲子」なのか。

昨日の続き

昨日(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/05/11/000100)の続き的な。 蒯越は「樊亭侯」になった。 同じ「亭侯」の例として、曹操およびその祖父曹騰の「費亭侯」というのがある。 酇 【注】 左傳昭四年、呉伐楚入棘、杜預曰縣東北有棘亭。襄元年鄭侵宋…

ひとこと

蒯越がなったという「樊亭侯」の「樊」って、樊城の事かな、もしかして・・・? つまり「樊亭」=「樊城」?

中廬の人

昨日の記事(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/05/09/000100)で引用した『傅子』によると、蒯越は「南郡の人」である。 一方、ちょっと前のこの記事(https://t-s.hatenablog.com/entry/20120207/1328543748)で引用した『晋陽秋』によれば、蒯良は「…

職場放棄疑惑

傅子曰、(蒯)越、蒯通之後也、深中足智、魁傑有雄姿。大將軍何進聞其名、辟為東曹掾。越勸進誅諸閹官、進猶豫不決。越知進必敗、求出為汝陽令、佐劉表平定境内、表得以彊大。 (『三国志』巻六、劉表伝注引『傅子』) 初平元年、長沙太守孫堅殺荊州刺史王…

青州・徐州の軍

江表傳曰、(劉)備從魯肅計、進住鄂縣之樊口。諸葛亮詣呉未還、備聞曹公軍下、恐懼、日遣邏吏於水次候望(孫)權軍。吏望見(周)瑜船、馳往白備。備曰「何以知非青・徐軍邪?」吏對曰「以船知之。」備遣人慰勞之。 (『三国志』巻三十二、先主伝注引『江表…

州を越えて

呉録曰、是時廬江太守陸康從子作宜春長、為賊所攻、遣使求救於(孫)堅。堅整嚴救之。主簿進諫、堅答曰「太守無文徳、以征伐為功、越界攻討,以全異國。以此獲罪、何媿海内乎?」乃進兵往救、賊聞而走。 (『三国志』巻四十六、孫堅伝注引『呉録』) 孫堅の…

蛍の光

車胤字武子、南平人也。 曾祖浚、呉會稽太守。父育、郡主簿。 太守王胡之名知人、見胤於童幼之中、謂胤父曰「此兒當大興卿門、可使專學。」胤恭勤不倦、博學多通。家貧不常得油、夏月則練囊盛數十螢火以照書、以夜繼日焉。 (『晋書』巻八十三、車胤伝) か…

袁渙の理

袁宏漢紀曰、(袁)滂字公熙、純素寡欲、終不言人之短。當權寵之盛、或以同異致禍、滂獨中立於朝、故愛憎不及焉。 (『三国志』巻十一、袁渙伝注引『漢紀』) 袁氏世紀曰、(呂)布之破也、陳羣父子時亦在布之軍、見太祖皆拝。(袁)渙獨高揖不為禮、太祖甚…

破虜将軍

前到魯陽、與袁術相見。術表(孫)堅行破虜將軍、領豫州刺史。遂治兵於魯陽城。 (『三国志』巻四十六、孫堅伝) 孫堅は袁術から「行破虜将軍・領予州刺史」に推された。これが『三国志』の孫堅の伝(孫破虜討逆伝)の名である「破虜」である。 長沙太守孫堅…