諸葛亮と徐庶

山濤將去選官、舉(嵇)康自代。康乃與濤書告絶、曰・・・(中略)・・・近諸葛孔明不迫元直以入蜀、華子魚不強幼安以卿相、此可謂能相終始、真相知者也。・・・(後略)
(『晋書』巻四十九、嵇康伝)


西晋の嵇康は山濤が官を代わるときの後任として自分を推薦したと知ると、山濤に対し絶交を申し渡す書を送り付けた。




その中でこう言っている。


諸葛亮徐庶に蜀に入るよう無理強いしなかったし、華歆は管寧に高官になることを強いることはなかった」





諸葛亮徐庶に対して劉備の元へ残るよう(戻ってくるよう?)強くは言わなかったのだ、と当時は解釈され、それが徐庶の望みを斟酌した諸葛亮の美談と評されていたということだろうか。