2023-11-01から1ヶ月間の記事一覧

羽扇

(黄)射時大會賓客、人有獻鸚鵡者、射舉巵於(禰)衡曰「願先生賦之以娛嘉賓。」衡攬筆而作、文無加點、辭采甚麗。 (『後漢書』列伝第七十下、文苑列伝下、禰衡) へえ、後漢末の荊州でオウムを献上する者がいた、と。 つまり劉備や諸葛亮もオウムと出会っ…

思いつきをメモ

とりあえずは思いついただけだがここに書いておく。 曹丕のほとんどの言動は、「父曹操を憎んでいる」という一点から説明できるのではなかろうか。 コンプレックスの類とも言えるかもしれないが、ことあるごとに父曹操を否定し、卑下しようとしていたのだと…

おやすみ

やべ今日はなんか眠い。 このまま寝落ちしそうなくらいなので休むことにする・・・。

皇后の人数

曹魏では実際に現役で皇后になった人物が8人いるのか(文帝1人、烈祖様2人、斉王3人、高貴郷公1人、陳留王1人)。 蜀漢では3人(呉氏と張氏2人)だから魏は多いな・・・と思ったが、呉も実は詳細不明なくらい多いんだった。 まあほぼすべて孫晧なん…

ひとこと

曹丕が甄氏から心が離れた理由、甄氏が何だか曹操・卞氏に取り入ってやけに気に入られるようになったから説。 本来は正妻候補が気に入られた方が自分の地位にとっても有益ではあるが、曹丕としてはプライド傷ついたんじゃねえかな、って・・・。

ひとこと

魏の烈祖様の郭皇后はその後ずっと皇太后として三少帝廃立に関わってきた重要人物だが、皇后になったのは烈祖様が危篤になってからなので、数日くらいしか皇后じゃなかったはずなんだよな・・・。 こういう人物が皇帝を新たに選びまくってるの、すごい皮肉な…

劉協の孫

太子早卒、孫(劉)康立五十一年、晉太康六年薨。 (『後漢書』紀第九、孝献帝紀) 適孫桂氏郷侯(劉)康、嗣立為山陽公。 (『三国志』巻三、明帝紀、青龍二年、注引『献帝伝』) 献帝こと山陽公劉協が死ぬと孫の劉康が山陽公を継いでいるが、劉康はその時…

左将軍仲間

袁術、劉備、司馬睿は「左将軍を経験して皇帝になった」仲間。 左将軍は皇帝へのステップ説。

シュレジンガーの劉協

章武二年、追諡皇思夫人、遷葬於蜀、未至而先主殂隕。丞相(諸葛)亮上言「・・・(中略)・・・孝愍皇帝亦改葬其母王夫人、尊號曰靈懷皇后。今皇思夫人宜有尊號、以慰寒泉之思、輒與恭等案諡法、宜曰昭烈皇后。詩曰『穀則異室、死則同穴。』故昭烈皇后宜與…

2人の列侯

劉備即位の時に名前が出てくる「陽泉侯劉豹」「青衣侯向挙」って、県侯ってことのようだから爵位だけならこの時点の張飛や馬超よりも高いんだよな・・・。 多分、当時劉備の元にいた者の中では劉備を除くとほぼ最上位の爵位なのだろう。 いったい何時から劉…

少々いろいろあって疲労感が凄い。何も考えられないのでお休み。

王の呼び名

魏郡に封建されたら「魏王」なんだから、東郡に封建されたら「東王」、南郡に封建されたら「南王」になるのではないか。 どうやらなぜかそれは良くないとされているらしく実際にはそういう王はいないのだが。面白い感覚。

開陽侯

文帝即王位、遷鎮東將軍、進爵武安郷侯、都督青州諸軍事。及踐阼、進封開陽侯、徙封良成侯。 (『三国志』巻十八、臧霸伝) 初、太后弟(卞)秉、以功封都郷侯、黄初七年進封開陽侯、邑千二百戸、為昭烈將軍。 (『三国志』巻五、后妃伝、武宣卞皇后) 臧覇…

袁紹の評判

おそらくは孝廉茂才ではなく親族のコネ関連で郎になった袁紹は、孝廉茂才で郎になった連中に対して一種のアドバンテージを得ようとした行動が服喪の徹底だったんじゃないだろうか。 後漢では服喪の徹底が士人間の評価につながっているらしい例が散見されてい…

ご冥福をお祈りいたします

nordot.app ショック・・・。あの『後宮小説』や『童貞』の酒見賢一先生が・・・。 ワイにとっては『かりあげクン』に匹敵するくらい影響を受けた存在なのに・・・*1。 *1:ワイとしては最大限の賛辞。

袁紹の経歴

王必や陸遜の例にあるように、後漢末から三国時代頃だと「孝廉や茂才になる」というのが一種のステータスだったらしいので、それを経由しなかったらしい袁紹はなかなか面白い存在だ。 縁故採用だったと思われるが、縁故だけでは出来なさそうな勢力を思ったよ…

ひとこと

三公とかが恩典として子を郎にしてもらう、というのが後漢にはあったらしい。 もしかして袁紹はこれで郎になったか?

若き袁紹

曹操、孫権、袁術、公孫瓚、陶謙といった連中は孝廉や茂才に挙げられたことを『三国志』で記しているんだな。 袁紹や劉表はその辺が書かれていない。 ただ劉表は党錮の禁が直撃したことが関係しているようなので別の問題だ。 袁紹については『三国志』袁紹伝…

孝廉の年齢

曹操は20歳で孝廉に挙げられたが、どうやら孫権はもっと若くして孝廉に挙げられてるようだな・・・。 もちろん状況が違いすぎるので単純な比較はできないことは言うまでもないが、この結果だけで見ると孫権スゲェってなる。 それとよくよく見たら袁紹って…

孝廉と茂才

孫權字仲謀。兄策既定諸郡、時權年十五、以為陽羨長。郡察孝廉、州舉茂才、行奉義校尉。 (『三国志』巻四十七、呉主伝) この「郡察孝廉、州舉茂才」ってよく考えたら面白くないか? 同時に孝廉と茂才に挙げられた? それとも孝廉に推挙され、それとは別の…

ポケモンボックスはいっぱい

最近はボックスを圧迫するイベントが多いな・・・。

ひとこと

王芬らの霊帝廃位計画を持ち掛けられて断るのはいいが事件を通報とかしないし、そもそもそんな大事を持ち掛けられる時点でかなり犯罪者寄りの存在ではないだろうか、と思う吉宗であった。

微言

劉備って伝の冒頭で「儒学学んでたけど不真面目でイッヌやウッマが好きでした」って書かれてるけど、これは漢王朝をある程度知っている人からすれば*1「中興の祖と言える漢の宣帝と似たような経歴じゃないか!」って思わせる内容なんだと思う。 明言せずとも…

寝不足

今日は何だかすごく眠んだパトラッシュ・・・。 天使に連れていかれる前に休む。

劇県

(九月)丁丑、詔曰「自今長吏被考竟未報、自非父母喪無故輒去職者、劇縣十歳、平縣五歳以上、乃得次用。」 (『後漢書』紀第五、孝安帝紀、永初元年) どうでもいいことかもしれんが、「劇県」というと上記のように「統治困難な県」といった意味の行政用語…

郡独裁の実態について

昨日の話だけど、これって所管の各県内では実際には県丞や県尉が代行となってほとんどの事務を取り仕切っていたってことになると思うんだよな。 郡の仕事も任されたのだとしたら、本官である涿県でもそんな感じだったかもしれない。 つまり、多くが現地採用…

郡の独裁者

滕撫字叔輔、北海劇人也。初仕州郡、稍遷為涿令、有文武才用。太守以其能、委任郡職、兼領六縣。風政修明、流愛于人、在事七年、道不拾遺。 【注】 續漢志涿郡領七縣、除涿以外、有迺・故安・范陽・良郷・北新城・方城六縣、使撫兼領之。 (『後漢書』列伝第…

お休み

今日は少々お酒が入っているのでこの辺で・・・。

思い付き

曹嵩の妻としては皇后扱いされた「丁氏」がいるのだが、本来の正妻だったのかはよく考えたら不明だよな・・・。 曹操の実母なだけで当時の正妻は別にいた、みたいな話でもおかしくはないのでは・・・。 ただの思い付きだけど。

ひとこと

思えば、曹操の妻だった丁氏の近親は滅ぼされたのもあって記録が少なく、イマイチどういうヤツがいてどういう関係だったかわかりにくい。 となれば、曹操の妻だった劉夫人の近親もイマイチどういうヤツがいてどういう関係だったかわかりにくいのも当然と言え…