2016-01-01から1年間の記事一覧

大晦日

気が付いたら今年最後の日になっていた。 今年は激動の一年であった。 何しろ引越しに入院に身内の不幸と色々あった。 来年は落ち着いた年であってほしい・・・。

単なる思いつき

(劉)伯升於是招新市・平林兵、與其帥王鳳・陳牧西撃長聚。 【注】 平林、地名、在今隨州隨縣東北。 (『後漢書』紀第一上、光武帝紀上) 光武帝の兄劉伯升らの挙兵に際して、「平林」の王鳳・陳牧らと連携した。 帝王紀曰「舂陵戴侯熊渠生蒼梧太守利、利生…

新林

新都、侯國。莽曰新林。 (『漢書』巻二十八上、地理志上、南陽郡) 前漢の南陽郡の新都侯国といえばあの王莽の領地のことであるが、ここは王莽の新王朝時代には「新林」と改称されていたのだという。 検索にかけただけだが、この「新林」というのが上の記述…

身代わり三年の喪

九月、(王)莽母功顯君死、意不在哀、令太后詔議其服。少阿・羲和劉歆與博士諸儒七十八人皆曰・・・(中略)・・・攝皇帝以聖徳承皇天之命、受太后之詔居攝踐祚、奉漢大宗之後、上有天地社稷之重、下有元元萬機之憂、不得顧其私親。故太皇太后建厥元孫、俾…

続報

年明け早々に入院することとなりました。 仕事始めより先に。

やっと

一段落・・・。 さて、今回キャンセルになった入院はいつになるのかなあ・・・

今日も

忙しい日が続きます…

大変

入院予定だった日から色々大変になっております。そのあたりはまたいつか語る日が来るかも知れません。

実は

入院してません。 諸般の事情により、入院できないこととなりました。延期です。 ても余計に大変なことになってます。

また

1週間ちょっとばかり検査入院してきます。 生きていたらまた会おう!

王鳳と王譚

唯(王)鳳・崇與元后政君同母。母、適妻、魏郡李氏女也。後以妒去、更嫁為河内苟賓妻。 (『漢書』巻九十八、元后伝) 王莽の伯母である元帝の皇后王氏、いわゆる「元后」と父母ともに同じ兄弟は、王鳳と王崇のみであったそうだ。 王譚・王立ら「五侯」や王…

金氏と班氏と王莽

贊曰、臣外祖兄弟為元帝侍中、語臣曰元帝多材藝、善史書。 【注】 應劭曰「元・成帝紀皆班固父彪所作、臣則彪自説也。外祖、金敞也。」 (『漢書』巻九、元帝紀、賛) 『漢書』賛および注によると、あの班固の父である班彪の外祖父は金敞という人物だという…

今日は

諸般の事情により早寝するので…

おめでたい話

王莽少與(班)穉兄弟同列友善、兄事斿而弟畜穉。斿之卒也、修緦麻、賻賵甚厚。 平帝即位、太后臨朝、莽秉政、方欲文致太平、使使者分行風俗、采頌聲、而穉無所上。 琅邪太守公孫閎言災害於公府、大司空甄豐遣屬馳至両郡諷吏民、而劾閎空造不祥、穉絶嘉應、…

そういえば

さっき気付いたんだけど、最近三国志の記事書いてないな、って思ってたら今月になってから一度もなかった。 ・・・まあいいか。もともと三国志のブログってほどでもなかったし、いつになっても泡沫三国志ブロガーだし・・・。 また何かネタが見つかればやる…

8周年

http://d.hatena.ne.jp/T_S/archive/200812 あっ・・・このブログ既に8周年だった・・・。 自分でももう忘れてたわ。 自分くらいしか言う人いないので言っておこう。おめでとう。 9年目も適当にがんばろう。

王氏と王氏

皇孫功崇公(王)宗坐自畫容貌、被服天子衣冠、刻印三。一曰「維祉冠存己夏處南山臧薄冰」、二曰「肅聖寶繼」、三曰「紱封昌圖」。 又宗舅呂𥶡家前徙合浦、私與宗通、發覺按驗、宗自殺。莽曰「宗屬為皇孫、爵為上公、知𥶡等叛逆族類、而與交通、刻銅印三、文…

復讐するは我にあり

(蘇)不韋時年十八、徴詣公車、會(蘇)謙見殺、不韋載喪歸郷里、瘞而不葬、仰天嘆曰「伍子胥獨何人也!」 乃藏母於武都山中、遂變名姓、盡以家財募劒客、邀翬於諸陵輭、不剋。 會翬遷大司農、時右校芻廥在寺北垣下、不韋與親從兄弟潛入廥中、夜則鑿地、晝…

朝から病院なので寝ます。

【悲報】

前回の入院の時、手持ち豚さんだったので病室に持ち込んで眺めていた『後漢書』でブログのネタにしたいと思ったことを記していたノートがあったんだが、見つからない。 ネッコがどこかに持って行ったとしか思えない。 家の鍵を銜えてどこかへ持ち去ろうとす…

外戚王氏:第三世代

先日の「外戚王氏:第二世代」の続き。 言うまでもなく今度は「第三世代」。

忘年会から

帰ってきたので今日はこれでおしまいということで・・・。

外戚王氏:第二世代

先日の「外戚王氏:第一世代」の続き。 もちろん今度は「第二世代」。 前回も言ったが割と適当な感じなので、誤りなどがあったら指摘してもらえるとありがたい。

新都令と新都相

(孔)休字子泉、哀帝初、守新都令。 後王莽秉權、休去官歸家。 及莽篡位、遣使齎玄纁・束帛、請為國師、遂歐血託病、杜門自絶。 (『後漢書』列伝第十五、卓茂伝) 始(王)莽就國、南陽太守以莽貴重、選門下掾宛孔休守新都相。 休謁見莽、莽盡禮自納、休亦…

外戚王氏:第一世代

唐突だが、前漢末期の朝廷のキーワードの一つとも言えるのが「外戚王氏」であったと思う。 つまり王莽とその一族たちである。 前漢の末期や新王朝の事を考えるなら、この王氏のことを十分に把握することが必要なのではないか、と思う。 ということで、この「…

疑問を書いただけ

単なる疑問を書いておく。いつか何かの形で解決できるかもしれないので。 時會朝請、舎長安尚冠里、南陽大人往來長安、爲之邸、闇稽疑議。 (『東観漢記』世祖光武皇帝) 光武帝劉秀が挙兵前長安の尚冠里に居た時、官僚や列侯の定時集会の際に南陽のVIPも…

柱天都部

http://d.hatena.ne.jp/T_S/20130429/1367163886において一度書いたことではあるのだが、もう一度。 (劉)伯升自發舂陵子弟、合七八千人、部署賓客、自稱柱天都部。 (『後漢書』列伝第四、齊武王縯伝) 光武帝劉秀の兄、劉縯(劉伯升)は挙兵の際に「柱天…

安衆侯劉崇の乱始末

(居摂元年)四月、安衆侯劉崇與相張紹謀曰「安漢公莽專制朝政、必危劉氏。天下非之者、乃莫敢先舉、此宗室恥也。吾帥宗族為先、海内必和。」紹等從者百餘人、遂進攻宛、不得入而敗。紹者、張竦之從兄也。竦與崇族父劉嘉詣闕自歸、莽赦弗罪。・・・(中略)…

紅陽侯と南陽郡の劉氏

上聞之大怒、乃使尚書責問司隸校尉・京兆尹「知成都侯(王)商擅穿帝城、決引灃水、曲陽侯(王)根驕奢僭上、赤墀青瑣、紅陽侯(王)立父子臧匿姦猾亡命、賓客為羣盜、司隸・京兆皆阿縱不舉奏正法。」 (『漢書』巻九十八、元后伝) 初、 紅陽侯立就國南陽、…

南陽郡紅陽国の主

時帝舅紅陽侯(王)立使客因南郡太守李尚占墾草田數百頃、頗有民所假少府陂澤、略皆開發、上書願以入縣官。有詔郡平田予直、錢有貴一萬萬以上。 (孫)寶聞之、遣丞相史按驗、發其姦、劾奏立・尚懷姦罔上、狡猾不道。尚下獄死。立雖不坐、後兄大司馬衛將軍(…