暗君の証明

旧Twitterにて見かけた話。

又令依漢海昏侯故事、追封東昏侯。
(『南斉書』巻七、東昏侯紀)


南斉の皇帝東昏侯蕭宝巻が殺害された後、「漢の海昏侯の故事に基づいて」東昏侯に追封されたという。



直接的には廃位されて列侯になったことにする、ということなのだと思うが、「昏」(道理に暗い。「昏君」で暗君の意味となる)という字を含む侯に敢えて就ける、という意味も込められているのだろう。



つまり爵位の名を見るだけで、「海昏侯と同じく廃位された暗君なのだな」と分かるようにした、ということだ。たぶん。

ひとこと(項羽と諸葛亮)

堂々たる体躯で武芸をやれば優れているに違いないが、本人は多くの敵を相手にする兵法を好む。



これは項羽の話だが、昨日の記事などから考えると諸葛亮も元々はそういう傾向だったんじゃないだろうか。



似ていると言えば似ているこの2人、何が分岐点だったんだろうか?

若き諸葛亮

曹公以江陵有軍實、恐先主據之、乃釋輜重、輕軍到襄陽。聞先主已過、曹公將精騎五千急追之、一日一夜行三百餘里、及於當陽之長坂。先主棄妻子、與諸葛亮・張飛・趙雲等數十騎走、曹公大獲其人衆輜重。先主斜趨漢津、適與(關)羽船會、得濟沔、遇表長子江夏太守琦眾萬餘人、與俱到夏口。
(『三国志』巻三十二、先主伝)

かの「長坂」において、劉備は諸葛亮・張飛・趙雲らと逃げたという。


張飛・趙雲がこの時にそれぞれ武勇、活躍を示した。


それくらいギリギリの逃走劇だったと言えるだろう。



そうなると、一緒に逃げた諸葛亮も全力で馬を走らせて逃げたであろう劉備たちと同行していたことになる。



諸葛亮は北方出身で騎馬に自信があったと思われる劉備・張飛・趙雲にも引けを取らない馬術を身に付けていたと考えてよかろう。



その辺に自信がないなら、関羽の船に同行しているところだろう。




実際、この時の諸葛亮は全力で馬を走らせ、時には追手の敵騎兵を矛なり剣なりで返り討ちにするような、堂々たる体躯の若き鎧武者だったんじゃないか、と思える。

やってるゲーム

『タクティクスオウガリボーン』、進めば進むほど割とシビアだっていう印象になってる。


戦闘不能数人を放置してギリギリ勝利とか連発。



あと結構ランダム要素が強い。



ただ不可能ってほどではないので、もう少し頑張ってみる。


今第4章で、自分はすっかり忘れてた幼馴染から額の傷を見せられて暗に責任取れって言われてその子の父親に会いに行かされたとこ。

劉邦の秦攻め2

及趙高已殺二世、使人來、欲約分王關中。沛公以為詐、乃用張良計、使酈生・陸賈往説秦將、啗以利、因襲攻武關、破之。
(『史記』巻八、高祖本紀)


そういえば、昨日の記事について。

沛公乃令韓王成留守陽翟、與良俱南、攻下宛、西入武關。沛公欲以兵二萬人撃秦嶢下軍、(張)良説曰「秦兵尚彊、未可輕。臣聞其將屠者子・賈豎易動以利。願沛公且留壁、使人先行、為五萬人具食、益為張旗幟諸山上、為疑兵、令酈食其持重寶啗秦將。」秦將果畔、欲連和俱西襲咸陽、沛公欲聽之。良曰「此獨其將欲叛耳、恐士卒不從。不從必危、不如因其解撃之。」沛公乃引兵擊撃秦軍、大破之。逐北至藍田、再戰、秦兵竟敗。
(『史記』巻五十五、留侯世家)

かつては敵国に金をバラまいて調略していた秦が、逆に財宝の賂によって突破されるというのは皮肉である。



それにしても、将を財宝で釣った上で騙し討ちにして討ち果たすという張良の策、ずいぶんとエグイ。

劉邦の秦攻め

及趙高已殺二世、使人來、欲約分王關中。沛公以為詐、乃用張良計、使酈生・陸賈往説秦將、啗以利、因襲攻武關、破之。又與秦軍戰於藍田南、益張疑兵旗幟、諸所過毋得掠鹵、秦人憙、秦軍解、因大破之。又戰其北、大破之。乗勝、遂破之。
(『史記』巻八、高祖本紀)


劉邦が武関経由で秦を攻めるのを見ると、いくら秦がもはやろくな将兵がいない状態だとはいえ、かつては六国に対して賂やらを駆使して勝利してきた秦が逆に侵略者の賂に誘われたり、疑兵にあっさりひっかかったりしていて、本当に滅ぶときはあっという間なんだな、という感じがする。



そして、相手が低レベルな気もするが、このときの劉邦の戦はなかなか鮮やかである。項羽と匈奴以外には大抵勝っているだけのことはある。


もしかすると「裏口」と言うべき武関の守りは函谷関より手薄だったのかもしれないが・・・。