ひとこと(劉邦の計算)

そういや、昨日の話の後で思ったが、かの有名な劉邦の嫡子を捨てて逃げようとした件、劉邦からすれば既に成長した長子劉肥や寵姫の子劉如意がいたはずなので、嫡子とはいえ恵帝にそこまでこだわる理由は無いとも言えるかもしれないな。


少なくとも後継ぎがいなくなる、といった話にはならない。



どうやら兵力など援助していたようにも思われる呂后および呂氏との関係は悪化するかもしれないが、既に漢王になっているから深刻な影響にならない、と思ったのではないか、とも考えられる。



つまり、劉邦からすれば「自分の子という私事よりも国と臣下(子と参乗で参乗を優先)が優先」というポーズを示すという点でも、実際に少しでも生き残る可能性を高める上でも、あの場面では恵帝を見捨てようとする方が有利、という計算があった・・・ということだとも考えられるのかもしれない。

命の選択を

蒯成侯緤者、沛人也、姓周氏。常為高祖參乘、以舍人從起沛。至霸上、西入蜀・漢、還定三秦、食邑池陽。東絶甬道、從出度平陰、遇淮陰侯兵襄國、軍乍利乍不利、終無離上心
(『史記』巻九十八、傅靳蒯成列伝)


高祖劉邦の腹心のひとり周緤は、いつも高祖の馬車に同乗し、高祖がどんな不利な時でも離れることはなかった、という。



ということは、もしかしてかの有名な劉邦による嫡子放棄の際などにも同乗していたのだろうか。



その時の劉邦は周緤を馬車から降ろさず子を捨てることを選んだ、という可能性がある。



私心よりも公あるいは部下を優先したとも言え、劉邦がまあまあろくでもないエピソードの多い人物の割に臣下は案外忠実なのは、こういう態度があったからなのかもしれない。



まあ、既に子供たちの母呂氏と関係悪化していたので、その子を捨てても心が動かなかったのだ、という可能性もありそうな気もするが。

李さん一家の系譜

そういえばみんな大好き秦の李さん一家である李信の家は、槐里という関中の中心地と言っていい出身だったようなのに隴西郡に遷っているんだよな・・・。



これ、どういうことなんだろうか。李信が列侯になった時の領土だったのか、それとも本人または子孫が何かやらかして逃げた先とかなのか。


かの『新唐書』宗室世系表上では李信が大将軍・隴西侯になったのだ、というが・・・。




知られる限りで「隴西」という県が無いので、李信は「郡侯」だったのか、ということになってしまう。大きすぎである。



これまた考証が少々甘いのではなかろうか。「成記侯」にでもしておいたほうがリアリティあるのに。