怨恨か

(李)陵在匈奴歳餘、上遣因杅將軍公孫敖將兵深入匈奴迎陵。敖軍無功還曰「捕得生口、李陵教單于為兵以備漢軍、故臣無所得。」上聞、於是族陵家、母弟妻子皆伏誅。隴西士大夫以李氏為愧。
其後、漢遣使使匈奴、陵謂使者曰「吾為漢將歩卒五千人横行匈奴、以亡救而敗、何負於漢而誅吾家?」使者曰「漢聞李少卿教匈奴為兵。」陵曰「乃李緒、非我也。」
李緒本漢塞外都尉、居奚侯城、匈奴攻之、緒降、而單于客遇緒、常坐陵上。
陵痛其家以李緒而誅、使人刺殺緒。
大閼氏欲殺陵、單于匿之北方、大閼氏死乃還。
(『漢書』巻五十四、李陵伝)


かの李陵が匈奴に降伏した後、「李陵が漢の情報を匈奴に教えている」という情報があったため、武帝は李陵の家族を誅殺した。



しかし実際にはそれは李陵ではなく李緒という別の匈奴に降伏した李氏の事であった。



李陵は家族が李緒のせいで死んだ事から、李緒を暗殺した。






・・・これ、李陵が李緒を恨むのって逆恨みもいいとこでは・・・。



というか同じ降将で上座にいる者を殺すのって、単なる怨恨って事でいいんだろうか。


少なくとも周囲は李陵の出世や勢力争いのための暗殺だと思ったのではなかろうか。

曹丕の挙主

獻帝起居注曰、建安十三年、為司徒趙温所辟。太祖表「温辟臣子弟、選舉故不以實」。使侍中守光祿勳郗慮持節奉策免温官。
(『三国志』巻二、文帝紀注引『献帝起居注』)

かの魏の曹丕は当時の三公、司徒趙温に辟召された。



しかしそれに対して曹丕の父である司空・録尚書事は「趙温は自分の子を召し出した。これは不正な人材登用である」と言い、それによって趙温は司徒を罷免された。





曹丕を辟召したら「不正な人材登用」と言われるのでは、当時の献帝政権下では誰も曹丕を辟召できないのではなかろうか?





そういや曹丕の出身である予州の州牧が事実上独立状態だったな・・・。劉備が挙主になれば良かったんだな!

ここに記す

なんか月曜あたりからちょっと内蔵機能が低下している気がしてならない。疲労とか息切れとかがこれまでより早い気がする。


他に自覚症状は無いのだが。



今後私に何かあってこのブログも静かになったとしたら、今回の記事が前兆だったと思っておいてほしい。




既に内臓の一部を持ってかれた身、何が起こっても不思議ではない。



何でもなかったらそれはそれでいいや。