夢想家

秦始皇帝常曰「東南有天子氣」、於是因東游以厭之。高祖即自疑、亡匿、隠於芒・碭山澤巖石之間。
(『史記』巻八、高祖本紀)


始皇帝は「東南に天子の気配あり」と言っており、そこで東方を行幸してその気配を鎮静化しようとしたのだという。



あの蛇を斬った後の高祖劉邦はそれを聞くと疑念を持ち、山中に隠れることにしたのだ、という。



この沛公にすらなっていない段階で、劉邦は「天子の気配」うんぬんで自分が危害を受ける恐れがあると思っていた、ということか?


つまりその時点で既に劉邦は「天子の気配」は自分が原因かもしれない、と感じていた、ということになる。



結果から見ると、なるほどと思えないこともないが、この当時にそんなことを考えていたなら、普通に考えて相当に自意識過剰、誇大妄想癖の類だろう。



なお、『漢書』編者たちもそう思ったのか、『漢書』高帝紀上の該当部分では「即自疑」が無くなっていて、高祖の自意識過剰な感じが緩和されている。

マウス

マウスを新しくした。


この1週間ほど挙動がおかしいままでとってもストレスフルだったので、とっても快適である。



しかし、バットと同じでマウスも「粉砕マウス」と「パソコンマウス」みたいに呼び分けないと、どっちか分からないな。

ひとこと(東西南北)

「東郡」「南郡」は割と歴史があり、のちには「西郡」も生まれたが、「北郡」は無かったようだ。



もしかしたら、「北」という字自体に「背く」「逃げる」の意味があるから一文字だけで郡名にするのは避けられた?

ちょっとした疑問

臨江哀王閼于、以孝景帝前二年用皇子為臨江王。三年卒、無後、國除為郡。
臨江閔王榮、以孝景前四年為皇太子、四歲廢、用故太子為臨江王。
・・・(中略)・・・
榮最長、死無後、國除、地入于漢、為南郡。
(『史記』巻五十九、五宗世家)


漢の景帝の頃の臨江王について、まず哀王閼于が早死にして「国除為郡」となっているので、素直に考えるとこの時に「臨江郡」になったのではないか、と思われる。



その後、元皇太子の閔王栄が臨江王になったが、彼も跡継ぎなく死去すると、漢は臨江国を「南郡」と改称したという。




なんで「臨江郡」にしなかったのだろう?よくわからない。