2024-05-01から1ヶ月間の記事一覧

ひとこと

t-s.hatenablog.com この話のあとで思ったが、曹操にとって徐州の殺戮の一件は、ゲームで序盤の選択肢を誤ったせいでグッドエンディングに行けなくなった、みたいな感じに思える・・・。

おやすみ

あーなんか今日も疲れたァ・・・。 今日はもういいやァ・・・。

ひとこと

昨日の話からすれば孫亮の時代でも徐州方面はつけ入る隙があるという状況だったことになるが、これは曹丕の時の利城郡反乱によって唐咨が呉に逃げるという事態が招いたものと言える。 そして曹丕の時の利城郡反乱は元をただせば曹操の時の徐州への略奪殺戮が…

東海郡進出

使衛尉馮朝城廣陵、拝將軍呉穰為廣陵太守、留略為東海太守。是歳大旱。十二月、作太廟。以馮朝為監軍使者、督徐州諸軍事、民饑、軍士怨畔。 (『三国志』巻四十八、孫亮伝、五鳳二年) 孫呉はこの五鳳2年頃は広陵・東海郡方面に進出しようとしていた。要塞…

疲労感

なんか疲れて眠い。 今宵はお休み。またいつかお会いしましょう。

ひとこと

『三国志』の魏の諸伝では多くの場合に封建された封邑の戸数を詳しく書いている。 その一方で、『三国志』武帝紀では曹操自身の封邑については戸数があまり書かれていないように思う。書かれているのは主に『後漢紀』なのだ。 この辺、ちょっと面白い関係に…

舞陽成侯

そういえば、晋は司馬懿の父の司馬防に皇帝号を追尊してないんだな。 「舞陽成侯」は追尊している(『晋書』宣帝紀)が、それ以上の王などの号も追尊していないようだ。 曹魏は初代皇帝の3世代前まで皇帝号を追尊しているので、初代皇帝の3世代前である司…

九廟

曹魏は太祖・高祖・烈祖様で「三祖」を形成した。 前漢の皇帝廟は本来は「太祖」と「三昭三穆」の「天子七廟」であった。 「三祖」と「三昭三穆」を合わせると「九廟」。 王莽は「九廟」を作ったとされるのだが、曹魏も本当は「三祖三昭三穆」の「九廟」を作…

始祖

孫堅って「始祖」という廟号なのか。 「烈祖」と同じく、これまで無かったオリジナル廟号だと思う。 ただ、王莽が先祖の「九廟」として「帝虞始祖昭廟」というのを決めているようなので、全く前例がないわけでもないか。

疑問

なんだか最近旧Twitterとの連携が機能していない気がする・・・。何故だろう?それともチェックしたつもりがしてないだけか? そこが分からなくて辛いので休む。

魯相と魯王

後漢末、張遼や温恢などが「魯相」つまり魯王の相(宰相)になったとされているのだが、じゃあ魯王は誰なのかというと不明じゃないかと思う。 t-s.hatenablog.com ずっと以前記事にしたように、魯王=東海王だったんだろうか?それとも、東海王として知られ…

ひとこと

そういや、黄巾は潁川郡あたりが根城の一つだったと言われているんだったなあ。 後漢末頃の潁川郡出身の著名人って割といるわけだが、何人かは本人や一族が黄巾関係者だったりするのかなあ。

悪の巣窟

太史公曰、吾嘗過薛、其俗閭里率多暴桀子弟、與鄒・魯殊。問其故、曰「孟嘗君招致天下任俠、姦人入薛中蓋六萬餘家矣。」世之傳孟嘗君好客自喜、名不虛矣。 (『史記』巻七十五、孟嘗君列伝) 『史記』太史公によれば、かの賓客を多数集めた事で有名な孟嘗君…

5月5日の伝説

5月5日。 t-s.hatenablog.com 5月5日といえば、かつては「5月5日に生まれた子は背丈が家の戸に追い付くと自分か親を害することになる」という迷信があったそうだ。 世の5月5日生まれの人たちは、こんなことが起きないように家の戸をとても高くしてお…

ひとこと(屯田民)

曹操の屯田民は、おそらくは曹操の軍糧生産の民、つまり曹操軍のために囲われる民だと思われる。 一方、通常の郡県の民は、いわば皇帝に属する民ということになるだろう。 つまり、屯田民が増えることは曹操の隷民が増えることになり、一般の郡県に帰農させ…

睡魔

今日も眠くて頭が回らないので休む。春眠暁を覚えず。 お休み。

生爪

足の小指をぶつけて爪が剥がれかけていて痛いので一回休み。

ひとこと(白い糸)

劉禅は『三国志』の評で「白い糸」(素糸)に例えられた。 ただ染まるだけ、ということらしい。 しかし、誰も染めることがなく、白いままであればどうなるか。 白は汚れが目立つのではないか。 などとふと思った。