2024-08-01から1ヶ月間の記事一覧

休日出勤

眠い、というか疲れた・・・。でもまだ今日も仕事なので、まずは寝る。

曹氏の「公」

曹操の子の樊安公均は「叔父薊恭公彬」の後継となった。 この「叔父」は「公」(おそらく追尊)となっている。通常は「侯」であることを考えると、彼は一段上の扱いであったことになる。 魏王朝では他に「公」となっているのは曹操の直接の子孫くらいであり…

休息

今日はなんだかとっても眠いので、何も思いつかない。休む。

ひとこと(魏と夏侯氏)

曹魏にとっての夏侯氏って、「主君にとって血縁がある(とされている)」、「姓は違うので簒奪などの恐れは低い」、「血縁と立ち位置の関係で主君への忠誠が期待できる」という存在で、これって「外戚」と同じ特性だよなあ、って思う。 外戚と同じような存在…

ひとこと(魏と曹氏)

実は漢も宗室、特に皇帝に近い諸侯王などは警戒していたし、要地の太守にはしない、要地には封建しない、といった制限も設けていた。 ただ、宗室の列侯にはしばしば大臣や太守となるような者もいたから、全体では魏ほどは警戒されていなかったのではないかと…

魏の禁錮について

t-s.hatenablog.com 昨日も引用したこの記事で、「魏は魏の宗室(曹氏)を「禁錮」にしていたのではないか」ということを述べている。 考えてみると、曹真のように曹操・曹丕と直接の血縁が無い曹氏はともかく、血縁のある曹氏で魏になってから官にあった者…

曹彰の後継ぎと曹植の後継ぎ

(曹)楷、泰始初為崇化少府、見百官名。 (『三国志』巻十九、任城威王彰伝注) (曹)志別傳曰、志字允恭、好學有才行。晉武帝為中撫軍、迎常道郷公于鄴、志夜與帝相見、帝與語、從暮至旦、甚器之。及受禪、改封鄄城公。發詔以志為樂平太守、歴章武・趙郡…

ひとこと

曹操死亡前後のあれこれから考えると、曹操の今わの際の想いに本当に忠実だったのは曹彰で、曹丕も曹植も大半の魏臣も曹操の遺志を無視したことになるのかもしれない。 まあ、その遺志(すなわち、曹植を後継者にという想い)を支持する者がもっと多かったら…

休み

今日はなんだかとっても眠いんだ・・・。 お休み。

生暖かさ

暑いのにネッコが膝の上に載ってきやがったので、今日は休む。 お前は暑くないのか?

曹丕の気持ち

前にもこのブログで言ったかもしれないが、曹丕はいくら本人が乗り気でなかったとはいえ後継者に推されるところだった曹植を最後まで殺さずに済ませているわけで、曹彰をキッチリ毒棗したのと比べると、曹植に対してはもはや愛情と言っても過言ではないくら…

ひとこと(歩夫人と王夫人)

孫呉の孫和の母の王夫人、なんだか歩夫人の子である全公主(孫魯班)とかなり仲が悪いようだが、これって孫権の妻妾として歩夫人と王夫人が寵を争っていた時にからの流れなんだろうか? 歩夫人は娘の悪評にも関わらず謙虚な人柄が特筆されてるんだが、これっ…

ひとこと(優秀な反面教師)

曹操と比べると、曹丕は多分後継者問題についてはある程度節度と計画性を持ってたんだと思う。 かの烈祖様は最後の最後に皇太子にはなっているが、それまでの経過ではすぐに列侯にしたりと、むしろ「もう分家扱いで本家の後継者からは一旦外れた」と明らかに…

やってくれた喃

考えてみたら、昨日の話のように曹操が勢力内の秩序や自分の死後の混乱のことを考慮せずに後継者を選ぼうとしているように見えるのって、「ただとにかく優秀な後継者が欲しい」という一点しか見えていない、ということなのかもしれないな。 つまり、ひとこと…

迷惑系君主

魏書曰、帝生數歳而有岐嶷之姿、武皇帝異之曰「我基於爾三世矣。」 (『三国志』巻三、明帝紀注引『魏書』) 曹叡こと烈祖様、生まれて数年、ということはおそらくは建安13年の赤壁以前の頃、祖父に当たる曹操から高く評価されたという。 素直に考えたら、…

睡魔

あっヤバいすごく眠い・・・。 今日は寝るわ・・・。

安郷侯と平原侯

黄初二年、監國謁者灌均希指、奏「(曹)植醉酒悖慢、劫脅使者」。有司請治罪、帝以太后故、貶爵安郷侯。其年改封鄄城侯。 【注】 魏書載詔曰「植、朕之同母弟。朕於天下無所不容、而況植乎?骨肉之親、舍而不誅、其改封植。」 (『三国志』巻十九、陳思王植…

ひとこと(烈祖様の華麗な前半生)

魏の明帝曹叡こと烈祖様、たぶん「連れ子」→「庶子の一人」→「後継者候補筆頭となる」→「後継者候補から脱落」→「庶子扱いすらされなくなる」→「大逆転で皇帝即位」みたいな、割とジェットコースターみたいな地位の極端な上がり下がりを経験してるんじゃない…

閉会

そういえばオリムピックって終わってたんだな・・・。(今更) マジで気付かなかった。 正直今は台風とか地震とかの方が心配ではある。

孫登と孫和の違い3

孫権の後継者としての孫登と孫和は、後宮一大勢力と言える歩氏一党(特に孫魯班)との距離に大きな違いがあったのだと思う。 先日書いたように、孫登ならまだ多少なりとも歩氏側にもメリットがあり、そこに妥協点が見いだせる可能性があった。 しかし、孫和…

孫登と孫和の違い2

昨日の記事について、孫登の皇太子妃は周氏ではなく芮玄の娘ではないかというご指摘をいただいた。 (孫)權為子登揀擇淑媛、羣臣咸稱(芮)玄父祉兄良並以得義文武顯名三世、故遂娉玄女為妃焉。 (『三国志』巻六十一、潘濬伝注引『呉書』) 確かに、この芮…

孫登と孫和の違い

そういえば、孫登の正妻は周氏。周瑜の娘。 その周氏の兄弟、つまり周瑜の息子の妻はかの孫魯班。つまり孫権と歩夫人の間の子。 このまま孫登が皇帝になれば、孫魯班は皇后の義理の姉妹ということになり、歩氏は皇帝孫登の縁戚として、後宮や朝廷で一定の勢…

天変地異

あっ、何か妙に眠い。 なんつうか、ちょっと最近疲れ気味・・・。 とりあえず、これ以上大きな地震とか起こらないように祈りつつ、寝る。

久しぶりに見た数値

今日は色々疲れているので、お休みしますう・・・。 今日は血圧図ったらなんだか高くて笑えた。いや笑えないんだが。

孫登の遺言、あるいは越権行為

孫呉の皇太子といえば、孫登が死に際にわざわざ孫和を推薦してるの、よくよく考えるとかなり生臭いよな・・・。 一緒に推薦してる群臣たちと併せて、自分の衣鉢を継ぐ者や勢力をそのまま残せ、皇太子とその側近にして重用しろ、って圧力かけてるようにも見え…

ひとこと

孫権はずっと「皇太子」が強くなりすぎないようにと注意してたように思えてならない。

孫権の諸侯王と皇太子

太子孫登の時は、孫慮を敢えて諸侯王にせず、それでいて開府は許している。 なんとなく、孫登さんサイドに「いつでもチェンジできるんだぞ」と言っているようにも見える。 太子孫和の時は、孫覇を諸侯王にするが、他には王を立てず、また孫覇の格式をできる…

ひとこと(孫権の諸侯王)

曹丕も劉備も皇帝に即位するとすぐに兄弟や息子を諸侯王にしているのに対して、孫権はできるだけ諸侯王を立てないようにしている風に見える。 たぶん孫権の方が珍しいんだと思うが、これはどういう理由なんだろうな・・・。 謙虚さ(のアピール)とか、適格…

ひとこと

韋昭「帝位にあったわけではないのに本紀を立てるべきではない」 項羽「ほう・・・?」 呂后「へえ・・・?」

孫堅への流れ弾

「帝位にあったわけではないのに本紀を立てるべきではない」という主張を堅持するあまり、うっかり孫堅についてちょっと言いすぎて不興を買うどころでは済まなくなる韋昭というイフ・・・。 というか、実際に孫晧が怒ったのって孫和よりも孫堅についてだった…