2015-01-01から1年間の記事一覧
ついに今年も最後の日である。 明日はもう2016年。 今年もこのブログが大人気になったりはしなかったけれど、少しずつは前進できているかもな、とたまには思えるようになった。 曲がりなりにも2572日分何らかの記事あるわけだし、もう少し注目されて…
年末である。 この時期、私はよくその一年の記事を総ざらいしたりしてきたが、考えてみるとどうもそんなに反響がなかった気がするので今年はやめておく。 その代わり、これまでの当ブログの記事から「正確・おもしろ・ハートフル*1」という三拍子揃った記事…
『マコちゃん絵日記』9巻。 早いもので9巻である。 今回もマコちゃんの友人多美ちゃんや永遠のライバル沙貴ちゃんの性のめざめが!実は割としゃれにならない感じで描かれたりしていて大変満足の1冊。 あと親衛隊の子は全員バカ(褒め言葉)。
徐晃字公明、河東楊人也。為郡吏、從車騎將軍楊奉討賊有功、拜騎都尉。李傕・郭艴之亂長安也、晃説奉、令與天子還洛陽、奉從其計。天子渡河至安邑、封晃都亭侯。及到洛陽、韓暹・董承日爭鬭、晃説奉令歸太祖。奉欲從之、後悔。太祖討奉於梁、晃遂歸太祖。 (…
建安元年春、諸將爭權、韓暹遂攻董承、承奔張楊、楊乃使承先繕修洛宮。七月、帝還至洛陽、幸楊安殿。張楊以為己功、故因以「楊」名殿。乃謂諸將曰「天子當與天下共之、朝廷自有公卿大臣、楊當出扞外難、何事京師?」 遂還野王。楊奉亦出屯梁。乃以張楊為大司…
昨日の記事だが、ツイッターでの指摘その他から考えるに、皇帝を魯陽に置くと言っても魯陽が袁術のテリトリーとも限らないという風に考え直した。 では、この時期のその近辺ではどの勢力の影響が強かっただろうか。
太祖朝天子於洛陽、引(董)昭並坐、問曰「今孤來此、當施何計?」 昭曰「將軍興義兵以誅暴亂、入朝天子、輔翼王室、此五伯之功也。此下諸將、人殊意異、未必服從、今留匡弼、事勢不便、惟有移駕幸許耳。然朝廷播越、新還舊京、遠近跂望、冀一朝獲安。今復徙…
時大興洛陽宮室、車駕便幸許昌、天下當朝正許昌。許昌偪狹、於城南以氈為殿、備設魚龍曼延、民罷勞役。(鍾)毓諫、以為「水旱不時、帑藏空虚、凡此之類、可須豐年。」又上「宜復關内開荒地、使民肆力於農。」事遂施行。 (『三国志』巻十三、鍾毓伝) 畜生…
うぉっ?! 『マコちゃん絵日記』の新刊もう出るのか?! 買わねば。
趙憙字伯陽、南陽宛人也。少有節操。 從兄為人所殺、無子、憙年十五、常思報之。乃挾兵結客、後遂往復仇。而仇家皆疾病、無相距者。憙以因疾報殺、非仁者心、且釋之而去。顧謂仇曰「爾曹若健、遠相避也。」仇皆臥自搏。後病愈、悉自縛詣憙、憙不與相見、後竟…
『ザナドゥコンプリートコレクション』、注文してしまった。 正直高いのでかなり迷ったのだが、やはり「ザナドゥ」は自分の中で思い入れのあるゲームなので買うことにした。 初代は友人宅でクリアしたが(小学生時代)、シナリオ2はそこまで出来なかったの…
秋七月壬戌、皇后甄氏崩。辛未、以司空司馬孚為太尉。戊寅、太傅司馬宣王薨、以衞將軍司馬景王為撫軍大將軍、録尚書事。乙未、葬懐甄后於太清陵。庚子、驃騎將軍孫資薨。十一月、有司奏諸功臣應饗食於太祖廟者、更以官為次、太傅司馬宣王功高爵尊、最在上。 …
又(孫)晧欲為父和作紀、(韋)曜執以和不登帝位、宜名為傳。 (『三国志』巻六十五、韋曜伝) 呉末期の韋昭(韋曜)は皇帝の孫晧から孫和の「本紀」を作れと言われたが、孫和は帝位に登っていないので「本紀」とすることはできない、「伝」とすべきである…
ツイッター上で@Jominian氏とやりとりしていて初めて合点がいく解釈ができたこと。
自分なりに「袁紹が官渡の戦いで曹操に勝ったというIF」を考えてみた http://togetter.com/li/913199 久しぶりにTogetterでツイートをまとめたのでちょっと宣伝しておく。 まあ、タイトル通り「袁紹が勝ったらどうなっていたか」を妄想しただけです。
http://d.hatena.ne.jp/T_S/20081214 このブログの最初の記事は2008年12月14日。 既に8年目に突入していたの、忘れてた。
劉備卒、劉禪即位、未葬、亦未踰月、而改元為建興。此言之不從也。 習鑿齒曰「禮、國君即位踰年而後改元者、縁臣子之心、不忍一年而有二君也。今可謂亟而不知禮矣。君 子是以知蜀之不能東遷也。」後又降晉。呉孫亮・晉惠帝・宋元凶亦然。亮不終其位、惠帝號…
http://automaticflowers.ne.jp/fss/ 永野護氏の『ファイブスター物語』は来年2月再開予定、だそうな。 と同時に「DESIGNS5」も出す予定とか。 というか、「Characters」って続いていることになってたのか・・・。 延びるとは思うが、まあ憶えとくよ。
夏州城壁素堅、故老傳言赫連勃勃蒸土築之、(安)從進等穴地道、至城下堅如鐵石、鑿不能入。 (『新五代史』巻四十、李仁福伝) 五代の時代、後唐の攻撃を受けた夏州の城はかの赫連勃勃の築いた城壁によって守られ、後唐はトンネルを掘って攻めたが地下すら…
佛佛死、其子赫連昌為索虜托跋菇所獲、(毛)脩之并沒。 (『宋書』巻四十八、毛修之伝) 『宋書』には「佛佛」「佛佛虜」と呼ばれる何者かの存在が記されている。 一瞬なんだかわからなかったのだが、「子の赫連昌」ってことは・・・? (赫連)勃勃性凶暴…
漢王以韓信為左丞相、與曹參・灌嬰倶撃魏。(酈)食其還、漢王問「魏大將誰也?」對曰「柏直。」王曰「是口尚乳臭、不能當韓信。 騎將誰也?」曰「馮敬。」曰「是秦將馮無擇子也、雖賢、不能當灌嬰。歩卒將誰也?」曰「項它。」 曰「是不能當曹參。吾無患矣…
なんか眠くなった。 ウロコインコは大抵飼い主の指を噛みまくるために「痛い」という言葉を憶えやすい、という豆知識を書いて終わりにする。
世言(庾)純之先嘗有伍伯者、(賈)充之先有市魁者、充・純以此相譏焉。 (『晋書』巻五十、庾純伝) 西晋の高官庾純とかの有名な賈充について、世間では「庾純の先祖は五人組のリーダー、賈充の先祖は市場の顔役」と言われており、庾純と賈充はお互いにそ…
こんちき先生の『フルチャージ!!家電ちゃん』1巻。 快楽天にしばしば出没していたこんちき先生が少年ジャンプのWEBマガジン「ジャンプ+」で連載している作品の単行本。 最近本誌にも出張した。 快楽天ではないのでレーティング作品ではない。
夏四月己巳、詔曰「古之立教、郷里以齒、朝廷以爵、扶世導民、莫善於徳。然則於郷里先耆艾、奉高年、古之道也。 今天下孝子順孫願自竭盡以承其親、外迫公事、内乏資財、是以孝心闕焉。朕甚哀之。民年九十以上、已有受鬻法、為復子若孫、令得身帥妻妾遂其供養…
以(庾)純父老不求供養、使據禮典正其臧否。太傅何曾・太尉荀邈・驃騎將軍齊王攸議曰「凡斷正臧否、宜先稽之禮・律。八十者、一子不從政。九十者、其家不從政。新令亦如之。按純父年八十一、兄弟六人、三人在家、不廢侍養。純不求供養、其於禮・律未有違也…
頃之、代王基都督揚州諸軍事。(石)苞因入朝。當還、辭高貴郷公、留語盡日。既出、白文帝曰「非常主也。」數日而有成濟之事。後進位征東大將軍、俄遷驃騎將軍。 (『晋書』巻三十三、石苞伝) 正元初、石苞來朝、盛稱高貴郷公、以為魏武更生。時聞者流汗沾…
昨日までのいくつかの話で「都郷」についてはだんだんわかってきたような気がするのだが、では「都亭」はどうなのか?
永始元年、封(王)莽為新都侯、國南陽新野之都郷、千五百戸。 (『漢書』巻九十九上、王莽伝上) 王莽が封建されて列侯になったときの王莽の領国「新都侯国」は「南陽郡新野県の都郷」であった。 「新」野の「都」郷ということで「新都侯」である。 昨日ま…
郷と戸口簿 http://d.hatena.ne.jp/chincho/20151202/1449055467 昨日の記事の続報。 上記リンク先によれば、前漢の出土資料からも「県には複数の郷があり、そのうちの一つが都郷である。都郷以外はいずれも固有の名前が付いている」ということが確認できる…