2024-09-01から1ヶ月間の記事一覧

離反兄弟

申耽・申儀兄弟は、最初は曹操に従っていたが蜀漢に付き、孟達・劉封の争いの中で魏に戻る形になり、今度は申儀が孟達と仲違いしていて孟達が怪しいと密告していたという、よく見たら中々のコウモリだった。 特に申儀は黄初年間には積極的に離反して魏に付い…

人質

封子(劉)林為牙門將、咸熙元年内移河東。(孟)達子興為議督軍、是歳徙還扶風。 (『三国志』巻四十、劉封伝注) 劉封の子の劉林は牙門将になり、一方であの孟達の子の孟興は督軍*1となった、という。 この内容からすると、孟達の子孟興は、蜀漢に残されて…

疲労感

今日はなんだかとっても疲れてる・・・。朝までは休む。

陳寿、密やかな真意

評曰、魏后妃之家、雖云富貴、未有若衰漢乗非其據、宰割朝政者也。鑒往易軌、於斯為美。追觀陳羣之議、棧潛之論、適足以為百王之規典、垂憲範乎後葉矣。 (『三国志』巻五、后妃伝) 陳寿は『三国志』后妃伝の最後で「魏が外戚に権力を与えなかったのは素晴…

京都しぐさ

黃初三年、將登后位、文帝欲立為后、中郎棧潛上疏曰「在昔帝王之治天下、不惟外輔、亦有内助、治亂所由、盛衰從之。故西陵配黄、英娥降媯、並以賢明、流芳上世。桀奔南巣、禍階末喜、紂以炮烙、怡悦妲己。是以聖哲慎立元妃、必取先代世族之家、擇其令淑以統…

婦人分土命爵

評曰、魏后妃之家、雖云富貴、未有若衰漢乗非其據、宰割朝政者也。鑒往易軌、於斯為美。追觀陳羣之議、棧潛之論、適足以為百王之規典、垂憲範乎後葉矣。 (『三国志』巻五、后妃伝) 陳寿は『三国志』后妃伝の最後で「魏が外戚に権力を与えなかったのは素晴…

おやすみ

昨日未明まで色々と大変だった。今は休ませてもらう・・・。

緊急

本日は少々、いや結構大変なことが起こっており、手が離せない。

曹氏は登り、夏侯氏は落ちる

魏王曹操の末期、曹仁が荊州を守り抜き、夏侯淵が漢中を失陥した。 これによって曹操や曹丕の中での曹氏(曹操と血縁のない曹氏)と夏侯氏の評価が定まり、曹氏は魏王朝になっても重用され、それまでは夏侯惇・夏侯淵が曹仁らと同等以上に重用されていた夏侯…

ひとこと(曹氏と夏侯氏)

曹仁や曹洪は文帝が即位すると県侯になっているが、夏侯惇は曹操時代には彼らより多い戸数の郷侯になっておきながら、文帝即位後も子孫は郷侯のままだったらしい。 本人が死んでいたためという可能性もあるが、何故か夏侯氏は魏王朝では曹操時代よりも待遇が…

晋における文欽の子

晉諸公贊曰、(文)俶後為將軍、破涼州虜、名聞天下。太康中為東夷校尉・假節。當之職、入辭武帝、帝見而惡之、託以他事免俶官。東安公繇、諸葛誕外孫、欲殺俶、因誅楊駿、誣俶謀逆、遂夷三族。 (『三国志』巻二十九、諸葛誕伝注引『晋諸公賛』) 文欽の息…

晋における文欽評

『三国志』毌丘倹伝本文でも「揚州刺史前將軍文欽、曹爽之邑人也、驍果麤猛、數有戰功、好增虜獲、以徼寵賞、多不見許、怨恨日甚。」と悪評が堂々と記される文欽。 まあ、実際にそういう側面があったんだろうとも思うが、彼とその子文俶(文鴦)が諸葛誕敗北…

出世する才能

(文)欽以故益驕、好自矜伐、以壮勇高人、頗得虚名於三軍。 (『三国志』巻二十八、毌丘倹伝注引『魏書』) 昨日の話について、「文欽も実力自体はあったかもしれないし・・・」と思ったが、実は別の場所では「虚名」と言われているという悲しい事実。 最初…

唯才の国

「(文)欽性剛暴無禮、所在倨傲陵上、不奉官法」(『三国志』巻二十八、毌丘倹伝注引『魏書』)などと言われ、かの魏諷の乱にも関与していたのにも関わらず、「父が良く働いてくれたから」「同郷だから」といった理由で処罰や更迭を逃れ、むしろ出世してい…

曹操の弟2

昨日の記事だが、「海陽哀侯」は最終の爵位ではなく、娘の結婚時点での号、という可能性もあるかもしれない。 つまり、「薊恭公彬」が「公」にされた時期とは同じではなく、「海陽哀侯」も後から「公」になったかもしれない、ということだ(「薊恭公彬」と同…

曹操の弟

(夏侯)淵妻、太祖内妹。長子衡、尚太祖弟海陽哀侯女、恩寵特隆。 (『三国志』巻九、夏侯淵伝) 曹操の弟に「海陽哀侯」なる人物がいたらしい。 先日の記事で出た「薊恭公彬」も曹操の弟と思われる。 何故片方は「侯」で、もう片方は「公」なのか。どちら…