呂蒙の寝言

呂蒙入呉、呉主勸其學業、蒙博覧羣籍、以易爲宗。嘗在孫策座上酣醉、忽臥、於夢中誦周易一部、俄而驚起。衆人皆問之。蒙曰、向夢見伏羲・周公・文王、與我論世祚興亡之事、日月貞明之道、莫不窮精極妙、未該玄旨、故空誦其文耳。衆座皆云、呂蒙囈語通周易
(『拾遺記』呉)

呉の呂蒙孫権に学問をするよう勧められて易経周易)を中心に学んだ。




そんなある日、孫策の宴席で酔って沈没した呂蒙は、うわごとで易経の一部分を暗唱し、それから急に目を覚ました。



周囲の者が何があったのかを聞くと、呂蒙は「夢で易経を作った聖人たちである伏犠・周公旦・周文王と世の天命の移り変わりや興亡、正しく明らかである太陽や月の運行などについて論じていたのですが、彼らは精妙で奥深い議論で、私はその深い理解に及ばなかったため、易経の文を暗唱することしかできなかったのです」と答えた。


周囲の者たちは驚いて「呂蒙は寝言でさえ易経に通じている」と言ったという。






この話では、呂蒙孫権と出会って割と早い段階で学業を勧められ、孫策が健在の時から既に易経を熱心に学んでいたのだと周囲に認識されていたのだということになっている。



これを信用するかどうかという問題があるが、呂蒙の人物像を掴む上でなかなか興味深いエピソードではあると思う。