ガラスの十代

趙憙字伯陽、南陽宛人也。少有節操。
從兄為人所殺、無子、憙年十五、常思報之。乃挾兵結客、後遂往復仇。而仇家皆疾病、無相距者。憙以因疾報殺、非仁者心、且釋之而去。顧謂仇曰「爾曹若健、遠相避也。」仇皆臥自搏。後病愈、悉自縛詣憙、憙不與相見、後竟殺之。
(『後漢書』列伝第十六、趙憙伝)

新から後漢にかけての人、趙憙。



彼は十五歳くらいのころ、従兄が人に殺されるという事件があった。



その従兄には子がいない、つまり仇を討つべき者がいなかったため、趙憙は自分で仇を討つことにし、武器を持ち賓客を養って復讐の機会を待った。



だが、その仇の家ではみんな流行り病になってしまっており、それを見た趙憙は「病気に乗じて仇を討つのは仁ではない」として、敢えて仇の相手をそのままにして去り、「もし健康になったら、お互いに相手を避けるようにしようではないか」と言い残した。


つまり、出会えば仇討ちをしないわけにはいかないから、顔を見せてくれるな、ということなのだろう。




だが、趙憙少年の言動に感じ入った仇の相手は病気が癒えると自ら亀甲縛りとなって趙憙の前に現れた。


自分が悪かったから仇を討ってください、ということなのだろう。



趙憙は初め彼に会おうとしなかったが、結局はその相手を殺すこととなったという。







殺生することないじゃないか、とも思ってしまうが、仇である以上出会ったからには仇討ちしないのは従兄に対しては申しわけが立たないということになるのだろうし、仇の相手も自らぜひ殺してくれと言ってきていたのだろうから、拒み続けるわけにもいかなかったのだろう。




こんな年齢でこんな生き死にのかかった難しい選択を迫られるのは碇シンジくんばかりではないということだ。