都亭とは何か

昨日までのいくつかの話で「都郷」についてはだんだんわかってきたような気がするのだが、では「都亭」はどうなのか?



於是(司馬)相如往舍都亭。臨卭令繆為恭敬、日往朝相如。
【注】
師古曰「臨卭所治都之亭。」
(『漢書』巻五十七上、司馬相如伝上)

(王)斌還、遷執金吾、封都亭侯、食邑五百戸。
凡言都亭者、並城内亭也。漢法、大縣侯位視三公、小縣侯位視上卿、郷侯・亭侯視中二千石也。*1
(『後漢書』紀第十下、霊思何皇后紀)


漢代の「都亭」について注釈によれば『漢書』で「所治都之亭」、『後漢書』で「城内亭」と説明されており、これは違うことを言っているようでいて矛盾はしておらず、むしろ同じモノをイメージしつつも見ている方向が違う、というだけのようにも思える。



県の治所というのはつまり県の城壁の中ということだから、治所にある亭というのは城内の亭というのと意味合いは限りなく等しくなる。





都亭は県の役所がある城壁内の亭を言い、都郷は県の役所がある(城壁内の)郷を言う、というところだろうか。

*1:大県侯、小県侯、郷侯・亭侯で序列が変わってきていたらしいというのも注目に値するかもしれない。