猫の目

太祖朝天子於洛陽、引(董)昭並坐、問曰「今孤來此、當施何計?」
昭曰「將軍興義兵以誅暴亂、入朝天子、輔翼王室、此五伯之功也。此下諸將、人殊意異、未必服從、今留匡弼、事勢不便、惟有移駕幸許耳。然朝廷播越、新還舊京、遠近跂望、冀一朝獲安。今復徙駕、不厭衆心。夫行非常之事、乃有非常之功、願將軍算其多者。」
太祖曰「此孤本志也。楊奉近在梁耳、聞其兵精、得無為孤累乎?」
昭曰「奉少黨援、將獨委質。鎮東・費亭之事、皆奉所定、又聞書命申束、足以見信。宜時遣使厚遺答謝、以安其意。説『京都無糧、欲車駕暫幸魯陽、魯陽近許、轉運稍易、可無縣乏之憂』。奉為人勇而寡慮、必不見疑、比使往來、足以定計。奉何能為累!」
太祖曰「善。」
即遣使詣奉、徙大駕至許。
奉由是失望、與韓暹等到定陵鈔暴。太祖不應、密往攻其梁營、降誅即定。奉・暹失衆、東降袁術
(『三国志』巻十四、董昭伝)

紆余曲折を経て洛陽へ戻った後漢献帝



その献帝に謁見した曹操は、その後董昭とこんな密談をした。




「これからどうする?」



「今いる将たちが曹将軍に従うとは限らないので、皇帝に付けておくのはこちらにとって都合が良くありません。皇帝を許県まで連れていくのが一番でしょう。しかしやっと洛陽に戻ったばかりなので、人々の心を落ち着かせるのは難しいでしょう。よくお考え下さい」



「私もそう思っていた。楊奉の兵は精強だが私の妨げにはならないか?」



楊奉は孤立しているし、曹将軍に鎮東将軍の地位や爵位を与えたのは楊奉が主導したことです。信じるに足りるでしょう。「洛陽は食料が不足しているので、皇帝には魯陽に移動してもらおう。魯陽ならこちらの拠点である許県にも近く、運搬しやすいので食料不足の恐れもない」と楊奉に説けば、楊奉は思慮が足りないので信用すると思います」



「よろしい」




というわけで、曹操は董昭の策に従って楊奉に皇帝を魯陽へ移動させると騙して皇帝を外へ出させ、実際には曹操のテリトリーであった許県へ連れて行ってしまったのである。






曹操らが楊奉を騙すために「皇帝を魯陽へ置く」と言っているのが興味深い。



魯陽は荊州南陽郡にある県である。




この時期はまだ袁術が淮南に移る前だから、魯陽は袁術のテリトリーではないか?



曹操献帝袁術のテリトリーに近づけましょう、と楊奉に持ちかけたことになる。




曹操はいったんは袁術との連携を取るという姿勢を見せておいて、「やっぱりやめた」と袁術の連携を切り捨てて袁術に与する諸将を返り討ちにした、ということなのだろうか。