徐晃の転職事情

徐晃字公明、河東楊人也。為郡吏、從車騎將軍楊奉討賊有功、拜騎都尉。李傕・郭艴之亂長安也、晃説奉、令與天子還洛陽、奉從其計。天子渡河至安邑、封晃都亭侯。及到洛陽、韓暹・董承日爭鬭、晃説奉令歸太祖。奉欲從之、後悔。太祖討奉於梁、晃遂歸太祖。
(『三国志』巻十七、徐晃伝)

昨日までの記事と合わせて考えてみると、「当初は楊奉に従っていた徐晃曹操と合力することを楊奉に進言し、楊奉もそのつもりになったが、その後楊奉が後悔した」というのは、曹操がいったんは楊奉に接近し、例の「皇帝を魯陽へ置こう」と楊奉へ進言したことについて徐晃が賛同し、その後曹操が魯陽ではなく許県へ皇帝を連行したことで楊奉曹操を信じたことを後悔した、ということを指すのではないか。



そうなると楊奉徐晃の関係に亀裂が入った可能性が高く、楊奉が追い出した形なのか、それとも徐晃が責任を取らされるのを回避するため逃げ出したのかはともかく、曹操の嘘が原因で徐晃楊奉から離れることとなり、行きがかり上曹操に付くことにした、というところだろうか。





徐晃楊奉の関係だけで見れば嘘は書いていないのだろうが、皇帝連行の件を完全に省いているために話の印象がまるで違って見える。