改元しない理由

劉備卒、劉禪即位、未葬、亦未踰月、而改元為建興。此言之不從也。
習鑿齒曰「禮、國君即位踰年而後改元者、縁臣子之心、不忍一年而有二君也。今可謂亟而不知禮矣。君 子是以知蜀之不能東遷也。」後又降晉。呉孫亮・晉惠帝・宋元凶亦然。亮不終其位、惠帝號令非己、元凶尋誅。言不從也。
(『宋書』巻三十一、五行志二)

劉備が死去して劉禅が即位すると、その月のうちに改元した。


また晋の恵帝や宋の元凶(父の文帝を殺して即位した皇太子)も同じだった。




これは礼としては「臣下や子の気持ちとしては、一年間に二人の君主がいるのは忍び難い」ということであり得ないことであったそうだ。



言い換えると、先帝が死去しても同じ年の間はその先帝を偲ぶ意味合いで先帝の時の元号を変えないということなのだろう。


元号をすぐ変えてしまうのは、先帝を偲ぶ気持ちに欠けるというわけだ。





皇帝が死んだ年には改元せず、翌年になって改元するのが通例であることの理由が説明されているのが興味深い。


まあ、もしかしたら別の理論もあるかもしれないけど。