賈充の先祖

世言(庾)純之先嘗有伍伯者、(賈)充之先有市魁者、充・純以此相譏焉。
(『晋書』巻五十、庾純伝)

西晋の高官庾純とかの有名な賈充について、世間では「庾純の先祖は五人組のリーダー、賈充の先祖は市場の顔役」と言われており、庾純と賈充はお互いにそのことを謗りあっていたという。




つまり、どちらも「先祖は低い身分であった」ということのようだ。





魏略曰、(賈)逵世為著姓。
(『三国志』巻十五、賈逵伝注引『魏略』)

『魏略』では賈充の父賈逵について「代々有名な一族であった」と記されているが、賈氏が著姓となる以前のことかもしれないし、あるいは著姓ではあってもあまり出世できなかった者がいたとしてもそれはそれで不思議でもないので、どちらかが嘘を言っているとばかりも言い切れないだろう。