佛佛

佛佛死、其子赫連昌為索虜托跋菇所獲、(毛)脩之并沒。
(『宋書』巻四十八、毛修之伝)

宋書』には「佛佛」「佛佛虜」と呼ばれる何者かの存在が記されている。



一瞬なんだかわからなかったのだが、「子の赫連昌」ってことは・・・?




(赫連)勃勃性凶暴好殺、無順守之規。常居城上、置弓劍于側、有所嫌忿、便手自殺之、羣臣忤視者毀其目、笑者決其脣、諫者謂之誹謗、先截其舌而後斬之。夷夏囂然、人無生頼。在位十三年而宋受禪、以宋元嘉二年死。子昌嗣偽位、尋為魏所擒。弟定僭號于平涼、遂為魏所滅。
(『晋書』巻百三十、赫連勃勃載記)

完全に一致。


どうやら「赫連勃勃」のことを『宋書』は「佛佛」と表記していたようだ。




初めて知った。