介護義務規定

以(庾)純父老不求供養、使據禮典正其臧否。太傅何曾・太尉荀邈・驃騎將軍齊王攸議曰「凡斷正臧否、宜先稽之禮・律。八十者、一子不從政。九十者、其家不從政。新令亦如之。按純父年八十一、兄弟六人、三人在家、不廢侍養。純不求供養、其於禮・律未有違也。司空公以純備位卿尹、望其有加於人、而純荒醉、肆其忿怒。臣以為純不遠布孝至之行、而近習常人之失、應在譏貶。」
(『晋書』巻五十、庾純伝)

賈充とつねづね不和であったという庾純が宴席で賈充に「年上の者の酒が飲めないのか?」と言い放ち、賈充は「父が年老いているのにお酒ですか」と応じ、庾純が「天下の諸悪は全てお前のせいだ」と話を大きくし、「蜀呉の平定にも功績のあった私がどうして?」と賈充が問うと「高貴郷公はいったいどこにおられるか!」と庾純は口に出したら戦争間違いない一言を放った。




賈充はそれに対し庾純の酒席とはいえ格上への礼を失した行いと父への不孝を監察官を動かして弾劾させた。




その後の庾純の処遇についての議論の中の一幕。




「律では、八十歳になったら子のうち一人は政治に預からないようにすること。九十歳になったら家全体が政治に預からないようにすること、と決めており、それは今の新しい律でも同じである」




このように述べられている。




一家の主が八十歳の高齢になったら息子のうち少なくとも一人は政治をやめて父の介護に回ることが義務付けられていたということらしい。



九十歳になったら一家総出でそうする必要があったというから徹底したものである。




晋より以前からこの律はあったようだが、起源としてはどこまで遡る規定なのだろうか?