赫連勃勃の遺産

夏州城壁素堅、故老傳言赫連勃勃蒸土築之、(安)從進等穴地道、至城下堅如鐵石、鑿不能入。
(『新五代史』巻四十、李仁福伝)


五代の時代、後唐の攻撃を受けた夏州の城はかの赫連勃勃の築いた城壁によって守られ、後唐はトンネルを掘って攻めたが地下すら鉄のように固い壁がめぐらされていたために失敗した。




乃赦其境内、改元為鳳翔。以叱干阿利領將作大匠、發嶺北夷夏十萬人、于朔方水北・鄢水之南營起都城。 (赫連)勃勃自言「朕方統一天下、君臨萬邦、可以統萬為名。」阿利性尤工巧、然殘忍刻暴、乃蒸土築城、錐入一寸、即殺作者而并築之。
(『晋書』巻百三十、赫連勃勃載記)

これは有名な赫連勃勃の城壁のことだ。



これを素直に信じるなら、赫連勃勃の遺産は数百年の時を経ても色あせていなかったということになる。