孔丘先生

仲長統『昌言』理乱篇を読んでみよう:その2

その1(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/08/11/000100)の続き。

魏の音楽

弟子河南邵登・張泰・桑馥、各至太樂丞、下邳陳頏司律中郎將。自左延年等雖妙於音、咸善鄭聲、其好古存正莫及(杜)夔。 (『三国志』巻二十九、方技伝、杜夔) 曹操から曹丕にかけての頃の音楽家杜夔やその弟子たち。 彼らは「鄭の音楽」を得意としていた。…

魯の神書

魯恭王餘以孝景前二年立為淮陽王。呉楚反破後、以孝景前三年徙王魯。好治宮室苑囿狗馬、季年好音、不喜辭。為人口吃難言。二十八年薨。 子安王光嗣、初好音樂輿馬、晚節遴、唯恐不足於財。四十年薨。 子孝王慶忌嗣、三十七年薨。 子頃王勁嗣、二十八年薨。 …

特異点

孔丘先生の子孫が「聖人の分家は本家になる」という理論で殷王の子孫として封建された綏和元年。 この年は、あの王莽が叔父たちを差し置いて初めて三公(大司馬)になった年で、あの哀帝が分家の王から皇太子に立てられた年でもあるんだな。 なんというか、…

孔丘先生の子孫、列侯になる

又曰「蓋聞王者必存二王之後、所以通三統也。昔成湯受命、列為三代、而祭祀廢絶。考求其後、莫正孔吉。其封吉為殷紹嘉侯。」 三月、進爵為公、及周承休侯皆為公、地各百里。 (『漢書』巻十、成帝紀、綏和元年) 殷紹嘉侯孔何齊 以殷後孔子世吉適子侯、千六…

匡衡理論

昨日(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/06/17/000100)の続き。 初、武帝時、始封周後姫嘉為周子南君、至元帝時、尊周子南君為周承休侯、位次諸侯王。 使諸大夫博士求殷後、分散為十餘姓、郡國往往得其大家、推求子孫,絶不能紀。 時匡衡議、以為「王…

梅福理論

成帝久亡繼嗣、(梅)福以為宜建三統、封孔子之世以為殷後、復上書曰、 臣聞「不在其位,不謀其政」。政者職也、位卑而言高者罪也。越職觸罪、危言世患、雖伏質横分、臣之願也。守職不言、沒齒身全、死之日、尸未腐而名滅、雖有景公之位、伏歴千駟、臣不貪也…

孔将軍の正体

家之族胤、一世相承、以至九世、相魏、居大梁。 始有三子焉、長子之後、承殷統、為宋公。 中子之後、奉夫子祀、為褒成侯。 小子之後彦、以將士高祖、有功、封蓼侯。 其子臧嗣焉、歴位九卿、遷御史大夫、辭曰「臣世以經學為業、家傳相承、作為訓法。然今俗儒…

先祖の系図

孔昱字元世、魯國魯人也。 七世祖霸、成帝時歴九卿、封襃成侯。 自霸至昱、爵位相係、其卿相牧守五十三人、列侯七人。 昱少習家學、大將軍梁冀辟、不應。太尉舉方正、對策不合、乃辭病去。後遭黨事禁錮。靈帝即位、公車徴拝議郎、補洛陽令、以師喪弃官、卒於…

九尺様

生而首上圩頂、故因名曰丘云。 【注】 索隱、圩音烏。頂音鼎。圩頂言頂上窳也、故孔子頂如反宇。反宇者、若屋宇之反、中低而四傍高也。 (『史記』巻四十七、孔子世家) 孔子長九尺有六寸、人皆謂之「長人」而異之。 (『史記』巻四十七、孔子世家) 孔子こ…

『後漢書』孝霊帝紀を読んでみよう:その5

その4(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/03/25/000100)の続き。

アプデ商法

『史記』が完全版商法なら、「魯論」「斉論」「古論」といったバージョンがあった(篇数などから違う)という『史記』はさしずめアップデート商法かな・・・。

『漢紀』高祖皇帝紀を読んでみよう:その57

その56(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/01/14/000100)の続き。

孔丘先生〜その誇り高き血統

時匡衡議以為「王者存二王後、所以尊其先王而通三統也。其犯誅絶之罪者絶、而更封他親為始封君、上承其王者之始祖。春秋之義、諸侯不能守其社稷者絶。今宋國已不守其統而失國矣、則宜更立殷後為始封君、而上承湯統、非當繼宋之絶侯也、宜明得殷後而已。今之…

『漢書』成帝紀を読んでみよう:その22

その21(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20180418/1523978003)の続き。

『漢書』成帝紀を読んでみよう:その18

その17(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20180412/1523459059)の続き。

孔丘先生と弟子の子路

http://d.hatena.ne.jp/T_S/20171004/1507043114の記事の後に考えてみたんだけど、孔子こと孔丘先生が子路のようなあまり頭脳労働が得意そうじゃないタイプ(婉曲)を違うタイプの顔淵やら子貢やらと同等かそれ以上に寵愛したのって、自分が力こそパワーって…

孔丘先生の思想と肉体

http://d.hatena.ne.jp/T_S/20130210/1360426980 以前、孔子こと孔丘先生は身長2メートルを超えて背面が異様に隆起しているような人物であったと紹介した。 子曰、巧言令色鮮矣仁。 (『論語』学而) 思うに、そんな見た目だけでも危険な感じでいっぱいな孔…

『漢書』王莽伝を読んでみよう:中その6

その5の続き。 又曰「帝王之道、相因而通。盛徳之祚、百世享祀。予惟黄帝・帝少昊・帝顓頊・帝嚳・帝堯・帝舜・帝夏禹・皋陶・伊尹咸有聖徳、假于皇天、功烈巍巍、光施于遠。予甚嘉之、營求其後、將祚厥祀。」 惟王氏、虞帝之後也、出自帝嚳。劉氏、堯之後…

『漢書』王莽伝を読んでみよう:上その23

その22の続き。 莽奏言「宇為呂𥶡等所詿誤、流言惑衆、與管蔡同罪、臣不敢隠其誅。」 甄邯等白太后下詔曰「夫唐堯有丹朱、周文王有管蔡、此皆上聖亡奈下愚子何、以其性不可移也。公居周公之位、輔成王之主、而行管蔡之誅、不以親親害尊尊、朕甚嘉之。昔周…

親孝行の果て

(崔)烈於是聲譽衰減。久之不自安、從容問其子鈞曰「吾居三公、於議者何如?」鈞曰「大人少有英稱、歴位卿守、論者不謂不當為三公。而今登其位、天下失望。」烈曰「何為然也?」鈞曰「論者嫌其銅臭。」烈怒、舉杖撃之。鈞時為虎賁中郎將、服武弁、戴鶡尾、…

司馬遷の書を読んでみよう4

その3(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20160612/1465660494)の続き。 僕聞之、修身者智之府也、愛施者仁之端也、取予者義之符也、恥辱者勇之決也、立名者行之極也。士有此五者、然後可以託於世、列於君子之林矣。故禍莫憯於欲利、悲莫痛於傷心、行莫醜於辱先…

孔丘先生は董仲舒をどう見たのか

漢晉春秋曰「鍾離意相魯、見仲尼廟頽毀、會諸生於廟中、慨然歎曰『蔽芾甘棠、勿翦勿伐、況見聖人廟乎!』遂躬留治之。周觀輿服之在焉、自仲尼以來、莫之開也。意發視之、得古文策書、曰『亂吾書、董仲舒。治吾堂、鍾離意。璧有七、張伯盜一。』意尋案未了。…

孔丘先生、未来の魯相へ予言を残すの巻

(鍾離)意別傳曰「意為魯相、到官、出私錢萬三千文、付戸曹孔訢修夫子車、身入廟、拭几席劒履。男子張伯除堂下草、土中得玉璧七枚、伯懐其一、以六枚白意。意令主簿安置几前。孔子教授堂下牀首有懸甕、意召孔訢問『此何甕也?』對曰『夫子甕也、背有丹書、…

熊の別名

熊無穴、或居大樹孔中。東土呼熊爲「子路」。以物撃樹云子路可起、於是便下、不呼則不動也。 (陶淵明『捜神後記』子路) 熊は住みつく穴が無い場合、大樹に空いた孔に住むことがあるのだそうだ。 そこで熊のことを「子路」と呼ぶのだという。 「孔」を好む…

司馬炎の服喪

武帝亦遵漢魏之典、既葬除喪、然猶深衣素冠、降席撤膳。 太宰司馬孚・太傅鄭沖・太保王祥・太尉何曾・司徒領中領軍司馬望・司空荀邈・車騎將軍賈充・尚書令裴秀・尚書僕射武陔・都護大將軍郭建・侍中郭綏・中書監荀勖・中軍將軍羊祜等奏曰「臣聞禮典軌度、豐…

能力

傳書或言、顏淵與孔子倶上魯太山、孔子東南望、呉閶門外有繫白馬。引顏淵指以示之曰「若見呉昌門乎?」顏淵曰「見之」孔子曰「門外何有?」曰「有如繫練之状」孔子撫其目而止之。因與倶下、下而顏淵髮白齒落、遂以病死。蓋以精神不能若孔子、彊力自極、精華…

昼寝(意味深)

曹瞞傳曰・・・(中略)・・・又有幸姫常從晝寢、枕之臥、告之曰「須臾覺我。」姫見太祖臥安、未即寤、及自覺、棒殺之。 (『三国志』巻一、武帝紀注引『曹瞞伝』) 曹操は寵愛する側室と昼に寝たことがあった。 そこで彼女を枕にして横臥し、「少しだけした…

孔丘先生リアルに予言者

孔子將死、遺讖書曰「不知何一男子、自謂秦始皇、上我之堂、踞我之牀、顛倒我衣裳、至沙丘而亡。」其後、秦王兼吞天下、號始皇、巡狩至魯、觀孔子宅、乃至沙丘、道病而崩。又曰「董仲舒亂我書。」其後、江都相董仲舒、論思春秋、造著傳記。又書曰「亡秦者、…

大司馬孔永

寧始將軍姚恂免、侍中崇祿侯孔永為寧始將軍。 ・・・(中略)・・・ 大司馬甄邯死、寧始將軍孔永為大司馬、侍中大贅侯輔為寧始將軍。 (『漢書』巻九十九中、王莽伝中) この孔永という人物は早い段階からの王莽シンパと言える人物で、王莽の新の大司馬にま…