王莽と伊尹

王莽は皇帝になった直後、漢・周・殷・夏の天子、五帝の子孫の他に、孔丘先生と周公旦と伊尹の子孫を諸侯として封建している。



孔丘先生と周公旦については王莽からすると尊重して当然なのだろうが、天子の廃立を行ったとされる伊尹も同列というのはちょっと面白い。



王莽は皇帝廃位は一応していないと言えないこともないが、「有徳の者が天子にふさわしく、徳無き天子は交代すべきだ」という理念は王莽の即位を正当化する、ということだろうか?