仲長統『昌言』理乱篇を読んでみよう:その2

その1(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/08/11/000100)の続き。





及繼體之時、民心定矣。普天之下、頼我而得生育、由我而得富貴、安居樂業、長養子孫、天下晏然、皆歸心於我矣。豪傑之心既絶、士民之志已定、貴有常家、尊在一人。當此之時、雖下愚之才居之、猶能使恩同天地、威侔鬼神。暴風疾霆、不足以方其怒。陽春時雨、不足以喻其澤。周・孔數千、無所復角其聖。賁・育百萬、無所復奮其勇矣。
(『後漢書』列伝第三十九、仲長統伝)


天子が地位を継承するときには、人々の心も定まっている。天下はみな天子のお陰で生活でき、天子のお陰で富貴になる事ができ、安心して生活し事業を行い、子孫を生み育て、天下は安泰であり、皆が天子に心を寄せるのである。



そうなれば豪傑の野心も途絶え、人々の気持ちは定まり、天子だけが貴い存在となる。



こうなれば、凡才が天子の地位にあってもその恩義は天地と同じであり、威信は鬼神と同等となり、暴風や雷でさえも天子の怒りにはかなわないものとなり、春の陽気や恵みの雨でさえ、天子の恩沢に例えるには足りないものとなる。



こうなれば、周公や孔丘先生のようが者が何千人といたとしてもその聖人としての力を発揮することはなく、孟賁・夏育といった古の勇士が百万人といたとしても、その武を振るう場所など無いのである。






前段では戦乱の時代について述べ、この段ではその混乱が収まってからについて書いているというところか。一旦そういう時代になってしまえば(してしまえば)孔丘先生が何人いようが聖人(上古の天子・王朝の開祖はたいてい聖人)の所業はできない、つまり新たな王朝を開くような事はない、という事だろう。孔丘先生は王朝を開けてはいないが。