アルハラ平原君

平原君與子高飲、強子高酒曰「昔有遺諺。堯・舜千鍾、孔子百觚、子路嗑嗑、尚飲十榼。古之賢聖、無不能飲也。吾子何辭焉。」
子高曰「以穿所聞、賢聖以道徳兼人、未聞以飲食也。」
平原君曰「即如先生所言、則此言何生。」
子高曰「生於嗜酒者。蓋其勸厲奬戲之辭、非實然也。」
平原君欣然曰「吾不戲子、無所聞此雅言也。」
(『孔叢子』儒服第十三)

子高というのはあの孔子こと孔丘先生の子孫で、姓名は孔穿。



彼があの趙の平原君と酒を飲んだ時の話。



平原君は子高に酒を飲むよう強要した。



平原君は言う。「昔の諺では「堯や舜は千鍾、孔子は百觚、子路はあまり飲めなかったが、それでも十榼の飲めた」と言う。古の賢人・聖人たちは皆酒が飲めたのだ。それなのに貴方は俺の酒が飲めないっていうのか?」



子高は答える。「私が聞いているところでは、賢人や聖人は徳によって人を治めたのであり、飲食によって治めたのではありません」



平原君は質問する。「もし先生の言う通りだとしたら、その諺はどこから出てきたのです?」



子高は答える。「酒飲みが言い出したのでしょう。おそらく飲酒を勧める言葉であって、本当の事ではありません。」



平原君は喜んでこう言った。「私が先生に酒を強要しなかったら、この善き言葉を聞く事もなかったでしょうな」





平原君のアルコールハラスメントが酷いのはまあいいとして、「賢人・聖人はみな大酒飲みであった」と言う話が伝わっていたという事らしい。





実際にそういう話が伝わっていたのは漢代あたりなのかもしれないが、何にしろ、先日の孔融や孫晧の話は、こういう当時の伝説、風聞に基づいていたのだろう。