『後漢書』孝霊帝紀を読んでみよう:その5

その4(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/03/25/000100)の続き。





三年春正月、河内人婦食夫、河南人夫食婦。
三月丙寅晦、日有食之。
夏四月、太尉郭禧罷、太中大夫聞人襲為太尉。
秋七月、司空劉囂罷。
八月、大鴻臚橋玄為司空。
九月、執金吾董寵下獄死。
冬、濟南賊起、攻東平陵。
鬱林烏滸民相率内屬。
(『後漢書』紀第八、孝霊帝紀)

建寧3年。



三公が何度も変わる。見た感じはスナック感覚で三公をチェンジしている印象である。




そんな中現れた橋玄というのは、あの曹操との絡みで有名な橋玄の事だ。




ちなみに「聞人襲」という人物は「聞人」という姓である。なんでも、孔子こと孔丘先生に殺された少正卯の後裔とされているらしい。