2016-01-01から1ヶ月間の記事一覧

謝罪文(謝罪するとは言ってない)

唐突だが、もしサイトを運営していて「この記事って●●ってブログのここから無断でそのままコピペして一部分だけ改変したんじゃねえの?原文が無いのに(武侯)とか意味わかんないんだけど」とか指摘されたらどうすればいいか? まあ、普通なら謝罪して撤回す…

三国志はじめての官職:皇帝その1

さて、三国志の時代の官職を知る上で、官職ではないが重要な地位の人物がいる。「皇帝」である。

三国志はじめての官職:侯

三国志の時代、功績があった者などに領土が附随する爵位を与えられることがあった。 というか「王」は皇族の劉氏しかなれなかった以上、この領土と爵位はほとんどの人間にとっては望みうる最高の地位である。 それを「侯」あるいは「列侯」と言った。

三国志はじめての官職:王

「三国志はじめての官職」は、今回は正確には「官職」とは言えないのだが、「王」について説明してみようと思う。 「王」という字を見ただけでもとてもエライ君主であるというイメージは皆持つだろう。 実際三国志で言えば曹操・劉備・孫権・司馬昭がそれぞ…

三国志はじめての官職:尚書

昨日の記事では「尚書令」を紹介したが、「令」とは当時は多くの場合「長官」を指す。 つまり「尚書令」は「尚書」の長官ということ(昨日紹介するのを忘れていたが「尚書僕射」はその副官・次官というべき存在である)である。 ということで「尚書」につい…

三国志はじめての官職:尚書令

https://twitter.com/Golden_hamster/status/691096679433408512で「やっぱ尚書令」ってゆわれた。 尚書令一人、千石。 本注曰、承秦所置、武帝用宦者、更為中書謁者令、成帝用士人、復故。掌凡選署及奏下尚書曹文書衆事。 尚書僕射一人、六百石。 本注曰、…

三国志はじめての官職:将軍その3

昨日に引き続いて「将軍」について。 四征鎮安平加大將軍不開府、持節都督者、品秩第二、置參佐吏卒、幕府兵騎如常都督制、唯朝會祿賜從二品將軍之例。 (『晋書』巻二十四、職官志) 「大将軍」などの四将軍、前後左右将軍以外の「将軍」としては、「四征将…

三国志はじめての官職:将軍その2

さて、昨日の記事に続いて「将軍」である。 昨日の記事で述べた「大将軍」等の四将軍と前後左右将軍以外にもいろいろな名前を冠した将軍がそれはもう山ほどあったのだが、それはまた別に説明することにしたい。 まず先に、将軍の部下、属官について書いてお…

三国志はじめての官職:将軍その1

三国志の時代はあっちもこっちも将軍だらけだと言われるし、確かにそうだ。 いろいろいる「将軍」について詳しく知ることは、三国志のことを知る上で決して無駄ではないだろう。 同じ「将軍様」でも、一休さんの将軍様と北の将軍様では全く違うのと同じよう…

三国志はじめての官職:三公

えっこの記事やめたんじゃないのかって?気のせいじゃないですかね・・・? 前回までの記事で、曹操の時に「三公」を統合して「丞相」にした、と述べた。 ではその「三公」とはなんであるか。

再出発!可愛い小鳥はじめての画像:インコ

https://twitter.com/Golden_hamster/status/689473574638194688 というわけで、どうやらこのブログは可愛い小鳥画像ブログとして再出発すべきだという結果が出た。 なのでとりあえず今回は手持ちのインコ画像で我慢してもらおう。 これからも可愛い小鳥ブロ…

三国志はじめての官職:相国

さて、今回は前回までの「丞相」を補足する意味も込めて「相国」について説明したい。

三国志はじめての官職:丞相その2

さて、前回からの続きで三国志の時代の「丞相」についてだが、丞相は宰相というだけあって独自の官庁を持ち、多数の部下を抱えていた。

三国志はじめての官職:丞相その1

突然だが、世の三国志ファンの方々は、『三国演義』などの物語や陳寿の『三国志』などの史書などを読んで、いきなり出てきた官職や称号の羅列に驚いたり意味が分からず困惑したりといった経験はないだろうか。 正直そのあたりは自分もよくわからなくなる時が…

或る三国志サイト

http://togetter.com/li/926904 今日は他の方のまとめたtogetterまとめを貼って終わりにしておく。 私自身も多少かかわりのある話なので。 け、決して記事書くのが面倒だとかそういうんじゃないんだからね!

皇帝と廷尉

治書侍御史、案漢宣帝幸宣室齋居而決事、令侍御史二人治書侍側、後因別置、謂之治書侍御史、蓋其始也。 及魏、又置治書執法、掌奏劾、而治書侍御史掌律令、二官倶置。 及晉、唯置治書侍御史、員四人。 泰始四年、又置黄沙獄治書侍御史一人、秩與中丞同、掌詔…

なんだか

どうやらこれから雪が降ってくるらしいという話を聞いて今から凄くブルーである。 積もるのすごく困るのでほどほどでお願いしたい。

ふたりは正妻

中書監荀勖議曰「昔郷里鄭子羣娶陳司空從妹、後隔呂布之亂、不復相知存亡、更娶郷里蔡氏女。徐州平定、陳氏得還、遂二妃並存。蔡氏之子字元釁、為陳氏服嫡母之服、事陳公以從舅之禮。族兄宗伯曾責元釁 、謂抑其親、郷里先達以元釁為合宜。不審此事粗相似否。…

晋の諸侯

有司奏從諸王公、更制戸邑、皆中尉領兵。其平原・汝南・琅邪・扶風・齊為大國、梁・趙・樂安・燕・安平・義陽為次國、其餘為小國、皆制所近縣益滿萬戸。又為郡公制度如小國王、亦中尉領兵。郡侯如不滿五千戸王、置一軍一千一百人、亦中尉領之。・・・(後略…

晋の郎中令

泰始六年、詔曰「昔漢祖以知人善任、克平宇宙、推述勳勞、歸美三俊。遂與功臣剖符作誓、藏之宗廟、副在有司、所以明徳庸勳、藩翼王室者也。昔我祖考、遭世多難、攬授英儁、與之斷金、遂濟時務、克定大業。太傅壽光公鄭沖・太保朗陵公何曾・太尉臨淮公荀邈各…

郡公を固辞

武帝受禪、以佐命之勳、進號中軍將軍、加散騎常侍、改封郡公、邑三千戸。固讓封不受、乃進本爵為侯、置郎中令、備九官之職、加夫人印綬。 (『晋書』巻三十四、羊祜伝) 晋の羊祜は魏末の段階で鉅平子の爵位を貰っていたが、司馬炎が皇帝になった時に郡公を…

『三国志』ではわからない事績

魏略曰、太史上漢暦不及天時、因更推歩弦望朔晦、為太和暦。帝以(高堂)隆學問優深、於天文又精、乃詔使隆與尚書郎楊偉・太史待詔駱祿參共推校。偉・祿是太史、隆故據舊暦更相劾奏、紛紜數歳、偉稱祿得日蝕而月晦不盡、隆不得日蝕而月晦盡、詔從太史。隆所…

明帝の宮殿の一部

世語曰、(楊)偉字世英、馮翊人。明帝治宮室、偉諫曰「今作宮室、斬伐生民墓上松柏、毀壊碑獸石柱、辜及亡人、傷孝子心、不可以為後世之法則。 (『三国志』巻九、曹爽伝注引『世語』) 魏末の人、楊偉。 彼の明帝曹叡様への諫言によると、「今の宮殿造営は…

日食の責任

魏文帝黄初二年六月戊辰晦、日有蝕之。有司奏免太尉、詔曰「災異之作、以譴元首、而歸過股肱、豈禹湯罪己之義乎!其令百官各虔厥職。後有天地眚、勿復劾三公。」 三年正月丙寅朔、日有蝕之。 十一月庚申晦、又日有蝕之。 五年十一月戊申晦、日有蝕之。 (『…

門限

(郅)綠遂客居江夏教授、郡舉孝廉、為上東城門候。 帝嘗出獵、車駕夜還、綠拒關不開。帝令從者見面於門輭。綠曰「火明遼遠。」遂不受詔。帝乃迴從東中門入。 明日、綠上書諫曰「昔文王不敢槃于游田、以萬人惟憂。而陛下遠獵山林、夜以繼晝、其如社稷宗廟何…

今日は

疲れたのでおやすむ。

ワイ、孤独に語る

ワイ、荀紣を熱く語る http://togetter.com/li/922030 手前味噌もいいところだが、自分のツイート群を自分でまとめたのでここに貼っておく。

魏公になるということ

以前、こういう記事を書いていた。 建安十七年の魏郡 http://d.hatena.ne.jp/T_S/20140410/1397058012 建安十七年の政治的決着 http://d.hatena.ne.jp/T_S/20140411/1397143888 荀紣の命とりになったと言われる曹操の魏公への封建問題。 だが、荀紣が健在の…

謎の列侯2

以前、http://d.hatena.ne.jp/T_S/20100610/1276096761という記事を書いた。 前漢初期に理由として「陽陵君を以て」とのみ書かれている封建理由不明の列侯、魏駟という者がいる、というものだ。 その時は魏の信陵君の末裔あたりか、などと推測(姓以外に根拠…

預言が先か封建が先か

太史丞許芝條魏代漢見讖緯于魏王曰・・・(中略)・・・故白馬令李雲上事曰『許昌氣見于當塗高、當塗高者當昌於許。』當塗高者、魏也。象魏者、両觀闕是也。當道而高大者魏。魏當代漢。・・・(後略) (『三国志』巻二、文帝紀、延康元年、注引『献帝伝』)…