ふたりは正妻

中書監荀勖議曰「昔郷里鄭子羣娶陳司空從妹、後隔呂布之亂、不復相知存亡、更娶郷里蔡氏女。徐州平定、陳氏得還、遂二妃並存。蔡氏之子字元釁、為陳氏服嫡母之服、事陳公以從舅之禮。族兄宗伯曾責元釁 、謂抑其親、郷里先達以元釁為合宜。不審此事粗相似否。」
(『晋書』巻二十、礼志中)

正妻がいることを隠してもう一人正妻を迎えたという畜生の子供たちが誰を嫡母とすべきかという点について晋の大臣たちが議論していた中で荀勖が語った一節。




「陳群の従妹が潁川の鄭子群という者に嫁いだが、呂布の乱で離ればなれとなってしまった。その後鄭子群は蔡氏という女性を新たにめとったが、徐州が平定されると陳氏も戻ることができたため、正妻が二人になってしまった。蔡氏が生んだ子である元釁は、陳氏を嫡母として喪に服した。それを『実母への礼を減らすものだ』と批判する者もいたが、郷里では彼が正しいと言われていた」





後漢末の混乱期にはこの手の「配偶者が行方不明となったため再婚したら実は生きており、元の配偶者と再会することとなった」という話もしばしばあったのだろうなあ。