三国志はじめての官職:将軍その2

さて、昨日の記事に続いて「将軍」である。



昨日の記事で述べた「大将軍」等の四将軍と前後左右将軍以外にもいろいろな名前を冠した将軍がそれはもう山ほどあったのだが、それはまた別に説明することにしたい。



まず先に、将軍の部下、属官について書いておく。




長史・司馬皆一人、千石。
本注曰、司馬主兵、如太尉。從事中郎二人、六百石。本注曰、職參謀議。掾屬二十九人。令史及御屬三十一人。本注曰、此皆府員職也。又賜官騎三十人、及鼓吹。
(『続漢書』志第二十四、百官志一、将軍)

将軍」の部下としては、「長史」「司馬」「従事中郎」「」「」「令史」「御属」などがいた。



「長史」は丞相や三公でも出てきた次官相当の官であり、「司馬」は軍の命令系統上の副官と言うべき存在のようだ。




例えば、あの荀紣曹操の元で最初に就いた官職は「奮武司馬」。これは当時曹操が「奮武将軍」という将軍だったので、その奮武将軍の司馬ということなのである。


いきなり当時の曹操が率いる軍のナンバーツー的ポジションになっているわけだから、かなりの厚遇、特別扱いだと言えるだろう。




其領軍皆有部曲。大將軍營五部、部校尉一人、比二千石。軍司馬一人、比千石。部下有曲、曲有軍候一人、比六百石。曲下有屯、屯長一人、比二百石。
其不置校尉部、但軍司馬一人。又有軍假司馬・假候、皆為副貳。其別營領屬為別部司馬、其兵多少各隨時宜。門有門候。
其餘將軍、置以征伐、無員職、亦有部曲、司馬・軍候以領兵。其職吏部集各一人、總知營事。兵曹掾史主兵事器械。稟假掾史主稟假禁司。又置外刺・刺姦・主罪法。
(『続漢書』志第二十四、百官志一、将軍)

また、将軍の率いる軍は「部」「曲」「屯」といった集団にで区分けされていたという。



部は「校尉」または「軍司馬」によって率いられた。




三国志の時代、しばしば色々な名前を冠した「校尉」が各地に表れているが、そのうちのいくつかはこのような「将軍の部下となって軍の一部を率いる将校」であったと考えられる。






もちろん、上記の制度は後漢のものとして説明されているものなので、王朝としては後漢でも制度が乱れた後漢末、そして王朝が変わった三国時代においても全く同じということはないだろうから、その点には注意が必要である。